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【第12話:世界地図】

【火弾】の発明から数日。 魔力枯渇の後遺症で熱を出した僕は、大人しく部屋で静養していた。 暇を持て余した僕の膝の上には、分厚い革張りの古書が広げられている。 『大陸全史・改訂版』。 数ヶ月前、金払いの良い老学者が宿に泊まった際、「荷物になるから」と置いていったものだ。 当時の僕は興味を持たなかったが、今の僕には喉から手が出るほど欲しい「攻略本」だ。


「……なるほどな」


ページをめくる指が止まる。 そこには、この世界の地図が描かれていた。 僕たちが住んでいるのは、世界地図の中心から少し南西に位置する**【中央大陸アストラ】**。 多数の人間国家がひしめき合う、比較的情緒豊かな大地だ。 だが、僕の目が釘付けになったのは、その海を隔てた北側だ。


【北大陸ゼノビア】。 地図の半分が黒く塗りつぶされ、「人跡未踏」「危険地帯」の注釈ばかりが踊る土地。 そこは、魔族と強力な魔物が支配する領域だ。


「……レイン、まだ読んでるの?」


窓際でリンゴを剥いていたエリルが、呆れたように声をかけてくる。 彼女の手にはナイフ。リンゴの皮を途切れさせずに剥くその手つきは、敵の皮膚を剥ぐ練習のようにも見える。


「重要なことだよ、エリル。僕たちが戦っている場所が、どれだけ狭い箱庭かを知るためだ」


僕は本の一節を指差した。


「見てくれ。僕たちがいるこの街は、アストラ大陸の端っこだ。そして、先日の黒竜王。あれは本来、大陸の南端にある【竜のあぎと】と呼ばれる秘境に住む生物らしい」 「……あんなのが、他にもいるの?」 「『王』と呼ばれる個体は数体いるそうだ。でも、問題はそこじゃない」


僕はページをめくり、禍々しい挿絵が描かれた章を開いた。 そこに描かれているのは、ドラゴンのような獣ではない。 王冠を戴き、 玉座に座る人型の影。


【魔王】。


「黒竜王は『災害』だ。気まぐれに現れ、通り過ぎる嵐だ。でも、魔王は違う」


僕は震える声を押さえ、テキストを読み上げた。


「魔王は『統治者』だ。北大陸を支配し、魔物を軍隊として率い、明確な意志を持って人類を滅ぼそうとする存在。……歴史上、過去に5人の魔王が現れ、そのたびに大陸の人口は半分になったと書いてある」


記述によれば、魔王は単なる強い個体ではない。 世界そのものが人類を間引きするために生み出すシステムのようなものだ。 歴代の勇者や英雄たちが命と引き換えに討伐してきたが、数百年の周期で新たな魔王が誕生する。


「……ふーん」


エリルは剥き終わったリンゴを一切れ僕の口に突っ込んだ。


「で? 今もいるの、その魔王」 「……『現在は空位』。前の魔王が討伐されてから200年が経過している」


シャクシャクとリンゴを噛み砕きながら、僕は冷たい汗が背中を伝うのを感じた。 200年。 周期としては、いつ「次」が出てもおかしくない。 黒竜王が人里近くに現れたのも、もしかしたら世界バランスが崩れ始めている予兆なのかもしれない。


「ねえ、レイン」


エリルが僕の顔を覗き込む。 その瞳は、竜を見た時のような恐怖ではなく、もっと現実的な光を宿していた。


「もし魔王が出たら、あんたはどうする?」 「……逃げるよ。世界の果てまで」


僕は即答した。 Lv.6の僕が、世界を救う? 冗談じゃない。 黒竜一匹で死にかけるんだ。魔王とその軍勢なんて相手にしたら、蒸発して終わる。


「でも、逃げ場がなかったら?」


エリルの問いは鋭かった。 そうだ。魔王の目的が人類の殲滅なら、安全地帯なんてない。 宿屋「銀の杯」も、父さんも、母さんも、そしてエリルも。 全てが戦火に飲み込まれる。


僕は握りしめた拳を見た。 【火弾】で喜んでいた自分が恥ずかしい。 僕が目指すべき「最強」のハードルが、また上がった。 父さんを超え、竜をやり過ごし、そしていつか来るかもしれない「魔王の軍勢」から生き延びる力。


「……なら、備えるしかない」


僕は本をパタンと閉じた。


「魔王が出ても生き残れるくらい、理不尽に強くなるしかない。……知識も、技術も、道具も、全部利用して」 「ん。シンプルでいい」


エリルは残りのリンゴをかじり、ニヤリと笑った。


「あんたが魔王より悪くなれば、きっと生き残れる」 「……ひどい言い草だな」


苦笑いしながらも、僕はその言葉を肯定した。 正義の勇者になるつもりはない。 ただ、自分のテリトリーを守るためなら、魔王の喉元だって食い破る「怪物」になってやる。


窓の外、夕焼けが世界を赤く染めていた。 それは遠い未来に訪れるかもしれない、血の色に似ていた。 僕の胸の中にあった焦燥感は、今は静かな、けれど熱い「使命感」へと変わっていた。


――こうして、僕の幼少期は終わりを告げる。 世界を知り、己の無力を知り、それでも牙を研ぐことを選んだ7歳の日々。 次に季節が巡る時、僕はもう「子供」の殻を破り捨てているだろう。


時は流れ――5年後。 運命の歯車が、大きく動き出す。

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