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【第79話:荒ぶる雷獣の鎮魂】

港町を離れ、僕たちはイズナの案内で深い山奥へと足を踏み入れていた。 道なき道。断崖絶壁。 そして、視界を奪う濃密な霧。 普通の人間なら一歩目で遭難するような魔境だ。


「……ここだよ。結界の境目は」


霧の晴れ間、古い石碑の前でイズナが立ち止まる。 彼女は懐から、ゴウヨクの屋敷で取り返した「巻物」を取り出した。


「開け、隠れ世の扉よ。……帰ってきたよ、風の民が」


イズナが印を結び、巻物に魔力を通す。 ボウッ、と巻物が光り、目の前の霧が渦を巻いて晴れていく。 その先に現れたのは、巨木の上に作られた家々と、朱色の橋が架かる幻想的な集落だった。


【天狗の隠れ里】。


「綺麗……」 「空気が美味い! 高地トレーニングに最適だ!」


エリルとガルが感嘆の声を上げる。 だが、歓迎ムードではない。 僕たちが橋を渡ろうとした瞬間、ヒュンヒュンヒュンッ! と風切り音が響き、無数の矢と手裏剣が足元に突き刺さった。


「止まれ、抜け忍! そして穢れた異人ども!」


木々の上から、天狗の面をつけた戦士たちが姿を現す。 弓を構え、殺気を放っている。


「……やっぱりね。手厳しい挨拶だ」


イズナが苦笑し、両手を上げる。


「長老に会わせておくれ! 喧嘩をしに来たんじゃない!」 「問答無用! お前は里を捨てた裏切り者だ!」


戦士たちが一斉に飛び掛かろうとする。 僕が**【雷神の槍】**に手をかけた、その時だった。


「――控えよ」


雷鳴のような、腹に響く声。 戦士たちがピタリと動きを止め、道を開ける。 奥から現れたのは、杖をついた小柄な老人だった。 長い白髭。鋭い眼光。 背中には、年季の入った黒い翼が生えている。


「……久しぶりじゃな、イズナ」 「長老……」


長老と呼ばれた老人は、イズナを一瞥した後、僕の方を見た。


「異人の若造よ。……その背中の『筒』。そして懐の『気配』。……機神の封印を解きに来たか」 「話が早くて助かる。……僕たちはパーツを回収しに来た。世界を守るためにね」


僕が答えると、長老は鼻を鳴らした。


「世界など知ったことか。……だが、困ったことになっているのも事実じゃ」


長老は杖で山頂の方角――黒い雲が渦巻き、稲妻が走っている場所を指差した。


「禁足地に封印された『左腕(盾)』が、数日前から活性化し始めた。その波動に当てられて、里の守護獣である**【雷獣ヌエ】**が発狂し、暴れ回っておる」


「ヌエ……?」


「ああ。本来は里を守る聖獣だが、今は近づく者すべてを雷で焼き払う災厄じゃ。……我ら天狗の術でも手がつけられん」


長老は僕を試すような目で見上げた。


「異人よ。パーツが欲しければ力を示せ。……ヌエの怒りを鎮め、正気に戻してみせよ。殺さず、屈服させること。それができれば、里への立ち入りと禁足地への道を許そう」


殺さずに、暴走する怪物を止める。 難題だ。だが、避けては通れない。


「……分かった。やってやるよ」 「レイン、大丈夫? 殺しちゃダメなんて、手加減難しい」


エリルが不安そうに言うが、僕はイズナの肩を叩いた。


「イズナ。お前の里への『詫び』だ。……手伝え」 「……へっ、人使いが荒いねぇ。いいよ、あたしの忍術で翻弄してやるさ」


交渉成立。 僕たちは長老に見送られ、雷鳴轟く山頂のやしろへと向かった。


***


山頂。 そこは雷雲の中だった。 荒れ狂う風雨の中、巨大な影が咆哮を上げている。


『ギャオオオオオオオンッ!!』


【守護獣:雷獣ヌエ】 Lv. 58 状態:機神干渉による混乱・狂乱 属性:雷・風


頭は猿、胴体は虎、尻尾は蛇。 体長10メートルを超える異形の獣が、全身に黄色い稲妻を纏って暴れている。 機神のパーツが放つ「信号」が、獣の本能を刺激し、敵味方の判別を奪っているのだ。


