【第13話:越えるべき壁】
あれから5年の月日が流れた。 鏡に映る自分の顔は、もう幼い子供のものではない。 12歳。身長は伸び、鍛え上げられた筋肉がシャツの下でしなやかに躍動している。 背中にはショートソード、腰にはポーチに入れた数種類の魔道具。 準備は万端だ。
「……行くぞ、エリル」 「ん」
僕の背後から、音もなく影が滲み出るようにして少女が現れた。 エリル、13歳。 かつて浮浪児だった彼女は、今や冷ややかな美貌を持つ少女へと成長していた。 身体のラインが出やすい革の軽鎧を纏い、その太ももには愛用の黒鉄のナイフが装着されている。 僕たちが目指すのは、冒険者ギルドだ。 今日、僕たちは正式に冒険者となり、この「銀の杯」亭を出る。
父さんと母さんには、手紙を残してある。 正面から言えば止められる。特に父さんは、僕の剣の未熟さを理由に絶対に許さないだろう。だからこっそり出ていくつもりだった。 ……そのつもりだったのだが。
「――泥棒猫みてぇにコソコソと、どこへ行くつもりだ?」
宿屋の裏庭、街道へと続く木の柵の前に、その男は立っていた。 朝日を背に浴びて立つ巨岩。 腕組みをして仁王立ちする父、ガントだ。 手には何も持っていない。武器も、防具もない。いつものエプロン姿だ。 だというのに、その全身から立ち上るプレッシャーは、5年前の「黒竜王」を見た時のような絶望感を肌に感じさせた。
「……父さん。見送りならいらないよ」 「見送り? 勘違いするな」
父さんは太い首をゴクリと鳴らし、ゆっくりと、獰猛な笑みを浮かべた。
「お前らが『外』で死なねぇか、検品してやるって言ってんだよ」 「検品……?」 「俺に一撃でも入れられたら合格だ。剣でも魔法でも、卑怯な手でも構わん。……だが、無理なら部屋に戻って皿洗いからやり直しだ」
一撃。 たったそれだけ。ハンデ戦ですらない、ただの「お遊び」の提案。 けれど、僕の『鑑定』は告げていた。 目の前の男のステータスは、この5年で衰えるどころか、さらに研ぎ澄まされていると。
【ガント】 職業:元・近衛騎士(Lv.46) 状態:臨戦態勢(本気度:10%)
Lv.46。1つ上がっている。 引退したはずの人間が、どうやってレベルを上げたのか。恐らく、僕たちの深夜の徘徊(レベル上げ)に気づいていて、裏で害獣駆除などをしていたのだろう。 対する僕はLv.12。エリルはLv.15。 3倍以上のレベル差。 まともにやり合えば、3秒で終わる。
「……やるしかないみたいだね、エリル」 「やる。……皿洗いはもう飽きた」
エリルが瞬時に戦闘態勢に入る。 彼女の姿がフッとブレた。**【隠密】**スキル全開。周囲の風景に溶け込み、父さんの死角へと回り込む。 同時に、僕も動いた。
「はあっ!」
僕は正面から突っ込んだ。 馬鹿正直な特攻ではない。走りながら指先で印を結ぶ。 5年間、ただ遊んでいたわけじゃない。マナタンクの容量は増え、制御技術は極限まで高めた。
『生活魔法』――【閃光】
本来は照明に使う光魔法を、一点に凝縮して破裂させる目潰し。 強烈な白い光が父さんの視界を奪う――はずだった。
「眩しいな」
父さんは目を閉じることすらせず、ただ軽く息を吐いた。 その呼気に混じった「気迫」だけで、僕の魔法の構成が揺らぎ、光が霧散する。 魔法耐性じゃない。純粋な生命力による干渉だ。
「なっ……!?」 「魔法使いが正面切ってどうする。距離を詰めれば死ぬぞ」
父さんの一歩。 縮地。 一瞬で僕の懐に潜り込み、丸太のような腕が横薙ぎに振るわれた。 拳ですらない、ただの手の甲による裏拳。 だが、それは攻城兵器の一撃に等しい。
「ぐぅっ……!」
僕は反射的に剣を盾にしてガードしたが、まるで象に体当たりされたような衝撃が全身を貫いた。 身体が宙を舞う。 裏庭の柵を突き破り、地面を三回バウンドして転がる。
「レイン!」
死角からエリルが飛び出した。 父さんの意識が僕に向いた一瞬の隙。完璧なタイミングでの奇襲。 彼女の短剣が、父さんの首筋へと吸い込まれる。
「遅い」
父さんは振り返りもせず、背後へ向かって「指パッチン」をした。 パチンッ!! ただの音ではない。衝撃波だ。 空気が爆ぜ、エリルの軽い体が木の葉のように吹き飛ばされた。
「きゃうっ……!」 「殺気がダダ漏れだ、お嬢ちゃん。殺す気なら、殺意すら消せ」
圧倒的だった。 手も足も出ないとはこのことだ。 僕は土まみれになりながら、震える手で剣を杖にして立ち上がった。 肋骨が軋む。一撃ガードしただけで、HPの3割を持っていかれた。
「……はは、やっぱり化け物だ」 「どうした? もう終わりか? なら大人しく宿屋を継げ」
父さんは仁王立ちのまま動かない。 その余裕が、悔しくてたまらない。 僕はこの5年、必死にやってきた。 【火弾】を改良し、魔物を狩り、知識を蓄えた。 でも、この壁は高すぎる。
(……いや、諦めるな)
思考を回せ。 父さんは強い。だが、これは「殺し合い」じゃない。「試験」だ。 父さんの目的は僕たちを殺すことじゃなく、心を折ること。だから手加減をしている。 そこに、唯一の勝機がある。 真正面からの力比べじゃ勝てない。なら、僕の得意分野に引きずり込むしかない。
僕は口元の血を拭い、エリルに視線を送った。 倒れていたエリルが顔を上げ、僕の目を見る。 言葉はいらない。 5年間培った「阿吽の呼吸」。 僕が指を三本立てる。 『プランC』。最大火力による一点突破と、囮の連鎖。 失敗すれば、僕のマナが尽きて終わりだ。 でも、出し惜しみして勝てる相手じゃない。
「……上等だ、親父殿」
僕はニヤリと笑い、剣を鞘に納めた。 代わりに、両手を前に突き出す。 これまでの「火弾」とは違う。両手で編み上げる、複合術式。
「その余裕、後悔させてやるよ」 「ほう……いい面構えになったな」
父さんが初めて、構えを変えた。 腕組みを解き、自然体(無構え)へ。 それは、僕を「排除すべき対象」として認識した証。 空気が張り詰める。 次の一手が、勝負を決める。
(見せてやる。僕たちが積み上げた、5年間の泥臭い足掻きを!)




