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第27話:選択

第二章、開幕です。

月曜日の朝。冒険者養成学校の廊下を歩くカイトの足取りは、先週までとは明らかに違っていた。

 一歩踏み出すごとに、自らの身体が鉛のように重く感じられる。レベル50という初級職の極致で得た、羽が生えたような軽やかさはもうない。肺に吸い込む空気すらも心もとなく、細胞の一つ一つが「かつての自分」を失った喪失感に悲鳴を上げていた。


教室の重い扉を開ける。

 その瞬間、喧騒に包まれていた室内が、潮が引くように静まり返った。


「……おはよう」


カイトが努めていつも通りに挨拶を投げかける。だが、返ってくるのは言葉ではなく、肌を刺すような困惑と、隠しきれないざわめきだった。

 クラスメイトたちの目は、カイトの腰にない『雷狼の盾』と、彼から発せられる魔力の「細さ」に釘付けになっていた。昨日まで、教室のどこにいても存在を感じ取れたほどの濃密な魔力が、今は生まれたての赤子のように弱々しく、頼りなく揺れている。


「おはよう、カイト。……早かったんだな」


その沈黙を破ったのは、佐藤だった。彼はあえてカイトの異変に触れず、いつもと変わらない、少しおどけたような調子で手を挙げた。その隣で、田中と鈴木も複雑な表情を浮かべながらも、小さく頷く。

 (……悪いな、佐藤)

 その気遣いが、今のカイトには何よりも有り難かった。


だが、その穏やかな空気は、教室の扉が再び開いたことで一変した。

 九条院。学年トップを走る彼女が、登校してきたのだ。

 彼女はカイトの姿を視界に入れた瞬間、その足を止めた。美しく整った眉が不自然に歪み、その瞳には明らかな動揺が走る。彼女は迷うことなくカイトの机の前まで歩み寄り、冷徹なまでの声音で問いかけた。


「……結城くん。単刀直入に聞くわ。週末に、あなたに何があったの?」


教室中の視線が二人に集まる。カイトは逃げることなく、九条院の瞳を正面から見据えた。この世界において、レベルをリセットすることがどれほどの「狂気」に見えるか、彼は痛いほど理解していた。だが、偽るつもりもなかった。


「魔法使いに転職した。……レベルは一に戻ったよ」


カイトの言葉が、物理的な衝撃となって教室を揺らした。

「……っ!?」

 九条院が言葉を失い、絶句する。教室にいた、九条院のパーティーメンバーの清水が悲鳴に近い声を上げた。


「それって……盾士をやめたってこと!? どうして! あんなに凄かったのに、あんなに完璧な盾士だったのに……どうして捨てちゃったの!?」


清水の問いは、クラス全員の代弁だった。カイトは静かに、しかし断固とした口調で答える。


「直結ルートと呼ばれる道の先に、俺が目指しているものがないと確信したからだ。これは、俺自身の考えに基づいた選択だよ」


衝撃から立ち直った九条院が、今度は失望の色を隠そうともせず、されどどこか悲しそうに語りかけてきた。


「……結城くん。私は、あなたとなら共に切磋琢磨して、この学園の、いえ、この国の頂点を目指せると信じていた。それなのに、あえて積み上げたものを捨てて、無謀な遠回りをするというの? 誰がどう見ても、それは合理的ではないわ。……あなたには、失望したわ」


彼女の言葉は、鋭い刃となってカイトに突き刺さった。だが、カイトは反論しなかった。彼女の言う「合理」はこの世界の常識であり、正論だからだ。


重苦しい沈黙が教室を支配する中、教官が教室に入ってきた。

 「席につけ」という短い号令で、表面上の静寂が戻る。ホームルームは滞りなく進行したが、生徒たちの意識は上の空だった。そして最後に、教官がカイトを指差した。


「結城。この後、教員室に来い」





教員室の重厚な空気の中、教官は椅子に深く腰掛け、カイトをじっと見つめていた。教官はかつて上級冒険者として名を馳せた男だ。その眼光は、カイトの底に眠る魔力の変化を正確に見抜いていた。


「……魔力が明らかに減っているな。やはり、他の初級職に転職したのか」


「はい。魔法使いになりました」


カイトの答えに、教官は短く嘆息した。


「……俺も、現役時代に一度だけ、試しに別の職を齧ろうとしたことがある。だが、その瞬間に襲いかかってきた『喪失感』に耐えられなかった。腕が細くなり、感覚が鈍り、まるで自分という存在が摩耗していくようなあの恐怖……。俺はすぐに元の職に戻したよ。……お前は、大丈夫なのか」


教官の言葉には、経験者ゆえの切実な懸念が籠もっていた。カイトは僅かに俯き、自らの震える拳を握りしめた。


「……正直に言えば、辛いです。今すぐ盾士に戻れば、この喪失感から解放されることも、中級職として持て囃される道があることも分かっています。……でも、俺の目指す場所へ行くには、この道を通るしかないんです」


カイトの瞳には、一切の迷いがなかった。その「眼」を見た教官は、わずかに目を見開き、やがてフッと口角を上げた。


「……納得した。止めても無駄なようだな。だが、一つだけ言っておく。結城、お前は今、レベル一だ。間違っても今までと同じ狩場には行くな。死ぬぞ。統合ダンジョンの低階層で、赤子のように這い蹲ることから始めろ。……それから、佐藤たちとのパーティーはもう諦めろ。彼らとのレベル差は、今のお前では埋めようがない足枷になる。これからはソロとして、より命を大事に、慎重に攻略しろ。……以上だ。教室に戻れ」


「……ありがとうございます、安藤教官」


教室に戻ったカイトを待っていたのは、より露骨になった周囲の反応だった。授業開始までの僅かな時間、クラスは再び喧騒に包まれていたが、そこから聞こえてくるのはカイトに対する冷ややかな毒ばかりだった。


「あんなに最前線を走っていたのになぜ転職なんか……」

「もったいなさすぎる。本当はバカなんじゃないか?」

「気が狂っているとしか思えないわ。レベル50を捨てるなんて」

「佐藤たちのパーティーはどうなるんだよ。あいつ、仲間の足を引っ張るつもりか?」


散々な言われようだった。かつての「天才盾士」への称賛は、一瞬にして「狂った落伍者」への蔑みへと変わっていた。

 佐藤、田中、鈴木の三人は、何か言いたげにカイトを見つめていたが、かけるべき言葉が見つからないようだった。特に佐藤の、親友を心配するあまりに歪んだ表情が、カイトの胸をチクリと刺した。


やがてチャイムが鳴り、一限目の授業が始まった。

 静まり返った教室で、カイトは前方の黒板を見つめながら、内なる自分に語りかける。


(……これでいい)


周囲の失望も、蔑みも、すべては計算内だ。

 レベル一の魔法使い。身体は重く、魔力は細い。

 だが、カイトの脳内には、盾士として極めた『ガード・スタンス』と、前世で培った「効率」という名の武器が鮮明に残っている。


誰も歩んだことのない道。

 失った強さを再び積み上げる、果てしない旅路。

 カイトは胸中で、教室の空気にふさわしくない高揚感を覚えていた。


「ここからだ」


小さく呟いたその言葉は、誰に届くこともなく、春の静かな教室に溶けていった。



『現在のジョブ:魔法使い』

『現在のレベル:1』

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