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【第65話:地下水道の反逆者】

「……これ、見て」


手配書の前で、エリルがポツリと呟いた。 彼女が指差したのは、レオンハルトの顔写真の端――紙の縁に刻まれた、一見するとただの汚れや破れに見える小さな傷跡だ。


「盗賊ギルドの暗号サイン。……『光は地に堕ちた』『西の古き水路にて待つ』」 「……レオンハルトからのメッセージか」


あいつ、こんな裏社会の知識まで持っていたのか。 あるいは、逃亡生活の中で泥水を啜って覚えたのか。 どちらにせよ、行き先は決まった。


「行くぞ。……西区画の地下水道だ」


僕たちは巡回する教団兵(白装束と、洗脳された王国騎士の混成部隊だ)の目を盗み、マンホールをこじ開けて地下へと潜った。


「うぇぇ……臭いですわ……! 私の鼻が曲がります!」 「フンッ! 腐敗臭! これはこれで筋肉への刺激になる!」 「……うふふ、死体の匂いと、ドブネズミの足音……落ち着く……」


Sクラスの面々は相変わらずだが、その足取りは速い。 地下水道は迷路のように入り組んでいるが、僕の**【マッピング】とエリルの【暗視】**があれば、庭のようなものだ。


「……ここだ」


行き止まりに見える壁。 だが、そこには微かにマナの流出痕があった。 隠し扉だ。 僕が手を触れようとした瞬間、扉の内側から凄まじい殺気が放たれた。


「――合言葉は?」


しゃがれた、ドスの効いた声。 聞き間違えるはずがない。


「『補習授業』……だろ? 先生」


ガチャリ。 重い鍵が外れ、鉄扉が開いた。 そこには、片手に酒瓶、もう片手に抜き身の剣を持った、ジャージ姿の女性が立っていた。


「……遅ぇよ、馬鹿共が」


ヴァン先生だ。 やつれている。目の下のクマが濃い。 だが、その瞳の光は死んでいない。 彼女は僕たち全員の無事を確認すると、安堵したように息を吐き、通路の奥へと顎をしゃくった。


「入れ。……客人がお待ちかねだ」


***


隠れ家の中は、意外にも清潔だった。 簡易ベッドと、いくつかの木箱。そして魔法ランプの明かり。 そのベッドの上に、包帯でぐるぐる巻きにされた少年が横たわっていた。


「……レインか」


彼は身を起こそうとして、激痛に顔を歪めた。 レオンハルト。 あの輝くような金髪は泥と油で汚れ、自慢の青い瞳は光を失い、深く沈んでいる。 何より衝撃的だったのは、彼の右腕だ。 肘から先が、ない。 包帯が赤く滲んでいる。


「……その腕」 「ああ。……やられたよ」


レオンハルトは、無くした腕を見て自嘲気味に笑った。


「あの『新しい勇者』にね」


やはり、あいつか。 日本から召喚された、Lv.1の剣豪。


「強かったよ。……魔法も、スキルも、聖剣の加護さえも。彼にとっては『薄い紙』と同じだった。僕の最強の障壁ごと、腕を切り落とされた」


レオンハルトの声が震える。 痛みではない。 自分の信じてきた「強さ」を、根底から否定された恐怖だ。


「奴は……僕を見逃した。『斬る価値もない』と言ってね。……おかげで、先生に拾われてここまで逃げ延びたわけさ」


ヴァン先生が、無言でレオンハルトに水筒を渡す。 彼女は壁に背を預け、忌々しげに語った。


「状況は最悪だ。……国王は幽閉。騎士団長は洗脳済み。そして民衆は、空に現れた結界と、新勇者の『奇跡(演出された怪物退治)』に熱狂してる」


クーデターは完了している。 教団は、邪魔なレオンハルトを「魔王の手先」として指名手配し、新勇者を「救世主」として祭り上げたのだ。


「……悔しいですわ」


セリアが拳を震わせる。


「あんな……あんな演出に騙されるなんて! 王都の人々は馬鹿ですの!?」 「人は、分かりやすい『力』と『恐怖』に弱いものさ」


レオンハルトが力なく呟く。


「……レイン。僕はもう、戦えないかもしれない。聖剣も奪われた。腕もない。……ただの敗北者だ」


部屋に重い沈黙が流れる。 かつて僕と引き分けた(実質勝っていた)天才が、ここまで心を折られている。 あの「理外の剣」の絶望感が、改めて僕たちにのしかかる。


「……ふざけるな」


僕は静かに言った。 そして、歩み寄り、レオンハルトの胸ぐらを――片手で掴み上げた。


「い、痛っ……!?」 「腕がない? 聖剣がない? ……だから何だ」


僕は彼を睨みつけた。


「僕たちは最初から『持たざる者』だ。……レベル1から這い上がって、ドブ水をすすって、ここまで来たんだぞ」


僕は、懐から**【機神の右腕キューブ】**を取り出し、彼の膝の上に放り投げた。 ゴトッ。 銀色の塊が鈍く輝く。


「な、これは……?」 「ヴォルカで拾ってきたお土産だ。……機神の『兵装ユニット』。右腕だ」


レオンハルトが目を見開く。 ヴァン先生も「ほう……」と口笛を吹く。


「失くしたなら、付け替えろ。……聖剣よりも凶悪な、神の腕にな」


僕の提案に、全員が息を呑んだ。 人間の体に、機神のパーツを移植する? 狂気の沙汰だ。 だが、セリアが――ニヤリと笑った。


「……可能ですわ。私の技術ハッキングと、ヴァン先生の術式があれば。……神経接続リンク、いけます」 「マジかよ。お前ら、本当にイカれてるな」


ヴァン先生が呆れつつも、楽しそうに笑う。


「……レオンハルト。選べ」


僕は彼の目を覗き込んだ。


「ここで負け犬として腐るか。……それとも、化け物になってでも、あいつ(新勇者)に借りを返しに行くか」


レオンハルトは、膝の上のキューブを見つめた。 そして、自分の失った右腕の断面を見た。 恐怖。屈辱。 そして、その奥にある――消えない炎。


「……借りは、返す主義だ」


彼は震える左手で、キューブを強く握りしめた。 その瞳に、かつての、いやそれ以上の「青い炎」が宿る。


「やろう、レイン。……僕は、君たちの『共犯者』だ」


「交渉成立だ」


僕は彼の手を離した。 これで、役者は揃った。 Sクラスの狂人たち。元処刑人の教師。そして、闇堕ちした元勇者。 教団が作った「完璧なシナリオ」をぶち壊すには、十分すぎるメンバーだ。


「まずはレオンハルトの手術だ。セリア、準備しろ。……ヴァン先生、時間を稼げますか?」 「ああ。ここがバレるまで、あと半日は持つだろう。……面白い見世物になりそうだ」


地下の隠れ家が、一転して「野戦病院」兼「作戦司令室」へと変わる。 王都奪還作戦。 その第一歩は、堕ちた太陽を、鋼鉄の義手で蘇らせることから始まる。

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