【第16話:魔窟の洗礼(後編)】
魔力測定器の破壊という衝撃的な「挨拶」を終えた僕たちは、裏手にある広大な訓練場へと移動していた。 試験官である老魔導師は、まだ青ざめた顔で冷や汗を拭いながら、訓練場の隅にある倉庫から「それ」を起動させた。
「……よいか。これが実技試験の相手、自律型魔導人形『ガーディアン・モデルD』じゃ」
ガシャン、ガシャン、と重厚な駆動音を立てて現れたのは、全高2メートルほどの金属製の人形だった。 のっぺらぼうの顔。右腕には訓練用の模擬剣、左腕には盾が固定されている。 本来なら、Dランク昇格試験において「受験者の攻撃をどれだけ受け流せるか」「受験者の隙をどう突くか」を見るための、防御特化型の練習相手だそうだ。
「通常、この人形に攻撃意志はない。お主らが連携して、こいつの胸部にある『コア』に一撃入れれば合格とする」
老魔導師が震える手で杖を振るい、起動の呪文を唱える。 人形の「目」にあたる部分が、緑色にボウっと発光した。
「始め!」
合図と共に、エリルが動いた。 まずは様子見。彼女は【隠密】を解き、あえて正面からスピードで撹乱にかかる。 人形の右側へ回り込み、関節の隙間を狙って短剣を走らせる。
ガギィッ!
硬質な音が響き、エリルの短剣が弾かれた。 反応速度が速い。 人形は巨体に似合わぬ速度で盾を回し、エリルの刺突を防いだのだ。
(……Dランク試験にしちゃ、動きが良すぎないか?)
僕は後方で観察しながら、違和感を覚えた。 父さんとの模擬戦で目は肥えている。この人形の動きには、訓練用特有の「手加減」がない。 そして次の瞬間、その違和感は確信に変わった。
「ッ!?」
エリルがバックステップで距離を取ろうとした瞬間、人形が踏み込んだ。 模擬剣が、風を切る音を立てて横薙ぎに振るわれる。 狙いはエリルの首。 寸止めの軌道じゃない。当たれば首が飛ぶ、フルスイングだ。
「エリル、伏せろ!」
僕の警告がコンマ一秒早かった。 エリルは地面に身を投げ出し、頭上を鋼鉄の剣が通過した。 ゴウッ! 空振った剣が、訓練場の石柱を掠め、深々と削り取った。
「なっ……!?」
試験官の老魔導師が目を見開く。
「馬鹿な……出力リミッターは解除しておらんぞ! なぜ殺す気で振るう!?」
人形の「目」の色が変わっていた。 緑色から、禍々しい赤色へ。
『排除……排除……』
機械的な音声が漏れる。 僕は即座に『鑑定』を発動した。
【暴走魔導人形】 Lv. 25 状態:術式改竄、殺害優先モード 弱点:胸部コア(魔力障壁あり)
(Lv.25だと……!?)
Dランク試験の基準はLv.10〜15程度のはずだ。 それが倍近いスペックに強化され、しかも明確な殺意を持っている。 誰だ? 誰が仕組んだ? さっきのセリア(公爵令嬢)絡みの追手か? それともギルド内部の派閥争いか? 思考を巡らせている暇はない。人形が次の標的を僕に定めた。
「停止せよ! コマンドコード『停止』!!」
老魔導師が叫ぶ。だが、人形は無視して突進してくる。
「くそっ、制御を受け付けん! 逃げろお前たち! これは試験ではない!!」
試験官が杖を構え、迎撃魔法を放とうとする。 だが、遅い。 人形のスピードは魔導師の詠唱速度を上回っている。
「エリル、止めろ!」 「無茶言うな!」
エリルが横から飛びかかり、人形の膝関節を蹴りつける。 だが、ビクともしない。 人形は僕に向かって剣を振り下ろす。 僕は**【魔力操作】**で身体強化し、ギリギリで横に転がった。 ドゴォォン! 僕がいた場所の石畳が粉砕される。
「レイン、硬い! 私の短剣じゃ刃が通らない!」 「知ってる! 魔力障壁が張られてるんだ!」
ただの金属装甲じゃない。不可視のバリアが常に展開されている。 Lv.25の防御力。僕の【火弾】でも、貫通できるか怪しい。 それに、あのスピードだ。照準を合わせている間に首を跳ねられる。
(……詰んだか?)
