【第91話:蒼き廃墟】
大陸南端、交易都市**「ポルト・マーレ」**。 かつては大陸と海洋国家を繋ぐ玄関口として賑わっていたその街は、今や死の静寂に包まれていた。
「……酷いな」
**【シルフィード改】**から降り立った僕たちを出迎えたのは、潮の香りと混じり合った、焦げ臭い硝煙の臭いだった。 港の施設は半壊し、海には焼けた船の残骸が漂っている。 人影はない。 住民たちは逃げ出したか、あるいは……。
「……死者の声がいっぱい聞こえる……。まだ、彷徨ってる……」
エリスが青ざめた顔で耳を塞ぐ。 彼女には聞こえているのだ。理不尽に命を奪われた人々の無念が。
「これは『略奪』ですわね。……それも、極めて一方的で、効率的な」
セリアが瓦礫に残るマナの痕跡を解析し、忌々しげに吐き捨てる。
「残留している魔力波長は『光属性』。……教団の聖騎士たちが使う術式と同じですわ」 「補給と口封じか。……徹底してやがる」
僕は足元の瓦礫を蹴った。 教団は、機神の左脚を回収するためにこの街に寄り、必要な物資を奪い、目撃者となる住民を排除したのだ。 「世界を救うため」という大義名分のもとに。
「……レイン。あっち」
エリルが港の隅、半壊した造船所のドックを指差した。 彼女の**【索敵】**スキルが、微かな生体反応を捉えたらしい。
「生存者か? 行ってみよう」
***
ドックの中は薄暗く、海水が入り込んで床が水浸しになっていた。 腐った海藻と、血の匂い。 僕たちは慎重に足を進める。
「……誰かいるのか?」
僕が声をかけると、奥の資材置き場の陰から、水音がした。 バシャッ! 次の瞬間、闇の中から鋭い「水の槍」が飛んできた。
「ぬんッ!」
ガルが即座に前に出て、その胸板(筋肉)で水弾を受け止める。 ビシャァッ! 水が弾け飛ぶ。ガルは無傷だ。
「おいおい、挨拶にしては冷たい水だな!」 「……来るな! 教団の犬め!」
震える、鈴のような声。 資材の陰から姿を現したのは、人間ではなかった。 上半身は少女、下半身は鮮やかな碧色の魚の尾びれ。 **人魚族**だ。 だが、その美しい鱗は剥がれ落ち、腕や腹部には痛々しい裂傷が走っている。
「……人魚?」 「あっちへ行け! ……お前たち地上の人間は、みんな悪魔だ!」
少女は涙目で、必死に魔力を練ろうとしている。 だが、そのマナは枯渇寸前だ。
「待ってくれ。僕たちは教団じゃない。……奴らを追ってきたんだ」
僕は両手を上げて敵意がないことを示し、ゆっくりと近づいた。 セリアが後ろから、そっと**【広域治癒】**を展開する。 優しい光がドックを満たし、少女の傷を癒やしていく。
「……え?」
痛みが引いていくことに気づき、少女の殺気が緩む。 その隙に、僕は彼女のステータスを**『鑑定』**した。
【ラピス】 種族:人魚族 職業:海底都市の巫女(Lv.15) 状態:衰弱、故郷喪失
故郷喪失。 その文字が、全てを物語っていた。
「……君、名前は?」 「ラピス……」 「ラピス。教えてくれ。海の中で何があった?」
彼女は少し迷った後、悔しそうに唇を噛み締め、語り始めた。
「……空から、巨大な『岩の城』が落ちてきたの」
岩の城。 空中要塞アークのことだ。
「奴らは、海に『光の杭』を打ち込んだわ。……その衝撃で、私たちの都『アトランティア』は……防壁ごと粉砕された」
彼女は両手で顔を覆った。
「みんな、死んだわ。……お父様も、兵士たちも。奴らは廃墟になった都の奥から、封印されていた『神の足』を鎖で引き上げて……そのまま空へ持ち去ったの」
想像を絶する光景だ。 深海6000メートルにある都市を、空からの爆撃で破壊し、強引にパーツを引き抜く。 環境破壊なんてレベルじゃない。生態系ごとの虐殺だ。
「私は……命からがら、海流に乗ってここまで逃げてきたの。でも、この街も……」
ラピスは泣き崩れた。 海にも陸にも、彼女の逃げ場はなかったのだ。
「……許せねぇな」
ガルが拳を握りしめ、ギリギリと音を立てる。 イズナも壁にもたれ、静かに怒気を孕んだ目をしていた。
「神の御技ってやつかい。……随分と血生臭い神様だねぇ」
僕はしゃがみ込み、ラピスの目線に合わせた。
「ラピス。……僕たちは、その『岩の城』を落としに行く」 「え……?」 「奴らが奪ったものを、取り返しに行くんだ。……君の故郷の仇討ちも、ついでにしてやる」
僕が言うと、ラピスは濡れた瞳で僕たちを見回した。 異形の筋肉、陰気な呪術師、銀髪の魔導師、無口な暗殺者、そして胡散臭い忍者。 どう見ても正義の味方には見えない集団。 けれど、その瞳には嘘がないことを、彼女は感じ取ったようだった。
「……お願い。あいつらを……あいつらに報いを!」 「ああ。約束する」
僕は立ち上がった。 状況は確定した。 左脚は空へ持ち去られた。 だが、奴らが次に向かう場所は決まっている。 パーツが集まれば、機神を完成させるために「本体(胴体)」のある場所へ戻るか、あるいは最後のパーツを狙うかだ。
「……レイン様。この子、どうしますの?」 「連れて行く。深海の知識が必要になるかもしれないし、何よりこのままじゃ野垂れ死にだ」
僕はセリアに指示した。
「セリア、この子が入れる水槽を用意しろ。……それと、船の進路修正だ」 「どちらへ?」 「奴らは空へ逃げたが、僕たちにはまだ海での用事がある」
僕はラピスを見た。
「破壊された都に、何か残っているかもしれない。……それに、海にはまだ『協力者』がいるはずだ」
教団にシマを荒らされたのは、人魚だけじゃない。 この海域を縄張りとする、もう一つの勢力。 海賊だ。
「港に船が一隻も残っていないのは不自然だ。……海賊たちが無事なら、奴らも教団に一泡吹かせたいと思ってるはずだ」
僕たちはラピスを保護し、ドックを出た。 蒼い海は、今は悲しみの色をたたえている。 だが、感傷に浸る時間はない。 奪われたなら、奪い返す。 倍にして、叩き返す。
「行くぞ。……まずは海賊狩りだ」
Sクラスの課外授業、次なる科目は「海洋交渉術」だ。




