【第34話:勇者】
王立魔導学園。 王都の北区画に広大な敷地を持つその場所は、単なる教育機関ではない。 高さ50メートルの時計塔を中心に、白亜の校舎が立ち並び、敷地全体が強力な防御結界で守られた、一つの「城塞都市」だ。 入学試験当日。 正門前は、煌びやかな馬車の列で埋め尽くされていた。
「……場違いだな」
僕は校門を見上げ、苦笑した。 周囲を見渡せば、高価なローブや宝飾品を身につけた貴族の子弟ばかり。 従者を連れている者も珍しくない。 対して、僕とエリルは冒険者装備のままだ。 新品の高級装備とはいえ、実戦用の革と金属の匂いがする僕たちは、この華やかな場所で明らかに浮いていた。
「……レイン。視線が痛い」 「気にするな。羊の中に狼が混ざったようなもんだ」
エリルがフードを深く被り、不機嫌そうに呟く。 彼女からすれば、周囲の貴族たちのひ弱な首筋は、隙だらけの的にしか見えないだろう。 僕たちはギルドマスターからの推薦状を懐に、受付へと歩を進めた。
「あら、見て。平民よ」 「冒険者崩れか? 野蛮な連中が、神聖な学舎に何の用だ」
ヒソヒソと嘲笑の声が聞こえる。 だが、その嘲笑はすぐに凍りつくことになる。 僕たちが受付を済ませ、試験会場となる大講堂へ向かおうとした、その時だった。
ビリリッ。
肌が粟立つような感覚。 殺気ではない。もっと純粋で、圧倒的な「圧」が、校門の向こうから近づいてくる。 僕の懐にある**【古代管理者のIDカード】**が、共鳴するように微かに熱を持った。
「……レイン、来る」
エリルが短剣の柄に手をかける。 人混みが、モーゼの海割れのように左右に開いた。 現れたのは、一人の少年だった。
年齢は僕と同じくらい。 太陽の光をそのまま糸にしたような金髪。 澄み切ったサファイアのような青い瞳。 身につけているのは、純白の騎士服。 彼が歩くだけで、周囲のマナが浄化され、キラキラと輝いているようにすら見える。
「……勇者様だ」 「レオンハルト様よ……! 今年の首席合格間違いなしと言われる……」
周囲の令嬢たちが頬を赤らめ、男子生徒たちが畏敬の念で道を譲る。 圧倒的なカリスマ。 生まれながらにして「主役」となることを約束された存在。
だが、僕は違和感しか感じなかった。 彼の纏うマナの波長。 それは、あの腐った森で見た「サンクチュアリ」の白装束たちと、同質の輝きを秘めていたからだ。
(……教団の関係者か?)
僕は無意識に**『鑑定』**を発動した。
【レオンハルト・セイクリッド】 年齢:12歳 職業:勇者候補(Lv.??) 称号:光の愛し子、教団の剣 スキル:【聖剣召喚】、■■■■(鑑定不能) 状態:加護(鑑定阻害・強)
(鑑定が……弾かれた?)
Lv.8に達した僕の鑑定眼が、通じない。 「神の加護」とでも言うべき強固なプロテクトがかかっている。 化け物だ。 レベルはおそらく、20を超えている。いや、30に近いかもしれない。 12歳にして、僕以上の怪物がここにいる。
そのレオンハルトが、ふと足を止めた。 彼の青い瞳が、群衆の中にいる「異物」――僕を正確に捉えた。 彼は迷わず、僕の方へと歩いてきた。
「……君か」
鈴を転がすような、涼やかな声。 だが、その瞳に宿っているのは友愛ではない。 本能的な「嫌悪」と「警戒」だ。
「……何かな?」
僕も逃げずに見返した。 至近距離。 光と闇が対峙する。 彼の全身から放たれる聖なるオーラが、僕の肌を焼くようにチリチリと刺激する。 対抗するように、僕の魔力が無意識に溢れ出し、周囲の空気を歪ませる。
「君からは……『錆びた鉄』の臭いがする」
レオンハルトは静かに言った。 錆びた鉄。 それは、僕が持つIDカードや古代兵器、そして「機神」を指しているのか。 それとも、僕という存在そのものが、この世界にとっての「異物」だと言いたいのか。
「君からは、『お香』の臭いがするよ。……寺院の奥で焚かれているような、カビ臭いのがね」
僕が皮肉で返すと、周囲の貴族たちが「無礼な!」と息を呑んだ。 だが、レオンハルトは怒らなかった。 ただ、悲しげに目を細めた。
「……悔い改める機会があればいいが。君の進む道は、行き止まりだ」 「道がないなら、壁を壊して進むだけさ」 「そうか。……なら、僕がその壁になろう」
宣戦布告。 彼はそれだけ言い残し、再び歩き出した。 彼が通り過ぎた後には、光の残滓だけが漂っていた。
「……あいつ、嫌い」
エリルが殺気を隠そうともせずに呟く。 彼女の指は、いつでもナイフを抜けるように震えている。
「斬っていい?」 「やめとけ。今のままじゃ、エリルでも勝てない」
僕は正直な分析を口にした。 悔しいが、格が違う。 彼は「勇者」として完成されている。 対して僕は、まだ「冒険者」の枠を出ていない。
「……でも、面白い」
僕は拳を握りしめた。 教団が送り込んできた最強の駒。 彼がいるということは、この学園には間違いなく「何か」がある。 魔王の痕跡か、それとも機神のパーツか。
「行き止まりだって? ……上等だ。僕がその綺麗な舗装道路を、泥だらけにしてやる」
カラン、コロン。 時計塔の鐘が鳴り響く。 入学試験の開始を告げる合図だ。
僕たちは視線を、前方の巨大な講堂へと向けた。 そこには既に、数百人の受験生が集まっている。 その最前列には、光り輝くレオンハルト。 そして、その後方で手招きしている、銀髪の公爵令嬢セリアの姿も見えた。
役者は揃った。 ここからは、力なき正義も、知恵なき暴力も通用しない。 全てを持った者だけが生き残る、エリートたちの蠱毒。
「行くぞ、エリル。……手始めに、この学園の常識を測ってやる」
僕は不敵な笑みを浮かべ、講堂の重い扉をくぐった。 新たな戦場での、最初の一歩を踏み出した。




