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【第3話:父の背中】

次に目を覚ました時、窓の外は既に夕暮れの色に染まっていた。 気絶してから半日近く眠っていたらしい。 心配して駆け寄ってきた母さんに「お腹が空いて倒れただけ」と嘘をつき、出されたかぼちゃのポタージュを啜りながら、僕は思考を巡らせた。


(魔力切れ……まさか、鑑定を連発しただけで倒れるとは)


自分の容量キャパシティの少なさに愕然とする。 だが、収穫はあった。父、ガントはLv.45の元・近衛騎士だ。 この国――いや、この世界の平均レベルは分からないが、冒険者のボリスたちがLv.3や4だったことを考えれば、父は「怪物」の領域にいる。 そんな怪物が、なぜこんな辺境の宿屋でくすぶっているのか? 疑問は尽きないが、今はそれを聞く時ではない。利用するんだ。この最強の教材を。


翌朝、僕は早起きをして裏庭へ向かった。 カーン、カーン、と乾いた音が響いている。 父が薪割りをしていた。 丸太を台に乗せ、無造作に斧を振り下ろす。その動きには一切の力みがない。まるで豆腐でも切るかのように、硬い薪が真っ二つに弾け飛ぶ。


『鑑定』。


【ガント】 職業:元・近衛騎士(Lv.45)


やはり見間違いじゃない。 僕は意を決して、父の元へ歩み寄った。


「父さん」 「ん? おう、レインか。早いな。腹が減ったか?」


父は斧を置き、汗を拭いながら屈託なく笑う。 その笑顔は優しい父親のものだが、僕は知っている。その腕が、数多の敵を葬ってきた凶器であることを。


「父さん、お願いがあるの」 「なんだ? おもちゃか?」 「僕に、強くなり方を教えてほしい」


父の動きが止まった。 笑みが消え、探るような視線が僕を射抜く。たったそれだけで、肌が粟立つほどのプレッシャーを感じる。


「……強くなってどうする。喧嘩でもしたか?」 「ううん。ただ……外の世界は危ないでしょう? 父さんや母さんを守れるくらい、強くなりたいんだ」


4歳児のセリフとしては出来過ぎかもしれない。だが、本心だ。 二度と無力なまま死にたくない。 父はしばらく僕を見つめていたが、やがて「ふっ」と鼻で笑い、大きな掌で僕の頭をガシガシと撫でた。


「バカ言え。お前を守るのは俺の仕事だ。それに、剣なんて持つには10年早い」 「剣じゃなくていい! ……何か、手伝いをさせて!」


僕は食い下がった。 父は少し困った顔をしたが、足元に転がる薪の欠片――子供の腕ほどの太さの木切れを拾い上げた。


「なら、これをあっちの薪小屋まで運んでみろ。全部だぞ?」


それは、大人の目から見ればただの「お片付け」だった。 だが、僕にとっては試練だった。 地面には、割り終えた薪が山のように積まれている。 僕は頷き、一本の薪を抱え上げた。ずしりと重い。未発達な腕の筋肉が悲鳴を上げる。 それでも、僕は黙々と運び始めた。 往復、また往復。 父はその様子を横目で見ながら、再び斧を振り始めた。


(見てろよ……ただの子供じゃないってことを証明してやる)


息が上がる。足がもつれる。 それでも僕はやめない。これは筋トレだ。基礎ステータスを上げるための、地味だが確実な一歩だ。 ふと、足元の土の上に黒い影が動いているのが見えた。 小指ほどの大きさの、硬そうな甲殻を持つ虫だ。


『鑑定』。


【石食い蟲】 種族:蟲 職業:なし(Lv.1)


レベル1。 僕と同じレベルだ。だが、相手はただの虫。 衝動が走る。 こいつを殺せば、どうなる? ゲーム知識で言えば、経験値(XP)が入るはずだ。 僕は周囲を確認する。父は薪割りに集中している。 僕は抱えていた薪を、その虫の上に落とそうとし――思いとどまった。 それでは「事故」だ。僕の意志で、僕の力で殺さなければ意味がないかもしれない。


僕は薪を置き、石食い蟲を踏みつけようとしたが、硬い甲殻に弾かれそうだ。 手近な石を拾う。握り拳大の石。 深呼吸。 罪悪感? ない。前の世界でゴキブリを叩き潰すのと変わらない。これは実験だ。


「……ふっ!」


短い呼気と共に、僕は石を振り下ろした。 グシャ、という嫌な感触。 石をどけると、石食い蟲は体液を撒き散らして潰れていた。 完全に、死んでいる。


僕は息を止めて、「何か」が起きるのを待った。 ファンファーレ? 光? アナウンス? ……何も起きない。 身体が急に軽くなったりもしない。


(駄目か……? いや、待て)


僕は自分自身に『鑑定』をかけた。


【レイン】 職業:なし(Lv.1)


レベルは1のまま。 だが、その文字の横に、今まで見えなかった小さな「ゲージ」のようなものが、本当にごく僅かだが、ミリ単位で白く発光しているように見えた。 気のせいか? いや、さっきまでは無かったはずだ。


(経験値ゲージ……の可視化?)


まだ確証はない。だが、もしこれが経験値の蓄積を示しているなら、この虫をあと何百匹、何千匹殺せばレベルが上がる? 気が遠くなるような作業だ。 だが、道は見えた。 「殺せば、強くなる」。その残酷なルールが、この世界でも適用される。


「おいレイン! サボってんじゃねえぞ!」


父の声が飛んできた。 僕は慌てて「今やる!」と叫び、再び薪を抱え上げた。 その小さな背中には、さっきまでとは違う、確かな熱が宿っていた。


昼過ぎ、全ての薪を運び終えた僕は、泥だらけになって食堂の床にへたり込んだ。 それを見た父さんが、ニヤリと笑ってコップ一杯の果実水を差し出してきた。


「悪くなかったぞ。……明日もやるか?」


その言葉は、僕を「ただの幼児」から「見込みのある男」へと少しだけ格上げした証だった。


「うん、やる」


コップを受け取り、一気に飲み干す。 甘酸っぱい味が、乾いた喉に染み渡った。 Lv.45への道は果てしなく遠い。 けれど、僕は歩き出したのだ。

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