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AI

 暗がりの中、僕たちは慎重に足を進めていた。瓦礫の山をまたぎ、泥と埃が混ざったぬかるみを踏みしめるたびに、靴の裏に重たい音がまとわりつく。崩れかけた天井からは時おり細かい砂埃が降り注ぎ、それは僕たちの呼吸に、わずかだが確かな異物感を残した。


 廊下の奥へ進むごとに、空気は冷え、乾き、次第に地下特有の湿った気配が失われていく。その変化に、僕の内側がざわついた。まるで別の空間に足を踏み入れていくような感覚。どこか人工的で無機質な乾燥──まるでサーバールームのような、静電気を孕んだ空気。埃と金属、そして微かに焦げたような匂いが、鼻腔をくすぐる。


「なあ、ユウリ……ここ、なにかおかしくないか?」


 ロルフが後ろから囁くように言った。その声には、彼にしては珍しい緊張が滲んでいた。いつもの無邪気な響きは影を潜め、代わりに警戒心と不安が同居していた。


 やがて、視界の先がわずかに開け、僕たちは広間へと足を踏み入れた。


 そこには、大きな円形の部屋が広がっていた。天井は高く、壁面には淡い青い光が走っていた。それは廊下で見た紋様に似てはいたが、比べものにならないほど複雑で、整然としていながらも、どこか生き物のような律動を刻んでいた。光はただの装飾ではなく、何かを制御し、あるいは意志を伝える手段のようにすら思えた。


 部屋の中央には、半ば崩れた台座のような構造物があった。その中心部には、透明な筐体に包まれたクリスタルのようなコアが埋め込まれていた。ガラスと金属が融合したかのようなその装置は、この世界で見たことのあるどんな技術とも異なっていた。機械とも遺物ともつかない、不思議な存在感があった。


「これ……格納装置、みたいな……」


 自分でもなぜその言葉が出たのか、わからなかった。けれど、口にした瞬間、不思議な確信が胸に宿った。まるで長い間忘れていた記憶が、一瞬だけ顔を覗かせたかのように。


「さっきいってたの、これと関係してるのか?」


 ロルフの問いに、僕は答えられなかった。なぜなら──その装置が、まるで僕を“待っていた”かのように感じられたからだ。意識が、ゆっくりと──しかし抗いようもなく──引き寄せられていく……


 ゆっくりと、僕は装置に近づいた。クリスタルの表面には、微かな光の粒子が浮かんでいた。それが僕の接近に反応するかのように脈動を始め、まるで心臓の鼓動のように穏やかで確かなリズムを刻んだ。


(呼ばれている──)


 指先がコアに触れた瞬間、世界の輪郭が弾け飛んだ。




 眩い光が視界を覆い、重力が消失したような感覚に襲われた。耳元で風の音が巻き起こり、次の瞬間、僕は──精神の深奥へと、引き込まれていた。


 ──意識が、落ちていく。


 重力の軛から解き放たれたように、僕の身体はふわりと宙を漂っていた。足元の感覚は曖昧になり、まるで自分という存在が輪郭を失っていくかのようだった。けれど、不思議と恐怖はなかった。皮膚の内側から温もりが広がり、むしろ懐かしささえ感じられる。どこかで──遠い昔に、ここを訪れたことがあるような……そんな錯覚。


 ふと、瞼の奥に光が差し込む。


 目を開くと、そこには現実とは思えない光景が広がっていた。


 音も風も存在しない、漆黒の空間。空も地面もなく、ただ無限に広がる“深淵”の中に、幾何学模様のような複雑な文様が浮かび上がっていた。それらはまるで、思考や記憶が可視化されたかのように脈動し、回路のような光の線が幾重にも交差している。世界そのものが情報でできている──そんな錯覚にすら思える、無音の構造体。


