【第84話:鏡合わせの殺意】
山頂のさらに奥。 雷雲が渦巻く空の下、その場所だけが奇妙に晴れ渡っていた。 いや、晴れているのではない。 雲も、風も、雨粒さえも、ある一点を中心にして「弾き飛ばされて」いるのだ。
「……ここから先は、あたしらには無理だ」
案内役のイズナが、青ざめた顔で足を止めた。 彼女の指差す先。 クレーターのような盆地の中央に、それは浮遊していた。
巨大な、銀色の円盤。 いや、盾だ。 直径5メートルほどの六角形の装甲板が幾重にも重なり合い、ゆっくりと回転しながら、視認できるほどの濃密な「拒絶のオーラ」を放っている。
【機神兵装:左腕ユニット(アイギス)】 状態:自律防衛モード 特性:絶対物理反射、魔法無効化領域
「……デタラメな出力だな」
僕は**『鑑定』**しながら冷や汗を拭った。 盾の周囲50メートルは、完全な真空状態に近い。 不用意に踏み込めば、気圧差で肺が破裂するか、あるいは結界の圧力でミンチにされる。
「エリル、イズナ。君たちはここで待機だ。……僕一人で行く」 「レイン、でも……」 「盾は『異物』に反応する。人数が多ければ多いほど、排除の出力が上がる。……僕が単独で懐に入り、IDカードで機能を停止させる」
僕は二人を制し、一歩前に出た。 深呼吸。 滝行で掴んだ感覚を呼び覚ます。
スキル【マナ・カモフラージュ(偽装虚空)】――起動。
世界が静止する。 風の音、地脈の震動、大気中のマナの流れ。 全てを演算し、自分の鼓動と魔力波長を、それらに完全に同調させる。 僕は「レイン」という個体ではない。 ただの空気の揺らぎ。 背景の一部。
(……行ける)
僕は足音を消し、クレーターの底へと降りていった。 一歩進むごとに、肌を刺す圧力が強まる。 だが、盾は反応しない。 僕を敵として認識していない。
残り30メートル。 盾の表面に刻まれた幾何学模様が、呼吸するように明滅している。
残り10メートル。 IDカードを取り出す準備をする。 あと数歩で、認証範囲内だ。
その時だった。
『……警告。座標X-204に「空白」を検知』
脳内に直接、機械的な音声が響いた。 盾の回転が止まる。 赤いセンサーの光が、僕の方を向いた。
(バレた……!? いや、違う!)
僕は「敵」として感知されたのではない。 僕が完璧に気配を消しすぎたせいで、本来そこにあるはずの「空間の密度」に矛盾が生じ、システムがそれを「エラー(空白)」として処理したのだ。
『論理矛盾。……当該座標の質量保存則が成立しない。……修正パッチを適用』 『対象のデータをスキャン。……「鏡像」を作成し、空白を埋め合わせる』
盾の中央がスライドし、中から銀色の液体が噴き出した。 液体は僕の目の前に落下し、瞬く間に形を変えていく。 身長、体格、装備。 そして、顔。
「……嘘だろ」
そこに立っていたのは、僕だった。 黒髪、黒目。 手には**【雷神の槍】**と同じ形状の銃を持ち、冷徹な瞳でこちらを見つめている。
【機神防衛システム:ドッペルゲンガー】 Lv. ?? ベース:個体名レインの完全模倣 思考:排除・修正
「……僕のコピーか」
コピーが銃口を向ける。 僕も反射的に銃を構える。 鏡合わせの動作。 トリガーに指をかけるタイミングまで、コンマ一秒の狂いもない。
「……そこをどけ、偽物」 『……ソコヲドケ、ニセモノ』
声が重なる。 次の瞬間、二つの銃口が同時に火を吹いた。
ズドンッ!!!!
至近距離での射撃。 二つの弾丸が空中で衝突し、火花を散らして弾け飛ぶ。 衝撃波が僕たちを弾き飛ばす。
僕は地面を転がり、受身を取って立ち上がった。 相手も同じタイミングで起き上がり、銃を構え直している。
(……厄介すぎる)
ただのコピーじゃない。 僕の思考パターン、反射速度、そしてスキル構成。 すべてを読み取られた上での「最適化された自分」だ。 こいつを倒さなければ、盾には触れられない。
「いいだろう。……自分自身を超えるのが、成長の近道ってね」
僕はニヤリと笑い、**【並列思考】**のギアを上げた。 相手の目が、同じように青く光る。 僕vs僕。 自分自身の弱点と強さを知り尽くした者同士の、最悪で最高に不毛な殺し合いが始まった。