いや、思考を止めるな。 父さんならどうする? 黒竜王相手ならどうする? 相手は機械だ。生物じゃない。 痛みを感じない代わりに、「恐怖」も感じない。 だが、機械ゆえの「法則」があるはずだ。
僕は逃げ回りながら、必死に人形を鑑定し続けた。 魔力の流れ。駆動系のクセ。改竄された術式のパターン。
「……見つけた」
人形が剣を振るう瞬間、胸部の魔力障壁が一瞬だけ薄くなる。 攻撃にエネルギーを回す際、防御リソースが割かれているのだ。 その隙、わずか0.5秒。
「エリル! 『プランF』だ!」 「……本気!?」
エリルが叫ぶ。『プランF』は、僕たちの連携の中で最もリスクが高い「囮戦術」だ。 失敗すればエリルが死ぬ。
「信じろ!」 「……ッ、わかった!」
エリルは覚悟を決め、人形の正面に立った。 隠密も回避行動も捨てた、完全な棒立ち。 人形の赤い目が、無防備な獲物を捉える。
『排除』
人形が剣を振りかぶる。 必殺の軌道。 エリルは動かない。剣が彼女の頭蓋を砕くまで、あと1メートル。あと50センチ。 老魔導師が「やめろぉぉ!」と絶叫する。
その刹那。 エリルが身を沈めた。 防御ではない。攻撃のための前傾姿勢。 人形の剣が、彼女の数本の髪の毛を切り裂きながら通過する。 死の恐怖に打ち勝ち、ギリギリまで引きつけた「見切り」。
攻撃の瞬間。人形の胸部の輝きが揺らいだ。
「今だぁぁぁッ!!」
僕は人形の側面に滑り込みながら、右手に全魔力を圧縮した。 指先じゃない。掌底。 ゼロ距離射撃。
『ユニーク魔法』――【爆縮火弾】
ズドンッ!!!
僕の掌から放たれた衝撃と熱量が、防御の薄くなったコアを直撃した。 貫通だけじゃない。内部での爆発。 金属がひしゃげる嫌な音と共に、人形の胸部が内側から弾け飛んだ。
「ガ、ガガ……」
人形の動きが止まる。 赤い光が点滅し、やがてプツンと消えた。 巨大な鉄塊が、ズズーンと音を立てて崩れ落ちる。
土煙が舞う中、僕は肩で息をしながら、へたり込んだエリルに手を差し伸べた。
「……生きてるか?」 「寿命が、十年縮んだ……」
エリルは震える手で僕の手を握り返し、立ち上がった。 その顔は蒼白だったが、瞳の光は失われていない。
「お、おお……」
腰を抜かしていた老魔導師が、這うようにして近づいてきた。 破壊された人形の残骸と、無傷(精神的摩耗を除く)の僕たちを交互に見る。
「Lv.25相当の暴走個体を……子供二人で……」
彼は信じられないものを見る目で呟いた。 試験官が止められなかった怪物を、受験者が破壊した。 これはもう、合格・不合格の次元ではない。
「……試験官殿」
僕は服の泥を払い、努めて冷静な声を出した。 足が震えているのを悟られないように。
「これで、Dランク認定ってことでいいんですよね? まさか、弁償しろとは言いませんよね?」
老魔導師は何度か頷き、震える声で答えた。
「も、もちろんだ……。いや、Dランクどころではないかもしれんが……とにかく、合格じゃ。ギルドマスターに報告せねば……」
彼はブツブツと呟きながら、慌てて本部の奥へと走っていった。 残された僕たちは、鉄屑の山を見下ろした。
「……ねえ、レイン」 「ん?」 「これ、ただの事故じゃないわよね」
エリルの問いに、僕は残骸の中から、焼け焦げた「何か」を拾い上げた。 術式が刻まれた小さな黒いチップ。 明らかに、ギルドの備品ではない異物だ。
「ああ。誰かが僕たちを殺そうとしたか、あるいは……」
僕はチップを握りつぶし、粉々にした。 あるいは、セリアの件で見せた僕の力を、誰かが「試した」のかもしれない。 だとしたら、随分と悪趣味な歓迎だ。
「王都は魔窟だ。……気を引き締めようぜ、相棒」 「言われなくても」
僕たちは視線を交わし、訓練場を後にした。 背中には冷たい汗が張り付いていたが、その一歩は、来る時よりも確かに力強かった。




