【第102話:錆びついた記憶】
カズヤが歩く。 ただそれだけで、僕たちの「死」が確定するような圧迫感。 レオンハルトが脂汗を流し、エリルが震える手を抑えている。 全ての攻撃が見切られ、全ての策が通じない。 奴の「心眼」は、僕たちの思考を先読みしているからだ。
(……なら、読みようのない『無』になるしかない)
僕は深く息を吸い、目を閉じた。 戦場の喧騒。風の音。機神の駆動音。 それら全てを肌で感じ、自分のマナの波長を溶け込ませる。
スキル【マナ・カモフラージュ】――完全同調。
フッ……。 僕の存在感が、世界から消失する。 カズヤの眉がピクリと動いた。 奴の「索敵」から、僕という点が消えたのだ。
「……ほう。気配を消したか。だが、撃てば分かる」
カズヤは余裕を崩さない。 攻撃の瞬間、必ず殺気が漏れる。そう思っている。 だが、今の僕は違う。 あの盾との戦い、自分自身との泥沼の殴り合いで掴んだ感覚。 思考するな。イメージしろ。 魔法は計算式じゃない。呼吸だ。
(……風よ、吹け)
トリガーを引く指に、意識を込めない。 ただ、そこに風が吹くように、自然現象として魔法を顕現させる。
【直感魔術】――『鎌鼬』
ヒュンッ!
予備動作ゼロ。殺気ゼロ。 カズヤの足元の空気が、唐突に刃となって跳ね上がった。
「ッ!?」
カズヤが初めて大きく目を見開く。 反応が遅れた。 「攻撃が来る」という予兆なしに、現象がいきなり発生したからだ。 彼は咄嗟にバックステップで回避するが、その頬に薄い切り傷が入る。
「……魔法か? いや、術式が見えなかったぞ」 「見えないさ。……僕ですら、撃つまでどんな形になるか分かってないんだからな」
僕はニヤリと笑った。 思考を捨てた直感の魔法。 それはカズヤの「読み」をすり抜ける、唯一のジョーカーだ。
「面白い……! やっと『死合』らしくなってきたな!」
カズヤが嬉々として踏み込む。 だが、僕の狙いはダメージを与えることじゃない。 彼に「意識」させることだ。 僕という、訳の分からない術者に意識を向けさせる。
(今だ……!)
僕は懐から、布に包まれた「長い棒状のもの」を取り出した。 武器じゃない。 天狗の里で、ゲンサイ師匠から託されたものだ。
「カズヤ! これを受け取れッ!」
僕はそれを、全力で彼に放り投げた。 攻撃魔法の直後。虚をつかれたタイミング。 カズヤは反射的に、飛んできたそれを受け取ってしまった。
ズシリ。 手の中で布が解け、中身が露わになる。 それは、一振りの刀だった。 ただし、名刀ではない。 刃こぼれし、錆が浮き、柄の糸も解けかけた、ボロボロの古刀。
「……な」
カズヤの動きが、完全に止まった。 その瞳孔が収縮する。 見間違えるはずがない。 それは、彼が元の世界(日本)で、誰にも認められず、それでも血反吐を吐いて振り続けた、最初の愛刀。 そして、この世界に来て「心を捨てた」時、師匠の元に置いてきた過去そのもの。
「なぜ……これが、ここに……」
彼の脳裏に、師匠の顔が、修行の日々が、そして「強さ」を求めて彷徨った孤独な記憶がフラッシュバックする。 修羅の心に、人間としての「迷い」というノイズが走った。
その一瞬。 コンマ数秒の隙。 それを見逃すようなSクラス(僕たち)じゃない。
「レオンハルトォォッ!!」 「おおおおおおッ!!」
レオンハルトが突っ込んでいた。 カズヤが刀を受け取った瞬間、既に加速していたのだ。 銀色の義手が唸りを上げる。 スラスター全開。 機神のエネルギーと、勇者の聖なる光が螺旋を描いて収束する。
「……ッ!」
カズヤがハッとして、腰の刀(今使っている魔剣)を抜こうとする。 だが、左手には古刀が握られている。 そして、心には迷いという名の重りがある。
間に合わない。
「届いたァッ!!」
レオンハルトの一撃が、カズヤの胴体を捉えた。
【機神剣・聖覇】!!
ズガァァァァァァァンッ!!!!
光の奔流がカズヤを飲み込む。 防御障壁ごと吹き飛ばし、背後の機神の胴体に叩きつける。 凄まじい衝撃音。 土煙が舞い上がり、最強の剣豪の姿がかき消された。
「……はぁ、はぁ……!」
レオンハルトが着地し、残心をとる。 手応えはあった。 まともに入った。
煙が晴れていく。 そこには、壁にめり込み、ぐったりと項垂れるカズヤの姿があった。 学生服は破れ、胸には深い火傷と打撲痕。 口から血が滴り落ちている。
「……が、はッ……」
カズヤが咳き込み、顔を上げる。 その目は、もう虚ろではなかった。 痛みに歪み、悔しさに燃え、そして――どこか晴れやかな、人間の目をしていた。
「……やって、くれたな……」
彼は、左手に握られたままの錆びた刀を見た。 そして、自嘲気味に笑った。
「……ジジイの、仕業か。……余計な、真似を……」
彼の手から、腰の魔剣が滑り落ちた。 カラン、という音が、決着を告げた。
「……僕たちの勝ちだ、カズヤ」
僕は銃を下ろし、彼に告げた。 理外の強さを、仲間の絆と、過去の記憶(想い)で上回った。 それが、僕たちの出した答えだ。
だが、安堵したのも束の間。 部屋の中央、**【機神の胴体】**が、不穏な赤色に発光し始めた。
『警告。動力炉、不安定。……制御不能。……自爆シークエンス、起動』
「……なっ!?」
教団の教皇の声が、館内放送で響き渡る。
『おのれぇぇッ! 勇者が敗れるとは! ……ならば道連れだ! この要塞ごと、貴様らも吹き飛べぇぇッ!』
最後の悪あがき。 カズヤが倒れたことで、教皇が自爆スイッチを押したのだ。 爆発まで、あと数分。 逃げ場はない。
「……クソッ、最後まで迷惑な!」
僕たちは再び武器を構えた。 カズヤを倒しても、まだ終わらない。 この暴走する神の心臓を止めなければ、僕たちも、地上の仲間も消し飛ぶ。
最終局面。 止める鍵は――僕たちの手の中にあるパーツと、あの倒れたライバルにある。




