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【第97話:凍てつく境界線】

**【魔導飛行船:シルフィード改】**は、雲海を切り裂きながら北上を続けていた。 高度3000メートル。 窓の外の景色は、豊かな緑と青い海から、次第に荒涼とした灰色の岩肌へと変わっていく。 そして、水平線の彼方には、世界を分断するかのような「白い壁」――北大陸を包む万年雪の嵐が見え始めていた。


「……寒くなってきたな」


僕は甲板に出て、襟を立てた。 気温は既に氷点下近い。 吐く息が白く染まる中、先客が一人いた。 エリルだ。 彼女は船首の手すりに座り、短剣でリンゴの皮を剥いている。


「食べる?」 「もらうよ」


差し出されたウサギ型のリンゴを受け取る。 冷たくて、甘い。


「……もうすぐ、着く」 「ああ。世界の果てだ」 「怖くない?」 「怖いさ。……相手は神様と、狂った勇者だ」


僕は正直に答えた。 強がりはもういらない。 エリルは小さく笑い、僕の肩に頭を預けた。


「……私も怖い。でも、レインがいるから平気」 「僕もだ。お前がいれば、背中は安全だ」


言葉少なに、体温を分け合う。 この静寂が、何よりも得難いものだと噛み締める。


***


船内、食堂エリア。 ここでは、いつもの騒がしくも温かい時間が流れていた。


「ぬぉぉぉッ!! 寒い! 寒さが筋肉を収縮させる!」


ガルが暖炉の前で震えながら、プロテイン入りのホットミルクを飲んでいる。 耐寒仕様の毛皮を着込んでいるが、南国育ちの彼には堪えるらしい。


「情けないですわね。……見てごらんなさい、エリスさんを」


セリアが呆れて指差す先では、エリスが窓を開け放ち、吹雪混じりの風を浴びていた。


「……うふふ、冷たい……死後の世界みたいで落ち着く……」 「閉めろ! 凍死する!」


イズナが慌てて窓を閉める。 彼女はワノクニ出身だが、雪には慣れていないようだ。 その横で、人魚のラピスが水槽(移動用)の中から心配そうに顔を出した。


「……皆さん、大丈夫? 水の中なら温かいのに」 「あんたの『温かい』は、我々の『溺死』だからねぇ」


イズナが苦笑し、ラピスに温かいスープを渡す。 種族も、生まれも違う連中が、一つのストーブを囲んでいる。 奇妙で、愛おしい光景だ。


***


操舵室。 そこには、大人の時間が流れていた。


「……やるか?」


ヴァン先生が、スキットル(携帯酒瓶)を差し出す。 隣に立つレオンハルトは、苦笑して首を振った。


「勤務中だよ、先生。……それに、未成年だ」 「堅いねぇ。これだから優等生は」


ヴァン先生は一人で酒を煽り、操舵輪に足を乗せた。


「……レオンハルト。お前の兄貴のことだがな」 「……」 「俺はあいつを知ってた。……教団にいた頃、何度か剣を交えたことがある」


先生の視線は、前方――雪雲の向こうを見据えている。


「あいつは弱くなかった。……ただ、優しすぎたんだ。誰かを斬る覚悟よりも、誰かを守りたい欲求の方が強すぎた」 「……そうですか」 「だから、壊れた。……守るべきものを持たず、ただ憎むことでしか自分を保てなかったんだ」


ヴァン先生は、レオンハルトの銀色の義手を見た。


「だが、お前は違う。……守るために壊し、壊すために守る覚悟がある。その腕が証拠だ」 「……光栄です。元・処刑人殿」


レオンハルトは義手を強く握りしめた。 兄の想いも、罪も、全て背負って進む。 その横顔は、かつての儚げな美少年ではなく、歴戦の戦士のものだった。


***


そして、数時間後。 船内にアラートが鳴り響いた。


『――警告。前方、高濃度のマナ反応を検知』


スピーカーからセリアの声。 僕は甲板へ駆け上がった。 全員が集まってくる。


目の前に広がるのは、白一色の世界。 北大陸ゼノビア。 猛吹雪が吹き荒れる極寒の地獄。 その雲の切れ間から、異質な「光」が見えた。


「……あれか」


遥か彼方。 雪山の上に浮かぶ、巨大な黒い影。 【空中要塞アーク】。 周囲に幾重もの魔法陣を展開し、まるで空に空いた穴のように鎮座している。


「でかいな……。王都で見上げた時より、一回り大きくなってないか?」 「マナを食らって成長していますわ。……右脚(大地)と左脚(空)の機能が完全にリンクしています!」


セリアが叫ぶ。 その時。 要塞の側面――無数の砲門が一斉に開き、こちらを向いたのが見えた。


「……歓迎の準備は万端ってわけか」


僕はニヤリと笑い、**【雷神の槍】**を構えた。 隣にはレオンハルト。 後ろにはSクラスの仲間たち。


「総員、戦闘配置! ……突っ込むぞ!」


静寂は終わった。 ここからは、轟音と閃光が支配する決戦の空だ。

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