【第25話:銀色の聖女と白き巡礼者】
夜明け前。 空気は重く、腐った泥のような臭気が鼻をつく。 僕とエリルは、限界に近い馬を休ませながら、汚染された森の道を慎重に進んでいた。 ポーションで体力は回復できても、精神的な摩耗は拭えない。 エリルの左腕には、先ほどの戦闘で受けた酸の火傷が赤くただれ、痛々しい痕を残していた。
「……あと一日。持てよ、僕の身体」
その時だった。 背後の街道から、猛烈な勢いで接近してくる「光」があった。 魔物の気配ではない。もっと純粋で、強烈なマナの輝き。
「レイン、敵!?」 「いや……この無遠慮な魔力波長は……まさか」
僕たちが身構える中、その光は白馬と共に現れた。 馬だけではない。馬の蹄が発光し、物理法則を無視した加速がかかっている。 その背に跨り、ドレスの裾を翻して現れたのは――。
「見つけましたわよぉぉぉッ!!」
銀髪の公爵令嬢、セリアだった。 彼女は僕たちの前で手綱を強く引き、馬を急停止させた。 いななく馬。舞い上がる土煙。 彼女はゼェゼェと肩で息をしながら、乱れた髪も直さずに僕を睨みつけた。
「はぁ、はぁ……! 黙って行くなんて、水臭いですわよ! 私という共同研究者を置いていくなんて!」 「……お前、バカなのか? ここがどこか分かってるのか」
僕は呆れを通り越して感心した。 ここは王都から馬で二日の距離だ。それを半日足らずで追いついたのか? 馬にかけた強化魔法と、彼女自身の魔力供給量が常軌を逸している。
「分かっていますわ! マナ汚染エリア……未知のサンプルがいっぱいです!」 「帰れ。遊びじゃないんだ」 「遊びではありません!」
セリアは馬から飛び降りると、一直線にエリルの方へ歩み寄った。 エリルが警戒して短剣に手をかけるが、セリアは構わずに彼女の左腕――酸でただれた火傷の患部を掴んだ。
「……っ、痛い」 「動かないで。……酷い火傷。瘴気が入り込んでいます」
セリアの表情から、狂気じみた色が消え、真剣な魔導師の顔になる。 彼女は両手をかざし、静かに詠唱した。
『聖なる光よ、穢れを払い、あるべき姿へ還れ――【浄化治癒】』
カッ、と優しい純白の光が溢れた。 僕の使う生活魔法や、一般的な水属性の治癒魔法とは違う。 もっと根源的な、「正のエネルギー」の奔流。 光が収まると、エリルの腕からは黒い瘴気が霧散し、赤くただれた皮膚が嘘のように再生していた。
「……嘘。跡形もない」
エリルが驚いて自分の腕をさする。 僕も目を見張った。 あの強酸性の呪いのような傷を、一瞬で? ただの回復じゃない。「解呪」と「再生」の複合魔法だ。
「この地域のマナ変質は『呪い』に近い性質を持っています。私の光属性(聖魔法)なら、中和できますわ」
セリアは額の汗を拭い、ふふんと胸を張った。
「どうです? 私、役に立ちますでしょう?」 「……認めるよ。悔しいけど、今の僕たちには必要な力だ」
僕の【鑑定】や【魔力操作】は解析とハッキングには強いが、純粋な「浄化」は専門外だ。 この先、父さんの治療にも彼女の力が鍵になるかもしれない。
「採用だ、セリア。……ただし、戦闘になったら僕の後ろにいろ。守りきれないぞ」 「あら、守ってくださるんですの? 頼もしいですわね」 「勘違いするな。ヒーラーが落ちたら全滅するからだ」
こうして、騒がしい(そして有能な)仲間が一人増えた。 僕たちは3人で、さらに深く澱んだエリアへと足を踏み入れた。
***
それから数時間後。 空が白み始めた頃、僕たちは奇妙な光景に遭遇した。 街道の前方。 朝霧の向こうから、鈴の音と共に、白い集団が歩いてくるのが見えた。
「……伏せろ」
僕たちはとっさに街道脇の茂みに身を隠した。 馬をセリアの魔法で不可視化し、息を殺す。
現れたのは、30人ほどの集団だった。 全員が頭から爪先までを覆う、真っ白なローブを纏っている。 顔は見えない。深いフードの奥は闇だ。 彼らは手に杖や香炉を持ち、ブツブツと何かを詠唱しながら、ゆっくりと行進していた。
驚くべきは、彼らの周囲だ。 汚染されて凶暴化したはずの森の魔物たちが、彼らを襲わない。 それどころか、彼らが通る道だけ、黒い瘴気が避けるように退いていく。
「……何あれ。気味が悪い」
エリルが嫌悪感を露わにする。 セリアも眉をひそめ、小声で囁いた。
「高度な結界魔法ですわ。……でも、術式が独特すぎます。学園のデータベースにもない型です」
僕は目を凝らし、集団の先頭を歩く人物を『鑑定』した。
【白の巡礼者】 所属:サンクチュアリ(聖域教会) 職業:信徒(Lv.15) 状態:狂信、精神防壁
【???(先頭の人物)】 職業:司祭(Lv.28) スキル:【事象固定】、扇動
(サンクチュアリ……聞いたことがない)
だが、彼らの詠唱が風に乗って聞こえてきた。
「……穢れ多き地に、真なる救済を」 「……星の怒りを鎮めよ。間引きの時は来たれり」 「……機神の目覚めを待ちわびて」
心臓が跳ねた。 今、「機神」と言ったか? 僕がダンジョンで見つけた、あの古代兵器の名を。 彼らは知っているのか。この世界の真実と、あのIDカードの意味を。
「……あいつら、父さんの村の方から来たのか?」 「方角的にはそうですわね。すれ違う形になります」
彼らは僕たちに気づくことなく(あるいは気づいていて無視して)、王都の方角へと歩き去っていった。 白装束の背中には、奇妙な紋章が描かれていた。 歯車と、それを貫く剣の意匠。
「……行こう。嫌な予感が確信に変わった」
僕は立ち上がった。 ただの環境汚染じゃない。 古代の遺産、魔王システム、そして謎の宗教団体。 全てのピースが、僕の故郷である小さな村に集約しようとしている。
「急ぐぞ。父さんが危ない」
僕たちは馬に飛び乗り、白き集団とは逆方向へ、全速力で駆け出した。 遠くに見える山並みの向こう。 そこには、空を穿つようにそびえ立つ、巨大な「黒い塔」の影が、蜃気楼のように揺らめいていた。




