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【第7話:路地裏のポルターガイスト】

エリルに銅貨を渡してから三日後。 僕は再び、厨房から拝借した硬いパンと干し肉を懐に隠し、街へと繰り出していた。 目的はエリルの餌付け……いや、スカウトの続きだ。


だが、いつもの広場に彼女の姿はなかった。 嫌な予感がした。 彼女の持つ『危機察知』スキルは優秀だが、それを上回る暴力に囲まれれば意味をなさない。 僕は広場を抜け、貧民街へと続く薄暗い路地裏へと足を踏み入れた。 鼻をつく汚臭。腐った水と排泄物の匂い。 足元にネズミが走る。


「……離せよ、クソ野郎」


聞き覚えのある、低い唸り声が聞こえた。 僕は足を止め、呼吸を整える。 スキル【隠密】発動。 気配を断つ。心拍数を下げ、空気と同化するイメージ。 僕は音もなく、声のする廃屋の陰へと回り込んだ。


そこは袋小路になっていた。 腐った木箱やゴミが散乱する中、エリルが壁際に追い詰められている。 囲んでいるのは三人。10代半ばくらいの少年たちだ。 大人ではないが、4歳児から見れば巨人だ。しかも、手には棍棒や錆びたナイフを持っている。


『鑑定』。


【ガリ】職業:チンピラ(Lv.4) 【ポチ】職業:チンピラ(Lv.3) 【リーダー格(名前不明)】職業:チンピラ(Lv.5)


「生意気な目をしてんじゃねぇぞ、メスガキが」 「その銅貨、誰から盗んだ? 俺たちへの上納金だろうが」


リーダー格の少年が、エリルの腹を蹴り上げた。 ドガッ、という嫌な音。 エリルがくの字に折れ、泥水の中に咳き込む。だが、その手は胸元を――僕が渡した銅貨が入っている場所を――固く守っていた。


「……あんたらなんかに、やるもんか」


エリルが血の混じった唾を吐きかける。 その目。死んでいない。 恐怖に屈するどころか、相手の喉笛をどう食い破るか、それだけを考えている目だ。


(合格だ、エリル)


僕は冷めた頭で評価を下すと同時に、胸の奥で黒い怒りが渦巻くのを感じた。 僕の投資対象を。僕の未来の相棒を。 壊されてたまるか。


僕は廃屋の崩れかけた壁を登り、彼らの頭上にあるはりの上へと移動した。 正面から戦えば即死だ。 だが、ここは僕の舞台だ。


(状況確認。敵3、味方1。地形……可燃物あり。頭上の洗濯物……乾燥している)


作戦を組み立てる。所要時間、二秒。 僕は足元に落ちていた手頃な石を拾い上げた。 狙うは一番弱い【ポチ】の後頭部。


「……ふっ」


スキル【投擲】。 石は風を切る音すらさせず、正確にポチの後頭部に吸い込まれた。


ゴッ!


「あ痛っ!?」


ポチが悲鳴を上げてうずくまる。 「なんだ!? 誰だ!」 リーダーとガリが慌てて周囲を見回す。だが、梁の上にいる4歳児には気づかない。


「おい、誰もいねぇぞ……?」 「石が飛んできたんだよ!」


混乱が生じたその瞬間、僕は第二の手を打った。 指先を、彼らの真横に積まれていたゴミ山――油が染み込んだボロ布が捨ててある場所――に向ける。


(燃えろ)


【生活魔法】――『着火イグニス』。


ボッ!!


爆発的な音と共に、ゴミ山が一気に炎上した。 狭い路地裏だ。炎の勢いは凄まじく見え、熱風が彼らの顔を撫でる。


「うわああっ! 火だ!?」 「なんで急に!?」


予期せぬ攻撃。姿の見えない敵。 チンピラたちの思考が「恐怖」で埋め尽くされる。 その隙を、エリルが見逃すはずがなかった。


「……!」


エリルは弾かれたように地面を蹴った。 逃げるためではない。 彼女は懐から、鋭く尖らせた錆びた鉄片――即席のナイフを取り出し、一番近くにいて動揺していた【ガリ】の太ももへと突き立てた。


「ギャアアアアッ!!」


絶叫。鮮血が吹き出す。 エリルはナイフを引き抜き、その勢いのまま燃え盛るゴミ山の横をすり抜け、路地の出口へと走った。 完璧な判断だ。


「待ちやがれ、殺してやる!!」


リーダーが怒り狂って追いかけようとする。 行かせるか。 僕は梁の上から身を乗り出し、残っていたありったけの魔力を指先に込めた。 今度は火じゃない。 壁に立てかけられていた腐った木の棒の、「支点」を狙う。 魔法で直接攻撃する必要はない。物理法則のきっかけを作ればいい。


『着火』。


棒を支えていたロープが焼け切れ、バランスを崩した木材の束が、リーダーの行く手を塞ぐように崩れ落ちた。 ドガラガッシャーン!


「くそっ、なんだこれ!? 呪われてんのか!?」


チンピラたちは恐怖に顔を引きつらせ、足を止めた。 僕はその隙に梁を伝って移動し、路地の反対側へと飛び降りた。 魔力は空っぽだ。頭が割れるように痛い。 だが、足は止まらない。 エリルが逃げた方向へ、僕は全力で走った。


***


数分後。 大通りから外れた、古びた水路の陰。 肩で息をするエリルの元に、僕は追いついた。


「はぁ……はぁ……」 「……生きてるか?」


僕が声をかけると、エリルはビクッと反応し、反射的に鉄片を構えた。 だが、僕だと分かると、その腕から力が抜けた。


「……あんた」


彼女は僕を見つめた。 そして、自分の逃走を助けた「不可解な現象」と、目の前の「異質な子供」を結びつけたのだろう。


「今の……石と、火。あんたでしょ」 「さあね。ポルターガイストじゃない?」


僕が肩をすくめると、エリルは初めて、年相応の……いや、少し呆れたような表情を見せた。 そして、泥だらけの手でポケットを探り、あの銅貨二枚を取り出した。


「……守った」 「え?」 「あんたの投資。守った」


彼女は誇らしげに、けれど少し震える手で銅貨を僕に見せた。 自分の命よりも、この契約(投資)を優先したのだ。 僕は思わず笑ってしまった。 なんて馬鹿で、愛すべき忠誠心だ。


「バカだなぁ。命の方が大事に決まってるだろ」 「……違う。これは、あんたが初めて私にくれた『価値』だから」


エリルは真剣な目でそう言った。 僕は彼女の手を取り、銅貨を彼女のポケットに押し戻した。


「なら、もっと価値を増やしてやる。……僕につけ、エリル。二人なら、もっと上手くやれる」 「……ああ。私の命、あんたに預ける」


エリルは僕の手を握り返してきた。 その手は冷たく、血と泥にまみれていたが、どんな宝石よりも力強かった。


脳内で、アナウンスが響く。


『条件を満たしました。スキル【指揮】を獲得しました』 『パーティを結成しました』


僕は握った手に力を込めた。 共犯者の獲得。 これで、僕の異世界攻略サバイバルは次のステージへと進む。

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