第3話:洞窟の鼓動、『魔王』への一歩
大崎市立第一中学校の生活は、前世の俺からすれば奇跡のような日々の連続だった。
午前中の座学。窓から差し込む春の陽光を感じながら、退屈なはずの「魔力の循環理論」を聞く。それだけで、自分の足でこの場所に座っている実感が込み上げてくる。
だが、俺には喜びと同じくらい、胸に突き刺さったままの「棘」があった。
前世の最後、あと数センチで届かなかった【魔王】への転職ボタン。
十八年、病院のベッドの上で、唯一の自由だった『万象の揺籃』という世界。その頂点を極める直前で、俺の心臓は止まった。
(今度こそ……今度こそ、あの景色を見るんだ)
その執念が、俺の原動力だった。
しかし、俺にはもう一つの願いがある。それは「普通の友達を作る」こと。病室で画面越しに世界を見ていた俺にとって、リアルな中学生の距離感は、どの迷宮のトラップよりも複雑だった。
「……あ、あの。佐藤くん、もしよかったら購買に――」
「悪い結城! 今日はもう田中たちと行く約束してんだ。またな!」
「あ……うん。また今度」
差し出した手が空を切る。
コミュニケーションの取り方が分からない。そんな俺にとって、午後の「実技演習」は、自然に他人と関われる唯一の救いだった。
午後、俺たちはゲートシティ大崎の地下深く、統合ダンジョンの入り口へと足を踏み入れた。
重厚な防魔シャッターを潜ると、そこには都会の喧騒を完全に遮断した別世界が広がっていた。
「……これが、本物のダンジョン」
思わず息を呑む。
1層から10層までは、通称『洞窟ステージ』。
肌を撫でる空気はひんやりと湿り、鼻腔を突くのは古い岩石と微かな苔の匂い。ランタンの魔石が放つ青白い光が、ごつごつした岩肌を不気味に照らし出している。
前世のディスプレイ越しには決して伝わらなかった、本物の「暗闇」の重圧。そして、奥底から響いてくる、生き物の息遣いのような地鳴り。
「結城くん、大丈夫? 顔、緊張してるよ」
「あ……いや。あまりにすごくて、少し圧倒されちゃったよ」
癒し手の鈴木さんに声をかけられ、俺は慌てて笑みを返した。
お試しパーティのメンバーは、剣士の佐藤、魔法使いの田中さん、そして癒し手の鈴木さん。
初めて組むパーティとしてはバランスが良く安定して動けるだろう。
俺は支給品の円盾とメイスを握り直す。革のグリップが手の平に吸い付く感覚。本物の重み。
「来るぞ! 1層の定番、ゴブリンだ!」
佐藤の声と共に、暗闇の奥から濁った瞳が三対、浮かび上がった。
不潔なボロ布を纏い、錆びたナイフを手にした小鬼。
彼らは耳障りな鳴き声を上げながら、一気に距離を詰めてくる。
「みんな、俺の後ろに!」
俺は一歩前へ出ると、盾士のLv.0スキル【ガード・スタンス】を発動させた。
このスキルの本質は、単なる防御姿勢ではない。「盾を介して自分の重心を地面に固定し、受ける衝撃を全身の筋肉に逃がす」という、物理法則に基づいたシステム補正だ。
(だけど、ただ耐えるだけじゃ意味がない……!)
先頭のゴブリンがナイフを突き出す。
俺は盾を正面で合わせず、あえて左に十度だけ傾けた。
【ガード・スタンス】による「衝撃分散」の補正がかかったまま、ナイフの刃先を盾の表面で滑らせ、その威力を「横」へと受け流す。
――キィィィン!
火花が散り、ゴブリンの腕が大きく弾かれる。
体勢を崩し、無防備に転がるゴブリン。
「え……!? 結城、今のスキルか!? ゴブリンが勝手に自爆したぞ!」
「……ただの【ガード・スタンス】だよ。衝撃を逃がすように意識すれば、相手の力を利用できるんだ」
俺の誘導により、絶好の好機を得た佐藤がLv.0スキル【斬打】で首筋を捉え、田中の【魔力矢】が後続を射抜く。
危なげなく、最初の戦闘は終わった。
『経験値を獲得しました。結城カイト:Lv.1 → Lv.2』
頭の中に響くアナウンス。肺が広がり、血流が加速するような心地よい感覚。
三人は「最高のパーティだな!」とはしゃいでいる。
俺も、彼らと一緒に笑い合えるこの時間が、たまらなく愛おしかった。
演習時間とされている午後3時をまわる頃、俺のレベルは3に達していた。
三人は「明日もまた組もうぜ!」と笑顔で地上へ戻っていく。
俺も一緒に帰りたい気持ちをぐっと堪え、一人、湿った洞窟の闇へと向き直った。
確かにほかのみんなとパーティを組んで戦うのは楽しい、けど、午後の演習時間でレベルが2つしか上がっていない。
パーティーを組むとソロで活動するときと比べて経験値が分散するからだ。
まだ中学生だからあまり遅くまではできないけど、1人でレベル上げと現実世界とVRの差を埋めるために練習をしよう。
「結城君? 帰らないの?」
不意に声をかけられ振り返ると、そこには同じクラスメイトで剣士の九条院紗夜が立っていた。
彼女もまた、自分の細剣を確かめるように居残っていたらしい。
「ああ。盾の扱いをもっと正確にしたくてさ。もう少し練習して帰るよ」
「……そう。真面目なのね、あなたは」
彼女の視線には、同じ「向上心」を持つクラスメイトへの、静かな承認が宿っていた。
今の俺は、クラスメイトたちにとっても、彼女にとっても「熱心な盾士」という認識なのだ。
一人になった俺は、あえて盾を構えず、ギリギリまで引きつけてから【ガード・スタンス】を発動し、盾を合わせる練習を繰り返した。
(よし……。盾がないとこのスキルは使えない。なら、リセットして魔法使いになった時、俺はどう生き残る?)
盾を構えた「静」の防御を極めながら、その瞬間の重心移動を身体に叩き込む。
盾がなくても、盾があるかのように敵の死角へ潜り込む「動」の技術。
夜の帳が下りる前、俺のレベルは4に達していた。
薄暗い洞窟。魔石の光に照らされた俺の影が、岩壁に長く伸びる。
いつかこの期待が、失望や嘲笑に変わる日が来る。
けれど、今はまだこの「健康な体」で、一歩一歩、土を踏みしめて強くなれることが、何よりも楽しかった。
友達への憧れと、魔王への執念。
二つの想いを抱えた俺のレベリングは、まだ始まったばかりだ。
『現在のジョブ:盾士』
『現在のレベル:4』




