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【第87話:泥と血の証明】

「……来いよ」


僕が手招きすると、ドッペルゲンガーは無言で踏み込んできた。 速い。 魔法による強化がないはずなのに、その動きには一切の無駄がない。 最適化された重心移動。最短距離のストレート。


ドゴッ!


「ぐ、ぅ……ッ!」


頬骨に衝撃が走る。 視界が揺れ、口の中に鉄の味が広がる。 痛い。 涙が出るほど痛い。 だが、その痛みこそが、こいつと僕を分ける境界線だ。


『……打撃ニヨル損傷軽微。……戦闘続行ニ支障ナシ』


コピーは無表情のまま、次の一撃を繰り出す。 痛みを感じない。恐怖を感じない。 だからこそ、躊躇がない。 マシーンのような連撃。 僕はガードを固め、防戦一方になる。


(……強いな、僕は。客観的に見ると腹が立つくらいだ)


理屈で動く僕は、こんなにも隙がないのか。 だが、理屈だからこそ「弱点」がある。 効率的すぎるのだ。 「無駄な動き」をしないということは、「無駄な動き」への対処を知らないということだ。


「……オラァッ!」


僕はガードを解き、あえて前へ出た。 コピーの拳が僕の鳩尾を狙う。 僕はそれを避けなかった。 代わりに、大きく口を開け――奴の拳に噛み付いた。


ガブッ!!


『……!? エラー。攻撃対象ノ行動、予測不能』


コピーの動きが止まる。 硬い。金属のような感触で、歯が欠けそうだ。 だが、奴の演算回路は混乱しているはずだ。 「攻撃を受けるために口を開ける」なんて選択肢は、戦術データにはない。


「……ッペ! 硬えな!」


僕は噛み付いたまま、奴の襟首を掴み、足をかけた。 柔術? 違う。 ただの足払いだ。 それも、自分のバランスを崩しながらの、心中覚悟の体当たり。


ズザァッ! 二人でもつれ合いながら、砂利だらけの地面に転がる。 上になったのは僕だ。


「マウント取ったぞオォォッ!」


僕は拳を振り上げた。 握り方は適当。フォームも滅茶苦茶。 ただ、力任せに殴る。


ボゴッ! 奴の顔面が歪む。


『……警告。至近距離デノ打撃戦。……回避推奨』


コピーが冷静に僕の腕を掴み、関節を極めようとする。 正しい判断だ。 だが、僕はその腕を引かなかった。 逆に、押し込んだ。 バキッ! 自分の肘が悲鳴を上げる。 だが、その痛みと引き換えに、奴のガードをこじ開けた。


「……っ、痛てぇんだよ、クソがッ!」


ゴッ! 頭突き。 僕の額が割れ、鮮血が滴り落ちる。 その血が、コピーのセンサーに入り込む。


『視界不良。……洗浄ヲ……』 「させるかよ!」


僕は地面の砂を鷲掴みにし、奴の顔面に叩きつけた。 血と泥と砂のミックス。 精密機械が一番嫌う汚れだ。


『ピガガッ……!? 異物混入。センサーエラー』


コピーが初めて、人間のように顔を覆ってのたうち回る。 その姿は、もう「完璧な僕」ではなかった。 ただの、泥にまみれた鉄人形だ。


「……教えてやるよ、偽物」


僕は息を切らしながら、奴の胸倉を掴んで引き起こした。


「人間ってのはな……転んで、泥を舐めて、血を流して……そうやって強くなるんだ」


痛みを知らないお前に、僕の「生」はコピーできない。 僕は右手の拳を固めた。 中指の関節を突き出した、一番痛い握り方。


「……消えろ」


渾身の右ストレート。


ドゴォォォォォンッ!!


拳が奴の顔面を捉える。 銀色の皮膚が砕け散り、中の機械部品が弾け飛ぶ。 衝撃がコアまで届いたのか、コピーの体から力が抜けた。


『……認証。……オリジナルノ「生存本能」ヲ確認』


砂嵐のようなノイズ混じりの声。 コピーの輪郭が崩れ、銀色の液体へと戻っていく。


『……勝者、レイン・ルイス』


バシャッ。 液体が地面に広がり、吸い込まれるように消滅した。 同時に、空気が変わる。 重くのしかかっていた「マナ凍結」の圧力が消え、風が吹き抜けた。


「……ははっ。……痛ぇ」


僕は仰向けに倒れ込んだ。 全身痣だらけ。額からは血。肘は腫れ上がっている。 酷い有様だ。 魔法使いの戦い方じゃない。 だが、勝った。 自分の影を、自分の泥臭さで塗り潰した。


「……レイン!」


結界が消えたことで、エリルたちが駆け寄ってくる。 エリルは僕の顔を見るなり、泣きそうな顔でハンカチを取り出した。


「……馬鹿。ボロボロ」 「ああ。……でも、悪くない気分だ」


僕はエリルに支えられ、身を起こした。 目の前には、回転を止めた巨大な盾――機神の左腕が静止している。 拒絶のオーラは消えていた。 代わりに、僕を「主」として受け入れるような、静かな青い光を放っている。


「……待たせたな」


僕はふらつく足で近づき、盾に手を触れた。 冷たい金属の感触。 懐のIDカードが熱く脈動する。


【機神兵装:左腕アイギス】 認証完了。 制御権を譲渡します。


シュゥゥゥ……。 巨大な盾が圧縮され、掌サイズの「銀色の六角柱」へと変わった。 僕はそれを掴み取り、高く掲げた。


「回収、完了だ」


空を見上げると、雷雲が晴れ、朝日が差し込んできていた。 その光は、泥だらけの僕たちを祝福するように、優しく降り注いだ。

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