【第16話:魔窟の洗礼(前編)】
冒険者ギルド本部。 その重厚な扉を押し開けた瞬間、熱気と喧騒、そして安酒と汗の入り混じった独特の臭気が鼻をついた。
「おい、聞いたかよ。北の山脈でまたワイバーンが出たらしいぜ」 「マジか。Cランクの俺らじゃ手が出せねえな」 「そこの新人! 酒持ってこい!」
広いホールには、数百人の冒険者がたむろしていた。 武装した荒くれ者たち。その視線が、新参者である僕たちに向けられる。 値踏みするような、あるいは獲物を見るような目。 だが、僕たちが「子供」だとわかると、すぐに興味を失ったように視線は外された。
(……舐められているな。好都合だ)
僕はフードを深く被ったエリルを引き連れ、迷わず受付カウンターへと向かった。 受付には、事務的な笑顔を浮かべた女性職員が座っていた。
「いらっしゃいませ。依頼の報告ですか? それとも……」 「新規登録だ。二人分」
僕が短く告げると、受付嬢は少し驚いたように目を丸くした。
「失礼ですが、お歳は?」 「12歳と13歳。規定の年齢は満たしているはずだ」 「は、はい。満たしてはいますが……」
彼女は困ったように周囲の荒くれ者たちに視線を走らせた。 ここはガキの遊び場じゃない、そう言いたいのだろう。 だが、僕は構わずに身分証代わりの村の推薦状(父さんが書いた適当なメモ)を提示した。
「手続きを頼む。それと、相談があるんだが」 「はい?」 「Fランクからのスタートじゃなく、昇格試験を受けたい。Dランク……いや、実力相応のランクから始めさせてほしい」
その言葉は、喧騒の中でもよく響いたらしい。 近くにいた数人の冒険者が、ピタリと動きを止めた。
「おいおい、聞いたかよ? 昇格試験だとさ」 「Fランクのドブさらいが嫌だからって、楽しようとしてんじゃねえぞクソガキ」
下卑た笑いと共に、一人の男が僕たちの前に立ちはだかった。 身長2メートル近い巨漢。背中には大斧。 顔には古傷があり、いかにも「先輩風」を吹かせたがるタイプだ。
『鑑定』。
【ボルグ】 職業:重戦士(Lv.16) ランク:D 状態:二日酔い、新人いびりへの欲求
(Lv.16か。……5年前の僕なら怯えていただろうな)
今の僕には、彼の筋肉の緩みも、重心の隙も、全てが見える。 エリルが反応して腰のナイフに手を伸ばしかけたが、僕は目で制した。ここで騒ぎを起こせば登録抹消になりかねない。
「どいてくれないか。手続き中だ」 「あぁ? 先輩に対する口の利き方がなってねぇな。……まずは俺の股の下でもくぐって、世間の厳しさを学んだらどうだ?」
ボルグがニタニタと笑い、仲間たちがはやし立てる。 受付嬢が「困ります!」と止めようとするが、男は聞く耳を持たない。 典型的な噛ませ犬だ。 僕はため息をつき、彼を無視して受付嬢に向き直った。
「試験場はあっちか?」 「え? あ、はい、奥に訓練場と魔力測定室がありますが……」 「なら、そこで証明すればいいんだろう? 僕たちがFランクの器か、それとも飛び級に値するか」
僕の完全な無視に、ボルグの顔が真っ赤に染まった。
「テメェ……! 人が優しく言ってりゃあ!」
ボルグの太い腕が、僕の襟首を掴もうと伸びてくる。 遅い。あくびが出るほど遅い。 僕は避けもしなかった。 ただ、**【魔力操作】**でほんの少しだけ、全身から「威圧」を漏らした。 物理的な殺気じゃない。 黒竜王を見て、父ガントに殴られ続けて培った、精神的な「格」の提示。
ゾワリ。 ホールの空気が凍りついた。
「ッ……!?」
