【第64話:閉ざされた空】
ドワーフの国ヴォルカを出発して二日目。 僕たちを乗せた魔導飛行船『シルフィード号』は、順調に王都への航路を進んでいた。 眼下にはのどかな平原が広がり、風も穏やかだ。 だが、僕の胸騒ぎは収まらない。
「……変だな」
僕は甲板に出て、進行方向を睨みつけた。 いつもなら、この距離になれば王都のランドマークである「大時計塔」が見えてくるはずだ。 だが、水平線の向こうにあるはずの街が見えない。 代わりに、空の一部が不自然に歪んでいる。
「レイン様、どうなさいましたの?」
セリアが紅茶セットを持って甲板に上がってくる。 僕は無言で前方を指差した。
「あれを、解析してくれ」 「あれ? ……ただの陽炎に見えますけ……ッ!?」
セリアが魔導眼鏡を装着した瞬間、彼女の手からティーカップが滑り落ちた。 ガシャン、と陶器が砕ける音が、静寂を破る。
「……嘘、でしょう? 王都が……消えていますわ」 「消えたんじゃない。隠されたんだ」
船が近づくにつれて、その全貌が明らかになった。 王都アルテッツァ全体を覆い尽くす、半透明の巨大なドーム。 太陽光を屈折させ、外からは中の様子が見えないようにカモフラージュされている。 だが、近づけば分かる。 それは、城壁よりも遥かに強固な「拒絶の壁」だ。
「……通信はどうなってる?」 「ダメですわ! 学園の管制塔、ギルド、屋敷……全ての魔導通信が遮断されています。応答がありません!」
セリアが青ざめた顔でコンソールを叩く。 完全封鎖。 誰かが、王都という巨大な都市を、丸ごと「鳥籠」に閉じ込めたのだ。
「おいおい、帰れねぇのかよ! 俺の筋肉がジムを求めて泣いてるんだぞ!」
騒ぎを聞きつけたガルとエリルたちが甲板に集まってくる。 エリルがドームを見て、短く呟いた。
「……鳥籠。中から出られない。外から入れない」 「ああ。これは防衛結界じゃない。……『監禁結界』だ」
僕は**『鑑定』**を発動した。 距離があるため詳細は見えないが、結界を構成しているマナの「色」だけは判別できる。 白。 あの「サンクチュアリ」が纏っていた、独善的な白だ。
「教団か。……ついに動きやがった」
レオンハルトの顔が脳裏をよぎる。 彼は言っていた。『教団は潜った』と。 だが、それは撤退ではなく、この大規模なクーデター(?)の準備期間だったのだ。 中の様子は分からない。 レオンハルトが無事かどうかも。
「……どうする、レイン? 強行突破する?」
エリルが短剣を抜く。 僕は首を横に振った。
「無理だ。あの規模の結界を力ずくで割れば、衝撃で王都の半分が吹き飛ぶ。それに、侵入者が来たことがバレて、人質が殺されるかもしれない」
船を止めるわけにはいかない。 だが、正面から突っ込めば撃墜される。
「……船を捨てるぞ」
僕が決断すると、全員がギョッとした顔をした。
「はぁ!? 公爵家の船ですのよ!?」 「自動操縦で上空高くに待機させる。……僕たちは、結界の『頂点』から侵入する」
僕は空を指差した。 ドーム状の結界は、構造上、頂点部分のマナ密度が最も薄くなる。 換気口のような「穴」が必ずあるはずだ。
「高度8000メートルからの自由落下。……結界に接触する瞬間に、僕とセリアで中和術式を叩き込んで、人間一人が通れる穴を開ける」
正気の沙汰じゃない。 失敗すれば結界に激突してミンチか、迎撃魔法の餌食だ。 だが、Sクラスの面々は、ニヤリと笑った。
「……燃えてきた。スカイダイビング、筋肉の度胸試しだ!」 「……うふふ、落ちる……地獄へ真っ逆さま……」 「仕方ありませんわね! 私の計算なら成功率80%……いえ、レイン様がいれば100%ですわ!」
全員、覚悟は決まっている。 僕は**【雷神の槍】を背負い直し、全員に【呼吸補助魔法】**をかけた。
「行くぞ。……王都の空を取り戻しにな」
***
高度8000メートル。 酸素が薄く、極寒の世界。 僕たちは船のハッチを開け、虚空へと身を投げ出した。
ヒュオオオオオオオッ!!
猛烈な風圧。 眼下に広がる白いドームが、急速に迫ってくる。 怖い。だが、思考は冷え切っている。
「セリア、座標合わせろ! 中心点より3度右!」 「了解ですわ! ……術式装填、【聖域干渉】!」
迫る結界の表面。 僕とセリアは同時に手をかざし、魔力を一点に集中させた。 結界の波長を読み、同調し、こじ開ける。
「今だッ!!」
ズボォッ!!
結界の頂点に、わずかな歪みが生まれた。 僕たちはその針の穴のような隙間を、身体を一直線にしてすり抜けた。 肌を焼くような不快なマナの感覚。 それを抜けた瞬間――。
景色が一変した。
「……なッ」
眼下に広がっていたのは、いつもの活気ある王都ではなかった。 静まり返った街並み。 大通りを練り歩く、無数の白装束の兵隊たち。 そして、王城の尖塔には、王国の旗ではなく、教団の「剣と歯車」の旗が翻っていた。
「制圧、完了してる……?」
落下しながら、僕は愕然とした。 街には火の手も上がっていない。争った形跡すらない。 つまり、一夜にして無血開城させられたのか? それとも、精神魔法で市民ごと掌握されたのか?
「着地するぞ! 路地裏だ!」
僕たちはセリアの**【浮遊魔法】**で減速し、スラム街に近い路地裏へと音もなく着地した。 成功だ。 誰にも気づかれていない。
「……空気が、重い」
エリルが呟く。 街全体が、見えない圧力に押し潰されているようだ。 人通りはまばらで、歩いている市民たちも、どこか目が虚ろだ。
「情報収集だ。……まずはギルドへ向かう。ガーネットさんなら、無事なはずだ」
僕たちはフードを目深に被り、変わり果てた王都の影を走り出した。 レオンハルト。ヴァン先生。 どうか、生きていてくれ。
だが、路地を抜けた先で見た光景が、僕の足を止めた。 街頭の掲示板。 そこに貼られた真新しい手配書。
【国家反逆罪・指名手配】 対象:レオンハルト・セイクリッド 生死問わず
「……は?」
勇者が、反逆者? 逆だ。教団が国を乗っ取り、レオンハルトを悪者に仕立て上げたんだ。 最悪のシナリオだ。 僕たちは、敵地のど真ん中に飛び込んでしまったらしい。




