【第39話:勇者との対決】
第3演習場は、異様な熱気に包まれていた。 生徒たちが固唾を呑んで見守る中、金属音だけが鋭く響き渡る。
「……ッ、くぅ……!」
僕は歯を食いしばり、半歩下がる。 重い。 レオンハルトの剣は、ただの「振り」一つ一つが、大岩を投げつけられるような質量を持っている。 受けてはいけない。受ければ腕が折れる。 だから「いなす」しかないのだが、その速度が異常だ。
(……見える。見えてはいるんだ!)
**スキル【並列思考】**が脳内で火花を散らす。 父さんの教え通り、彼の視線、肩の僅かな沈み込みから、次の軌道を予測できている。 「右薙ぎ」「突き」「袈裟懸け」。 未来の映像は頭にある。 だが、Lv.20の僕の体が、Lv.30オーバーの彼の速度に追いつかない。
「どうした、レイン君。防戦一方じゃないか」
レオンハルトは涼しい顔で剣を振るう。 息一つ乱れていない。 彼にとっては、これは準備運動に過ぎないのだ。 僕の頬を、剣風が切り裂く。赤い線が走り、血が垂れる。
(……詰む。このままじゃ、ジリ貧だ)
スタミナが削られ、集中力が切れた瞬間に終わる。 僕の負けだ。 「剣のみ」というルールを守る限り、凡人は天才に勝てない。 それが残酷な現実。
――だが。 僕はニヤリと口角を上げた。
(『ルールを守る限り』は、な)
僕はバックステップで大きく距離を取った。 レオンハルトが眉をひそめる。
「降参かい?」 「まさか。……ここからが本番だ」
僕は剣を正眼に構え直した。 呼吸を整える。 マナを練り上げる。 「魔法禁止」。それは、外部への魔法現象(火を出したり、身体強化の光を纏ったり)を禁じるものだ。 ならば、**「見えない魔法」**なら?
僕は、握りしめた剣の柄と、掌の接点に、極小のマナを集中させた。 スキル【魔力操作】――ミクロ単位の圧縮。 やることは単純だ。 インパクトの瞬間に、掌の中で小さな「爆発」を起こす。 その推進力を、剣を振るう筋力に上乗せする。 傍目には、ただの「渾身の一撃」にしか見えないはずだ。
「……行くぞ」
僕は地面を蹴った。 真正面からの突撃。自殺行為だ。 レオンハルトの目が「愚かな」と語り、迎撃の構えを取る。 彼の剣が、僕の脳天を砕こうと振り下ろされる。 見える。 今だッ!
僕は父さんの技「後の先」をなぞるように、一歩深く踏み込んだ。 そして、下から上へ、彼の剣を弾き飛ばすように斬り上げる。
(爆ぜろッ!)
『無詠唱・極小爆縮』
ドンッ!!
僕の掌の中で、圧縮された空気が爆ぜた。 手首が砕けそうな衝撃。 だが、その反動は僕の剣速を、物理限界を超えた領域へと加速させた。
「なっ――!?」
レオンハルトが初めて目を見開く。 彼の想定速度を遥かに超えた僕の剣が、彼の大剣を弾き飛ばし――
キィィィンッ!
甲高い音が響き、静寂が訪れた。
僕の剣先は、レオンハルトの喉元、皮膚一枚手前で止まっていた。 あと数ミリ進めば、頸動脈を切断している。
「……終わりだ、勇者様」
僕は荒い息を吐きながら告げた。 勝った。 反則だろうが何だろうが、先に喉元を取ったのは僕だ。 会場がどよめきに包まれる。 「おい、今の見えたか?」「あいつ、レオンハルト様の剣を弾いたぞ!」
だが。 レオンハルトは動じていなかった。 彼は自分の喉元の剣を見下ろし、次に、僕の「手」を見た。 そこからは、摩擦熱で焦げたような煙が、ほんの僅かに立ち上っていた。
「……へえ」
レオンハルトは、僕だけに聞こえる声で囁いた。
「すごい膂力だね。……火薬でも仕込んだような音がしたよ」 「……気のせいだろ。ただの筋肉だ」 「君のマナの残滓がする。……掌の中で、指向性の衝撃波を作ったね?」
バレている。 やはり、この男は化け物だ。 僕の【隠密】と【魔力操作】で完全に隠蔽したはずの「反則」を、至近距離で見抜いた。
「……で? 審判に告げ口するか?」
僕は挑発した。 もし彼がここで「魔法を使った」と言えば、僕は失格だ。 だが、レオンハルトはフッと笑った。 それは侮蔑ではなく、どこか楽しげな、子供のような笑顔だった。
「まさか。証拠もないのに言いがかりはつけられないよ。それに……」
彼はゆっくりと、自分の剣を引いた。 いや、彼の手には剣がなかった。弾き飛ばされたはずだ。 だが、彼の手には「鞘」が握られていた。 いつの間にか、左手の鞘で、僕の脇腹に切っ先を突きつけていたのだ。
「僕の鞘も、君の肝臓を捉えている。……実戦なら、相打ちだ」
ぞくりとした。 僕が魔法で加速した瞬間、彼は剣を捨てて、鞘でのカウンターを合わせに来ていたのだ。 反応速度が人間じゃない。
レオンハルトは一歩下がり、会場に向かって高らかに宣言した。
「――そこまで! この勝負、引き分けとする!」
会場が「ええーっ!?」とざわめく。 寸止めに見えた僕が勝ったのではないか、という空気だ。 だが、レオンハルトは僕の肩を抱き寄せ、耳元で囁いた。
「君の勝ちにしてあげてもよかったけど、それじゃ君のプライドが許さないだろう? ……『反則』を使ってまで勝ちに来た、その執念に免じてドローだ」 「……性格悪いな、あんた」 「よく言われるよ。……ようこそ、特務Sクラスへ。退屈しなくて済みそうだ」
彼は僕の背中をバンと叩き、爽やかに手を振って去っていった。 完璧な幕引き。 僕の面子(剣術での善戦)を保ちつつ、自分の格も落とさない。 政治的にも最強かよ。
「レイン!」
エリルとセリアが駆け寄ってくる。
「大丈夫!? 怪我は!?」 「手……真っ赤ですわよ。火傷してますわ」
セリアが僕の掌を見て顔をしかめる。 爆縮の反動で、皮膚が裂け、火傷を負っていた。
「……平気だ。これくらいで済んでよかった」
僕は遠ざかるレオンハルトの背中を見つめた。 引き分け? 冗談じゃない。実質的な完敗だ。 僕は反則技(切り札)を切って、やっと彼の「遊び」に追いついただけ。 彼が本気で「聖剣」を使っていたら、僕の体は消し炭になっていた。
「……悔しいな」
ポツリと漏らした言葉は、本音だった。 Lv.20とLv.30の壁。 そして、「正義」と「邪道」の壁。 けれど、一つだけ収穫はあった。
彼はこちら側の「臭い」に気づいた。 そして、それを受け入れた(・・・・・)。 清廉潔白な勇者様に見えて、彼もまた、清濁併せ呑む器を持っている。
「面白くなってきたじゃないか」
僕はジンジンと痛む掌を握りしめた。 この学園には、魔王や機神の謎だけでなく、超えるべき「壁」がいる。 それは、退屈しない青春になりそうだった。




