【第82話:ノイズ・キャンセリング】
「――雑念じゃ。殺気がダダ漏れしておる」
冷たい滝に打たれながら、僕は歯を食いしばっていた。 頭上から叩きつけられる水圧は、岩をも砕く勢いだ。 身体強化魔法で耐えているが、精神の消耗が激しい。
「魔力を消せと言うから、抑え込んでいるつもりですが……!」 「抑え込むのではない。……『在る』が『無い』のじゃ」
岸辺でキセルを吹かしているゲンサイ師匠が、煙を吐きながら言う。 禅問答だ。 感覚派の天才なら理解できるかもしれないが、僕は論理派だ。 「無になれ」と言われても、脳は勝手に思考を続けてしまう。
「……レイン。頑張れ」
岸辺で焚き火をしているエリルが、焼き魚を振りながら応援してくれる。 彼女は既に、気配を消すコツを掴んでいるようだ。悔しい。
(考えろ……。ゲンサイ師匠の言う「自然体」とは何だ?)
僕は**スキル【並列思考】**をフル稼働させた。 師匠は、僕の弾丸を「殺気を感じて」弾いた。 つまり、攻撃しようとする瞬間に生じる「マナの波形の乱れ」を感知されたのだ。 逆に言えば、波形を乱さなければ感知されない?
「……違う。完全に消すのは不可能だ」
生体である以上、心臓は動くし、マナは流れる。 それをゼロにするのは死ぬことと同義だ。 なら、どうする?
僕は滝の音を聞いた。 轟音だ。耳が痛くなるほどのノイズ。 だが、このノイズはずっと鳴り続けているから、意識しなければ「聞こえない」。 環境音。
(……これだ)
僕は目を開いた。 消すんじゃない。 周囲の環境に「同調」させるんだ。
『鑑定』――環境マナ解析モード。
滝の水流、風の音、岩の振動。 この場所を満たす自然界のマナの波長を数値化する。 そして、僕自身の体内から発するマナの波長を、それに合わせて調整する。
(逆位相をぶつけて消すんじゃない。完全に同じ波形を重ねる……!)
ノイズ・キャンセリングの逆。 カメレオンの擬態。 自分という存在を、世界という背景画像の一部として上書き処理する。
「……並列思考、出力最大。常時演算開始」
脳が焼けるように熱い。 数万単位のパラメータを、リアルタイムで環境に合わせて調整し続ける。 だが、効果はてきめんだった。
フッ……。
僕の周囲から、違和感が消えた。 滝の音が、僕の体を通り抜けていくような感覚。
「……ほう?」
岸辺のゲンサイ師匠が、片眉を上げた。 彼はキセルを置き、ゆっくりと立ち上がった。 そして、手近な小石を拾い、僕に向かって投げた。
ヒュンッ!
石は正確に僕の額を狙っていた。 だが、僕は動かなかった。 「避けよう」とも「防ごう」とも思わなかった。 ただ、流れる水のように、首を僅かに傾けただけ。
パシッ。 石は僕の頬を掠め、後ろの岩に当たった。
「……今の感覚か」
僕は滝から上がった。 ずぶ濡れのまま、師匠の前に立つ。 師匠は僕をジロジロと見て、呆れたように笑った。
「お主……心を無にしたわけではないな?」 「ええ。むしろ、脳みそはフル回転です」
僕は濡れた髪をかき上げた。
「俺は魔法使いですから。……『無』を作るために、膨大な『計算』を詰め込みました」 「カッカッカ! 道理で妙な気配じゃと思ったら、そういうことか」
ゲンサイ師匠は楽しそうに膝を叩いた。
「自然と同化するのではなく、自然を『欺いた』か。……カズヤとは真逆じゃ。あやつは獣のように溶け込んだが、お主は計算ずくで透明になりおった」 「結果オーライでしょう?」 「ああ。……その状態なら、あの盾も『敵』とは認識できまい」
合格だ。 僕は新しいスキルを手に入れた。 気配遮断や隠密とは違う。 魔導的なステルス迷彩。
【マナ・カモフラージュ(偽装虚空)】 効果:自身のマナ波長を環境と同化させ、感知系スキルや自動防衛システムを無効化する。
「……レイン、消えたみたいだった」
エリルが目を丸くして近づいてくる。 彼女の鋭い野生の勘でさえ、一瞬僕を見失ったらしい。
「これで、禁足地に行ける」 「うむ。……だがその前に、話しておかねばならんことがある」
ゲンサイ師匠の表情が、スッと真剣なものに変わった。 彼は庵の方を向き、遠い目をした。
「お主のその『異質な思考』……カズヤがここに来た時も、同じものを感じた。あやつがなぜ、あれほど強さに執着したのか。……その理由を知っておくべきじゃろう」
師匠は僕たちを手招きした。
「夜も更けた。……茶でも飲みながら、あの愚かな弟子の昔話をしてやろう」
僕たちは頷き、庵へと入った。 技術は得た。次は「心」を知る番だ。 最強のライバル、カズヤ。 彼が異世界(日本)で何を失い、なぜこの世界で修羅となったのか。 その原点に触れる時が来た。




