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【第110話:悪くなかった二度目】

波の音が聞こえる。 寄せては返す、穏やかなリズム。 目を開けると、僕は白い砂浜に座っていた。 空はどこまでも青く、太陽はないのに明るい。 水平線の向こうには、蜃気楼のように揺らめく「景色」が見えていた。


ある時は、前世で住んでいたボロアパートの窓辺。 ある時は、故郷「銀の杯」亭の厨房。 またある時は、学園の埃っぽいSクラスの教室。


「……ここが、走馬灯の終着点か」


僕は膝を抱え、ぼんやりと呟いた。 声が出る。体もある。 けれど、脈打つ心臓の音も、魔力の奔流も感じない。 ただの「意識の残滓」が、形を保っているだけだ。


「……意外と、静かなもんだな」


痛みはない。 星喰らいのブレスを受け止めた時の、魂が焼けるような激痛も、もう遠い過去のようだ。 僕は砂を掬い上げた。 サラサラと指の隙間からこぼれ落ちる白い砂。それは砂時計のように、僕の存在時間を刻んでいる気がした。


(……終わったんだ)


不思議と、悔いはなかった。 前世での最期とは大違いだ。 あの時は、狭い部屋で、安酒の缶に埋もれて、社会への恨み言を吐きながら死んだ。 「もっとこうしていれば」「あそこからやり直せれば」。 そんな惨めな後悔だけが、走馬灯のように駆け巡っていた。


けれど、今は違う。


「……やりきったよな、僕」


4歳で目覚めてから、今日まで。 走り抜け、悩み、計算し、そして戦った。 Lv.1の虫けらから始まって、最後は宇宙で神様と殴り合ったんだ。 ニートの経歴としちゃ、上出来すぎる。


蜃気楼が揺らぐ。 映像が変わる。


エリルが、不器用にリンゴを剥いている。 セリアが、実験失敗で爆発して笑っている。 ガルが、筋肉について熱く語っている。 エリスが、暗い顔でとんでもない呪いを呟いている。 ヴァン先生が、酒瓶片手に暴れている。 レオンハルトが、義手を握りしめて前を向いている。 そして、カズヤが……錆びた刀を見て、人間らしく笑っている。


「……うるさい連中だったな」


口元が自然と緩んだ。 友達なんていらないと思っていた。 一人で生きて、一人で勝つのが効率的だと思っていた。 でも、僕の周りにはいつも誰かがいた。 背中を預け、馬鹿をやって、一緒に泥を被ってくれる連中が。


「……楽しかったよ」


僕は立ち上がり、海へと歩き出した。 このまま海に入れば、意識は完全に溶けて、星の一部になれる気がした。 安らかな眠り。 二度目の人生の、ハッピーエンド。


「……父さん、母さん。親不孝でごめん」


故郷の両親を思う。 でも、彼らは生きてくれた。僕が守った世界で。 なら、それでいい。 僕の役割は、ここで終わりだ。


冷たい海水が足首を濡らす。 気持ちいい。 重荷を下ろしたような、絶対的な解放感。


(……ああ、眠いな)


僕は海に倒れ込むように、体を沈めた。 青い水が視界を覆う。 意識が薄れていく。 思考ロジックが停止する。


『……レイン』


遠くで、誰かの声が聞こえた気がした。 エリルか? それともセリア? いや、幻聴だ。 僕はもう、ここにはいない。


『……まだ、終わってない』


今度は、はっきりと聞こえた。 女の子の声じゃない。 もっと低く、力強く、そして聞き覚えのある……自分自身の声?


(……誰だ?)


薄れゆく意識の中で、僕は問いかけた。 水底の底から、泡のように想いが浮かび上がってくる。


――本当に、これでいいのか? ――お前は、満足したのか?


(……満足したさ。世界を救ったんだぞ)


――違うだろ。 ――お前が欲しかったのは、「英雄の墓標」なんかじゃない。


水の中で、僕の意識ドッペルゲンガーが笑った気がした。


――お前が欲しかったのは、あいつらと食べる「明日の朝飯」だろ?


「……ッ」


目を見開いた。 青い水の中で、自分の手が空を掴もうとしているのが見えた。 そうだ。 僕はまだ、あいつらに「ただいま」を言っていない。 カズヤとの決着も、有耶無耶なままだ。 Sクラスの卒業式も出ていない。


死んで満足? ふざけるな。 そんなの、一番効率の悪い「逃げ」じゃないか。


「……帰り、たい」


口から泡が漏れる。 海が、僕を押し戻そうとする。 まだだ。まだ消えるな。 僕の魂は、まだ燃えカスなんかじゃない。


その時。 白い世界が、眩い「虹色」の光に貫かれた。


『――見つけましたわ! レイン様!!』 『――レイン! こっち!』


上空から、二つの手が伸びてきた。 白く細い手と、泥だらけの温かい手。 僕の手を、力強く掴む。


「……!」


引っ張り上げられる感覚。 死の安らぎから、生という名の戦場へ。 蜃気楼が砕け散る。


僕の二度目の人生は、まだ終わらせてなんかやらない。

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