ボルグの動きが止まった。 彼の本能が、目の前の子供を「捕食者」だと誤認し、警鐘を鳴らしたのだ。 伸びた手は空中で震え、行き場を失っている。
「……触るなよ。高い服なんだ」
僕は冷たく言い放ち、凍りついたボルグの横を通り過ぎた。 エリルも無言で続く。彼女はすれ違いざま、ボルグにだけ聞こえる声で「……運がいいわね」と囁いた。
ホールは静まり返っていた。 誰もが理解できていない。 なぜ、Dランクのベテランが、子供の一睨みで硬直したのか。
***
「こ、こちらです……!」
蒼白になった受付嬢に案内され、僕たちは奥の「魔力測定室」に通された。 部屋の中央には、台座に乗せられた巨大な水晶球が置かれている。 試験官を務めるのは、ギルド専属の老魔導師だ。
「ふむ。飛び級希望の子供とは珍しい。……まずは魔力測定じゃ。この水晶に手を触れ、ありったけのマナを注いでみろ」
老魔導師は気怠げに言った。どうせ大した数値は出ないと思っているのだろう。 水晶の色と輝きで、魔力量(タンクの大きさ)を測る。 青が一般人。黄色が魔導師見習い。赤が一人前。 Dランク相当なら、濃い赤色を出せれば合格だ。
「エリル、先に見せてやれ」 「……ん」
エリルは魔法使いではないが、身体能力を見る前の「素養」チェックとして水晶に触れた。 水晶は薄い黄色に輝いた。 斥候職としては十分すぎる魔力量だ。
「ほう、斥候にしては悪くない。次は坊主、お前じゃ」
僕は水晶の前に立った。 父さんからは「目立ちすぎるな」と言われている。 だが、Dランク、あわよくばCランクを狙うなら、中途半端な結果じゃ意味がない。 「こいつらは別格だ」と、ギルド側に認めさせる必要がある。
(……やるか)
僕は水晶に右手を乗せた。 冷たい感触。 意識を集中する。 いつものように、マナを練り上げる。 ただし、ただ注ぎ込むだけじゃない。 【魔力操作 Lv.7】。 注ぎ込んだマナを、水晶の内部で高速回転させ、極限まで「圧縮」する。 質量を増幅させるイメージ。
「む……?」
老魔導師の眉がピクリと動いた。 水晶が、微かに震え始めたからだ。 色は赤。 だが、その赤がどんどん濃くなり、黒に近い赤へと変貌していく。 さらに、水晶の内部でパチパチという放電現象が起き始めた。
「お、おい……まて、魔力の『質』がおかしいぞ!?」 「まだだ」
僕はさらに負荷をかけた。 父さんに勝つために編み出した、一点突破の貫通理論。 それを測定器に叩き込む。
キィィィィィィン……!
水晶が高周波の悲鳴を上げ始めた。 部屋にいた受付嬢が耳を塞いでうずくまる。 老魔導師が慌てて立ち上がった。
「や、やめろ! 測定限界を超え――」
カッ!!!!
部屋全体が、閃光に包まれた。 爆発ではない。水晶が耐えきれず、内部からヒビ割れ、漏れ出した光が溢れたのだ。 光が収まった後。 そこには、無惨にヒビだらけになり、白い煙を上げる水晶球と、平然と手を離す僕の姿があった。
「……あーあ。壊しちゃったか」
僕はわざとらしく肩をすくめた。 部屋の中は、完全な沈黙に包まれていた。 老魔導師は口をパクパクと開閉させ、眼鏡がずり落ちていることにも気づいていない。
「お、お前……一体、何者じゃ……?」 「レイン。ただの田舎者だよ」
僕はニヤリと笑った。
「魔法の方は合格でいいかな? 次は、実技試験をお願いしたいんだけど」
受付嬢が震える手で記録用紙を持っていた。 その手は、恐怖と興奮で小刻みに震えている。 Fランク? 冗談じゃない。 僕たちはこの瞬間、ギルドの「要注意リスト」の筆頭に躍り出たのだ。




