表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/114

【第5話:闇に灯る小さな火種】

階段の踊り場。手すりの隙間から、僕は眼下の光景を見下ろしていた。 食堂の空気は凍りついていた。 宿泊客たちは壁際に身を寄せ、怯えたように息を殺している。 中央のテーブルには、荒くれた雰囲気の男が三人。その中心にいる男が、母さんの腕を乱暴に掴み上げていた。


「おいおい、シケた宿だと思ったら、女将は上玉じゃねぇか」 「離してください、お客様。当店では暴力沙汰はご法度です」


母さんの声は冷静だ。だが、抵抗していない。 なぜだ? Lv.28の魔導師なら、こんな男たち一瞬で黒焦げにできるはずだ。 僕は目を凝らし、男を『鑑定』した。


【ジャグ】 職業:傭兵(Lv.14) 状態:酩酊、興奮


(Lv.14……) 一般人よりは強いが、母さんの敵ではない。 だが、状況が悪かった。 宿屋は木造建築だ。しかも周囲には他の客がいる。 強力な攻撃魔法を使えば、店が燃えるか、客を巻き込む。母さんはそれを恐れているんだ。それに、男の腰にある剣。あれを抜かれれば、至近距離では魔法の詠唱よりも速いかもしれない。 「魔導師殺し」のセオリーは、詠唱させない距離まで詰めることだ。男は本能的にそれをやっている。


「へっ、魔法使い様か? 呪文を唱えようとしても無駄だぜ。喉を潰すのが先だからな」


男――ジャグが、下卑た笑みを浮かべて母さんの喉元に手を伸ばす。 まずい。 父さんはまだ来ない。裏庭からここまで、走っても数分はかかる。 その間に、母さんが傷つけられる? ふざけるな。


(僕がやるしかない)


僕は階段の影に身を隠したまま、震える指先を男に向けた。 距離は約5メートル。 今の僕の魔力量とスキルレベルで、届くか? いや、届かせる。 狙いは男の顔面……は無理だ。動いているし、外せば母さんに当たる。 もっと確実に、男が隙を見せる場所。


視線が彷徨う。 男の背後、テーブルの上。そこに、男が飲み干した安酒のボトルが転がっていた。まだ中身が少し残っているらしく、テーブルクロスに琥珀色の液体が滲み出している。 アルコール度数の高い蒸留酒だ。 あそこなら、母さんから離れている。


(燃えろ……!)


僕は丹田に残っているマナを、雑巾を絞るようにして掻き集めた。 血管が焼き切れるような感覚。 イメージしろ。指先から不可視のラインを伸ばし、あのアルコール溜まりに接続する。 着火剤はいらない。僕の意志が火種だ。


『生活魔法』――【着火イグニス】。


チリッ。 僕の指先から放たれたマナが、5メートル先の空間を飛び越え、テーブルの上で物理現象へと変換された。


ボッ!


「うおっ!?」


男のすぐ後ろで、青白い炎が爆発的に燃え上がった。 揮発していたアルコールが一気に引火したのだ。 予期せぬ熱と光、そして炎の音。 ジャグは反射的にビクリと肩を跳ねさせ、母さんを掴んでいた手が緩んだ。 その視線が、一瞬だけ背後の炎に向く。


「な、なんだ!?」


その一瞬があれば、十分だった。


「……失礼いたします」


母さんの声が低く響く。 次の瞬間、母さんの掌底が男のあごを正確に捉えていた。 魔法ではない。純粋な体術だ。 ゴッ、という鈍い音と共に、Lv.14の傭兵の脳が揺らされる。 ジャグは白目を剥き、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。


「兄貴!?」 「てめぇ!」


残りの二人が武器に手をかけようとした、その時だった。


「――ウチの店で、何やってんだお前ら」


地獄の底から響くような声と共に、裏口の扉が開かれた。 父、ガントだ。 手には薪割りの斧を持ったまま。全身から立ち上るプレッシャーは、遠目に見ている僕でさえちびりそうになるほど凶悪だった。 Lv.45の殺気。 残りの二人は、カエルのように硬直した。


「ひ、ひぃっ……!」 「勘定は置いてけよ。治療費込みだ」


そこから先は、一方的な蹂躙だった。 父さんは斧の背で男たちを軽く叩いて(それでも骨が折れる音がした)気絶させ、ゴミのように外へ放り出した。


騒動は収束した。 客たちが「さすがガントさんだ」「奥さんもすげぇな」と喝采を送る。 母さんは乱れたエプロンを直し、ふと、テーブルの上で燃え尽きたアルコールの跡を見つめた。


「……変ね。どうして急に火がついたのかしら」 「タバコの火でも落ちたんじゃないか?」


父さんが豪快に笑い飛ばす。 母さんはまだ少し不思議そうにしていたが、やがて「そうね」と微笑んだ。 誰も気付いていない。 あのタイミングで、4歳の子供が魔法を放ったなんて。


僕はドキドキする心臓を押さえながら、音もなく寝室へと戻った。 布団に潜り込むと、どっと冷や汗が吹き出した。 指先が震えている。 怖かった。バレたらどうしようという恐怖と、人を攻撃したという興奮。 だが、それ以上に……


(やった。僕の魔法が、実戦で通じた)


Lv.14の相手に隙を作らせた。 この事実は、僕にとってどんなレベルアップよりも大きな自信となった。


『鑑定』。


【レイン】 職業:なし(Lv.1) スキル: * 鑑定(Lv.2) * 魔力操作(Lv.2) UP! * 生活魔法(Lv.2) UP! * 隠密(Lv.1) NEW!


ステータス画面に、新しいスキルが増えていた。 【隠密】。 誰にも気付かれずに行動し、成果を上げた報酬だ。 今の僕のスタイルには、これ以上ないスキルだ。


「……ふふ」


僕は闇の中で小さく笑った。 表向きは無力な子供。しかし裏では、誰にも知られずに事態をコントロールする。 この生き方は、悪くない。 疲れ切った僕は、泥のように深い眠りへと落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