【第40話:鳥籠のカナリア】
その夜。 Sクラスの男子寮にある僕の部屋のドアの下から、一枚の羊皮紙が滑り込んできた。 差出人の名前はない。ただ、美しい筆記体でこう書かれていた。
『今夜0時。時計塔の最上階にて待つ。一人で来られたし』
罠の可能性もある。 だが、あのレオンハルトがそんな真似をするとは思えない。 昼間の決闘。彼は僕の「反則」を見抜き、それを許容した。 その真意を確かめる必要がある。
「……レイン、どこ行くの?」
深夜、こっそりと部屋を出ようとした僕を、闇の中からエリルが呼び止めた。 彼女はベッドの上で、短剣を抱いて座っている。起きていたのか。
「ちょっと散歩だ。……野暮用だよ」 「……女?」 「違う。男だ」 「……ふーん」
エリルは少し不満そうに鼻を鳴らしたが、それ以上は追求しなかった。 「戻らなかったら、時計塔を爆破しに行く」という物騒な独り言を聞き流し、僕は寮を抜け出した。
***
深夜の学園は死んだように静かだった。 巨大な時計塔の螺旋階段を登りきると、そこには冷たい夜風が吹き抜ける展望台があった。 月明かりの下、欄干に腰掛け、王都の夜景を見下ろす白い影。 レオンハルトだ。
「……来たね、レイン」
彼は振り返らずに言った。 その声には、昼間の演説のような張りはなく、どこか疲れが滲んでいた。
「呼び出した理由は?」 「単刀直入だね。……まあ、座りなよ。ここは教師も見回りに来ない『死角』だ」
僕は警戒を解かずに、彼から少し離れた場所に立った。 レオンハルトは苦笑し、手元の缶コーヒー(学園の購買で売っている安物だ)を僕に投げた。
「毒なんて入ってないよ」 「……どうも」
プルタブを開け、一口飲む。甘ったるいミルクコーヒーの味。 勇者様が飲むには庶民的すぎる。
「君に聞きたいことがあったんだ」
レオンハルトは夜景を見つめたまま、静かに口を開いた。
「君の剣……あれは『ガント・ルイス』の剣だね?」 「……父を知っているのか?」 「元近衛騎士団長、ガント。……『サンクチュアリ』の闇に触れ、王都を追われた英雄だ」
心臓が跳ねた。 こいつ、どこまで知っている?
「僕は教団に育てられた。彼らは君の父親を『裏切り者』と呼んでいたよ。……でも、僕は違和感を持っていた。あんなに強い人が、なぜ逃げたのかと」
レオンハルトがこちらを向く。 その青い瞳は、月光を受けて冷たく輝いている。
「今日、君と戦って分かった。君の剣には、父譲りの重さと……教団に対する『明確な殺意』が混じっていた」 「……だとしたら?」 「僕も同じさ」
彼は自嘲気味に笑い、自分の胸元――純白の制服の下にある、金色のペンダントを引きちぎるように掴んだ。
「人々は僕を『光の愛し子』と呼ぶ。……だが現実は違う。僕は『鳥籠のカナリア』だ」
『鑑定』。 僕は意識を集中し、昼間は弾かれた彼のステータスを、今一度覗き込んだ。 彼が自ら「防御」を緩めている今なら、見えるはずだ。
【レオンハルト・セイクリッド】 職業:勇者(Lv.32) 状態:呪縛(サンクチュアリによる精神監視・中)、強制加護 スキル: * 聖剣召喚 * ???(封印中)
(精神監視……!?)
「見えるかい? 君のその『眼』なら」
レオンハルトは僕の視線に気づき、寂しげに微笑んだ。
「僕は幼い頃に両親から引き離され、教団施設で『勇者』として造り上げられた。……この聖剣の加護は、僕に強大な力を与える代わりに、僕の居場所と感情を常に教団へ送信している」 「……監視カメラ付きの首輪ってわけか」 「ああ。だから僕は、表立って教団に逆らえない。僕が反乱の意思を見せれば、人質に取られている実の妹がどうなるか分からないからね」
完璧超人に見えた彼もまた、人質を取られ、システムに搾取される被害者だった。 父さんと同じだ。
「君が羨ましかったよ、レイン。……泥にまみれても、反則を使っても、自分の意志で剣を振るえる君が」 「買い被りだ。僕はただ、生き残りたいだけさ」 「それでいい。……だから、君に頼みたい」
レオンハルトは欄干から降り、僕の正面に立った。 そして、右手を差し出した。
「僕は光の下でしか動けない。教団の監視があるからだ。……だが、君なら『影』を歩ける」 「……僕に、お前の汚れ役をやれと?」 「『共犯者』と言ってほしいな。……この学園の地下には、教団が隠している『何か』がある。僕が近づくと隠蔽されるが、君なら見つけられるはずだ」
彼は真剣な眼差しで僕を見つめた。
「その『何か』を暴いてほしい。それが教団を揺るがす弱点になるなら……僕は君の盾になろう。生徒会も、勇者の権限も、全て君のために使う」
悪くない取引だ。 僕は「機神」のパーツを探している。彼は教団の弱点を探している。 利害は一致している。 何より、この「勇者」を味方につければ、学園内での立ち回りが圧倒的に楽になる。
「……いいだろう。ただし、勘違いするなよ」
僕は彼の右手を強く握り返した。
「僕は正義のためにやるんじゃない。僕の敵を排除するためにやるんだ」 「フッ、頼もしいね。……よろしく頼むよ、相棒」
握手は短く、力強かった。 光の勇者と、影の冒険者。 水と油のような二人が、共通の敵「サンクチュアリ」を前に手を組んだ瞬間だった。
「それと、レイン。一つ忠告だ」
別れ際、レオンハルトは声を潜めた。
「Sクラスの担任、ヴァン先生には気をつけろ。……あの人は、かつて教団の『処刑人』だったという噂がある」
爆弾情報をサラリと残し、レオンハルトは闇に消えていった。 あの酒クズ教師が、処刑人? 学園という鳥籠の中は、僕が思っていた以上に魔窟らしい。
僕は飲み干した空き缶をゴミ箱に投げ捨て、ニヤリと笑った。
「上等だ。……全部暴いてやる」
時計塔の鐘が、深夜の一時を告げた。 僕の学園生活は、どうやら勉強どころではなさそうだ。




