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【第38話:勢いの代償】

Sクラスの教室に戻るなり、僕は机に突っ伏した。 ガゴンッ、と額が天板を打つ音が響く。


「……バカだ。僕はバカだ」 「ええ、バカですわね。阿呆ですわ。脳みそが筋肉になったのかと思いましたわ」


セリアが容赦なく追い打ちをかけてくる。 彼女は黒板にチョークで数式を書きなぐっていた。 『レインの勝率計算式』だそうだ。


「いいですか? 相手はレオンハルト。推定Lv.30以上の『勇者候補』ですのよ? 身体能力、反応速度、剣技の熟練度。全ての基礎ステータスにおいて、彼はあなたを上回っています」


セリアが黒板をビシッと叩く。


「あなたが彼に対抗できていたのは、**【魔力操作】**による身体強化ブーストと、魔法による遠距離牽制があったからです。それを自ら封じるなんて……裸でドラゴンに喧嘩を売るようなものですわ!」 「分かってるよ……!」


僕は顔を上げた。 食堂では勢いで「受けて立つ」なんて言ったが、冷静になればなるほど、事態の深刻さが胃にくる。 魔法禁止。 それはつまり、僕の生命線である「身体強化」が使えないことを意味する。 Lv.20の素の身体能力 vs Lv.30オーバーの勇者ボディ。 大人と子供……いや、ゴリラとウサギくらいの差がある。


「……レイン。私が代わりにやる?」


エリルが心配そうに覗き込んでくる。 彼女なら魔法なしでも、純粋な暗殺術でレオンハルトと渡り合えるかもしれない。 だが、それでは意味がない。


「いや……僕がやると言ったんだ。それに、ここで逃げたら一生『口だけの魔導師』って言われる」 「でも、勝算は?」


エリルが首を傾げる。 勝算。 普通に考えればゼロだ。 まともに打ち合えば、剣ごと腕を折られて終わる。 速さで撹乱しようにも、相手の脚力の方が上だ。


「……はぁ」


僕は腰のショートソードを抜き、その刀身を見つめた。 父、ガントから譲り受けたわけではない、王都で買った量産品の剣。 だけど、そこに宿すべき「重さ」は知っている。


(父さんなら、どうする?)


脳裏に、あの「卒業試験」の光景が蘇る。 Lv.46の父さんに対し、僕は魔法と策を総動員してやっと膝をつかせた。 だが、父さんは魔法なんて使わなかった。 純粋な技術と、圧倒的な経験値だけで僕たちを翻弄した。


『いいかレイン。敵が格上であることは前提だ。速い奴、重い奴、魔法を使う奴。世界には腐るほどいる』


父さんの声が再生される。


『目で追うな。気配で感じるな。……**”意図”**を読め』 『人間が動く前には、必ず脳が命令を出す。視線、重心、呼吸の乱れ。そこに”未来”が書いてある』


僕はハッとした。 そうだ。 僕はレオンハルトの「身体能力」には勝てない。 だが、僕には父さんにはなかった武器がある。 **スキル【並列思考】**と、**Lv.8の【鑑定】**だ。


「……セリア。黒板消してくれ」 「へ?」 「計算式が間違ってる。変数は『ステータス』じゃない。『情報処理速度』だ」


僕は立ち上がった。 魔法(外部への干渉)は禁止だ。 だが、**【並列思考】(脳内の加速)**は魔法じゃない。スキルだ。 審判にも感知できない、僕だけの領域。


相手の筋肉の収縮を視る。 視線の先を視る。 踏み込みの深さを視る。 それを高速演算し、彼が剣を振るう「コンマ数秒前」に、回避行動を先置きする。


「……未来予知もどき、か。脳が焼き切れそうだな」


リスクは高い。一度でも読み間違えれば、その瞬間に負けだ。 だが、それしか道はない。


「エリル、剣を貸してくれ。……時間まで、目が慣れるまで振らせてほしい」 「ん。付き合う」


エリルが短剣を構える。 放課後まであと三時間。 泥縄もいいところだ。 だが、悪あがきこそが僕の真骨頂だ。


「見てろよ、勇者様。……凡人が天才を食う瞬間を教えてやる」


胃の痛みは消えない。手汗も止まらない。 けれど、僕の瞳には、微かな、しかし鋭い勝機の光が宿り始めていた。

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