「速いぞ! 気をつけろ!」


ヌエが跳躍する。 雷そのもののような速度。 バチチチッ! 着地と同時に放電し、地面が爆ぜる。


「オラァッ! 痺れるぅぅッ!」


ガルが盾で受けるが、電撃までは防ぎきれない。 物理攻撃なら耐えられるが、魔法攻撃(属性攻撃)には弱い。


「セリア、絶縁結界だ! ガルをサポートしろ!」 「展開済みですわ! でも、あの動き……的が絞れません!」


ヌエは空を駆け、雲に隠れ、四方八方から雷撃を落としてくる。 殺していいなら**【雷神の槍】**で撃ち抜くが、今回は「鎮める」のが条件だ。 弱らせて、無力化するしかない。


「……レイン。尻尾の蛇、あれが司令塔」


エリルが看破する。 ヌエの本体は暴れているが、尻尾の蛇だけが冷静に周囲を索敵し、雷を誘導している。 あれを封じれば、動きが単調になるはずだ。


「よし。……イズナ、エリル! 蛇を狙え!」 「了解!」


二人の影が走る。 イズナが印を結ぶ。


『忍法』――【影縫いの術】!


無数のクナイがヌエの影を縫い止める。 一瞬、動きが止まった隙に、エリルが背後へ回り込む。


「……眠れ」


エリルの短剣が閃く。 斬るのではない。峰打ちの衝撃と、セリア特製の「強力麻酔毒」を塗り込んだ刃で、蛇の急所を突く。


『シャーッ!?』


蛇が悲鳴を上げ、ぐたりと垂れ下がる。 制御を失ったヌエ本体が、バランスを崩して地上に落下した。


「今だッ! 全員で押さえ込め!」


「ふんぬァァァッ!!」


ガルがヌエの首に飛びつき、ヘッドロックをかける。 エリスが死霊の手で四肢を拘束する。 セリアが重力魔法で押し潰す。


『グルァァァァッ!!』


ヌエが暴れる。凄まじい雷撃が放出され、僕たちを焼こうとする。


「暴れるな! ……ちょっと頭を冷やせ!」


僕は**【雷神の槍】**の銃口を、ヌエの眉間に突きつけた。 弾丸は装填していない。 代わりに、バレル(砲身)自体に、逆位相の魔力をチャージする。


魔力吸収マナ・ドレイン】モード!


「お前のその雷……そして、脳味噌を焼き焦がしている『ノイズ』も、全部いただくぞ!」


キュイィィィン……! ヌエが放出した雷撃が、避雷針のように僕の銃へと吸い込まれていく。 それだけではない。 ヌエの体にまとわりついていた、赤黒い不吉なマナ――機神の左腕から送られていた「狂乱の信号」も、僕が強制的に引き剥がし、銃身の中で中和していく。


「……沈まれェッ!!」


数分後。 ヌエの咆哮が、弱々しい寝息へと変わった。 全身の帯電が消え、狂気の赤かった瞳が、穏やかな金色に戻り、静かに閉じる。


「……鎮圧完了」


僕は銃を下ろし、へたり込んだ。 殺してはいない。機神とのパスを強制切断し、魔力切れで気絶させただけだ。


「……見事じゃ」


背後から声がした。 いつの間にか、長老と天狗たちが立っていた。


「荒ぶる神を、殺さずに鎮めるとは。……機神の呪いだけを抜き取るとは、恐ろしい技術じゃな」


長老が杖を突き、眠るヌエの頭を優しく撫でた。


「しかし、これは一時しのぎじゃろう?」 「ああ。元凶である『左腕』が動いている限り、またすぐに汚染される。……持っても一日か二日だ」


僕は汗を拭いながら答えた。


「だが、今夜一晩くらいは静かに眠れるはずだ。……その間に、僕たちが元凶を叩く」


「……うむ。ならば、今宵は英気を養うがよい」


長老は僕たちを見回し、厳かに、しかし少しだけ口元を緩めて告げた。


「嵐の前の静けさかもしれんが……里を守ってくれたことは事実。今夜はささやかながら宴を開こう。……明日の決戦に備えてな」


こうして、僕たちは「一時的な」平穏を勝ち取った。 根本解決はまだだ。 だが、里を覆っていた絶望的な空気は払拭された。 明日は禁足地。 機神の左腕との対面だ。


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