【第26話:母の灯火、父の石化】
丘を越え、僕たちの視界に故郷の村が飛び込んできた時、心臓が凍りついた。 そこはもう、僕の記憶にある平和な村ではなかった。
「……ひどい」
エリルが絶句する。 家々は半壊し、屋根は抜け落ち、路地には黒いマナの霧が立ち込めている。 かつて子供たちが走り回っていた広場には、異形と化した家畜や、変わり果てた「何か」が徘徊していた。 だが、全滅ではなかった。 村の中心、宿屋「銀の杯」亭。 そこだけが、薄く、けれど温かな金色の光のドームに覆われていた。
「結界だ……!」
しかし、その光は風前の灯火のように明滅している。 ドームの周囲には、汚染された魔物たちが群がり、爪を立てて光の壁をガリガリと削っていた。
「母さんッ!!」
僕は馬から飛び降り、魔物の群れに向かって疾走した。 思考などいらない。ただ排除するだけだ。
「どけぇぇぇッ!!」
『拡散火弾』――フルバースト! 扇状に放たれた炎の弾丸が、結界に群がる魔物たちを吹き飛ばす。 エリルも続く。彼女は馬の背から跳躍し、空中で回転しながら短剣を投擲。魔物の急所を正確に貫く。 セリアは後方から馬上で杖を掲げた。
「穢れし者よ、退きなさい! 【聖光閃】!」
一筋の閃光が走り、魔物たちを焼き払う。 包囲網の一角が崩れた。 僕はその隙間を縫って、光のドームの中へと飛び込んだ。
「母さん! 開けてくれ、レインだ!」
宿屋の扉を叩く。 ガチャリ、と鍵が開く音がして、重い扉が少しだけ開いた。 隙間から見えたのは、古参の従業員の顔だった。
「坊ちゃん……!? 生きてたんですか!」 「話は後だ! 母さんは!?」
僕は強引に中へ入った。 食堂の床には、生き残った村人たちが身を寄せ合っていた。怪我人も多い。 そして、カウンターの奥。 いつも父さんが座っていた場所に、母、マリアがいた。 椅子に座り、両手を広げ、目を閉じて祈るように魔力を放出し続けている。
その姿を見て、僕は息を呑んだ。 痩せ細っていた。 かつてのふっくらとした健康的な姿は見る影もない。頬はこけ、美しい金髪は白髪混じりになり、肌は土気色をしている。 命を削っているのだ。 自身のマナが尽きてもなお、生命力を変換して結界を維持している。
「……母さん」
僕が震える声で呼ぶと、母さんの瞼がゆっくりと持ち上がった。 焦点が合うのに時間がかかる。
「……レイン? ……ああ、夢かしら」 「夢じゃない! 帰ってきたよ、母さん!」
僕は母さんに駆け寄り、その冷え切った手を握った。 骨と皮のような手触り。 母さんは僕の顔を確認すると、枯れ木のような笑顔を見せた。
「よかった……無事だったのね。エリルちゃんも……」 「喋らないで! すぐに結界を解いて!」 「駄目よ……解いたら、みんな死んでしまうわ……」 「僕たちがいる! 魔物は追い払った!」
それでも母さんは首を振った。 彼女の意識はもう朦朧としていて、「守らなければ」という強迫観念だけで動いている。 これじゃ死ぬ。数時間も持たない。
「そこをどいてくださいまし!」
鋭い声と共に、セリアが僕を押しのけて前に出た。 彼女は母さんの肩に手を置くと、鞄から最高級のマナポーションと、幾つかの宝石を取り出し、床に魔法陣を描き始めた。
「術式解析……生命力変換型、なんて非効率な! お義母様、もう休んで結構ですわ! 外部魔力供給接続!」
セリアが宝石を触媒に、自身の膨大な魔力を結界の術式に流し込む。 ブゥン! と音がして、明滅していた結界が、強固で安定した白銀の輝きを取り戻した。
「……あ」
負担が消え、母さんの体がガクンと崩れ落ちる。 僕はそれを抱き止めた。軽い。あまりにも軽い。
「……レイン、父さんが……2階に……」
母さんは最後にそう言い残し、深い眠りに落ちた。 生きてはいる。だが、過労と衰弱が限界を超えている。 僕は村人たちに母さんを任せ、階段を駆け上がった。
2階の寝室。 そこには、絶望的な光景があった。 ベッドに横たわる父、ガント。 その体は、左半分が黒い結晶体――石のように硬質化していた。 皮膚が岩のように変質し、血管が黒く浮き出ている。 意識はない。呼吸も浅く、苦しげだ。
『鑑定』。
【ガント】 Lv. 46 状態:結晶化呪い(進行度:60%)、マナ強制徴収中 原因:【黒の塔】とのパス接続
(……なんだこれ)
病気じゃない。 父さんは「吸われて」いる。 あの巨大な塔が、父さんという高レベルの個体を「電池」として利用し、マナを搾り取っているのだ。 そして、その反動で身体が石化している。
「……酷い」
遅れて入ってきたエリルが口元を押さえる。 セリアも顔をしかめ、父さんに診断魔法をかけた。
「……レイン様。これは治療魔法では治せません」 「分かってる。病気じゃないからな」 「ええ。お父様のマナ回路が、外部の何かと強制的に繋がれています。例えるなら、太いパイプを心臓に突き刺されて、血を抜かれているような状態。……パイプを断ち切らない限り、あと三日で全身が石になります」
三日。 Lv.46の父さんですら、あと三日しか持たない。 母さんはそれを守るために、命を削っていたのか。
僕は父さんの、まだ石化していない右手を握った。 あの強くて、大きくて、分厚い手。 僕に剣を教えてくれた、無敵の父さん。 それが今は、冷たい石に変わろうとしている。
「……許さない」
腹の底から、どす黒い感情が湧き上がった。 黒竜王への恐怖とは違う。 明確な殺意。 僕の家族を、僕のテリトリーを、ただの「資源」として扱った何者かへの激怒。
僕は窓辺に立ち、遠くに見える「黒い塔」を睨みつけた。 あの塔が元凶だ。 あそこには何がある? 機神か? 魔王の尖兵か? どうでもいい。 ぶっ壊す。
「……行くぞ、エリル、セリア」
僕は振り返った。 その目には、もう迷いも焦りもなかった。あるのは冷徹な計算と、燃え上がる闘志だけ。
「父さんのパイプを切りに行く。……あの塔を、物理的にへし折る」
エリルがナイフを抜き、静かに頷く。 セリアも杖を握りしめ、真剣な眼差しを返した。
「レイン様の敵は、私の敵ですわ」 「ああ。……戦争だ」
僕はIDカードを強く握りしめた。 古代の兵器だろうが、魔王だろうが関係ない。 僕の親父を電池にしたことを、地獄の底で後悔させてやる。