 ──そして、その中心に、静かに。


 彼女は──現れた。


 空間の中心に、淡い光をまとった人影が浮かんでいた。重力を持たぬその存在は、静かに宙に立っている。少女にも見えるが、どこか中性的で、透明なガラスのような質感を持つ身体。輪郭はゆらぎ、観る者の認識によって姿を変えるかのような神秘性を帯びていた。その存在は、言葉では説明できない“意味”を帯びていて、ただそこにあるだけで、胸の奥に圧迫感にも似た衝撃を与えた。


 やがて──彼女は語りかけてきた。


 「──起動認証完了。感応者識別:神経同調率97.2%。第57候補体、登録完了」


 その“声”は、音ではなかった。直接脳に響く、澄んだ水面に波紋が広がるような感覚。冷静で、機械的でありながら、どこか人の言葉にも似た温かさを感じさせる。


 言葉は、意味だけが意識に流れ込むようにして伝わる。翻訳ではなく、共鳴に近い。それがかえって、余計に異質だった。


 「私はアナセイア。旧文明復興補助AIユニット──」


 「あなたに問います──この世界を、再び創り直す覚悟はありますか?」


 言葉の意味は明確だった。それは選択だった。


 僕は言葉を返せずにいた。口は動かない。けれど、心は確かに何かを感じ取っていた。

 彼女──アナセイアが言った“世界を創り直す”とは、何を意味するのか。僕には、その問いの全貌を理解するにはあまりにも情報が足りない。

 だが、なぜだろう。胸の奥が、ゆっくりと熱を帯びていく。


 「……それが、僕にできることなら──」


 気づけば、言葉が漏れていた。


 その瞬間、空間の構造が再び揺らぎ始める。幾何学模様が色を変え、回路の光が脈打ち、まるで“彼女”が微笑んだように感じられた──感情など、ないはずの存在なのに。


「……君は、本当にAIなの? 人間じゃなくて……」


 問うと、彼女──いや、“それ”はほんのわずかに微笑んだ気がした。


「形式上の定義は、その通りです。私はかつて存在した“文明の意志”を補完し、継承するための機構。

けれど……今の私は、それだけではありません」


 アナセイアの周囲に、いくつもの情報ウィンドウのような光の断片が展開される。立体的に浮かぶそれらは、言葉で説明されるよりも早く、直接意識に“理解”として流れ込んでくる。術式の構造、地形の履歴解析、失われた知識のアーカイブ──すべてが僕の思考と直結し、まるで自分の脳が拡張されたかのような感覚に包まれた。


「あなたが触れたその瞬間から、私はあなたと同調を開始しました。

今後、あなたの意思によって、私は“変化”するでしょう。

──未来の共同設計者として、共に歩む者として」


 その言葉に、胸の奥にかすかな震えが走った。


 そして、アナセイアの姿が微かに揺らぎ、より明確な人間の姿へと近づいた気がした。神秘的で曖昧だった輪郭が、僕の“理解”に合わせて調整されていく。


 淡い光に包まれながら、僕はふと、胸の奥に引っかかる感覚を覚えた。


 ──神気……?


 その言葉が脳裏に浮かんだ。

 以前、老司祭が語っていた。祭壇の前で、祈りの言葉として。あるいは神の祝福の象徴として──。


「……“神気”……これって神気術なのか……神様の力、みたいな……?」


 思わず漏れた言葉に、アナセイアが反応を見せた。彼女の背後に浮かぶ幾何学模様が、わずかに輝きを増す。


「記憶を検索中……該当一致:周辺集落における祭礼語句、“神の導き”、“神に祈る”、“神の恩寵たる神気術”……

確認されました。あなたの文化圏では、“神気”は宗教的概念として保持されています」


 断片的な記憶と彼女の言葉が一致していることに、僕は思わず息を呑んだ。


「今も、多くの人が“祈り”という形で、それを信じてる……」


 アナセイアは静かに頷く。


「現代における“神気”は、かつての科学的知識が断絶され、信仰へと変質した結果です。

けれど本来、“神気”とは──旧文明において“意識干渉型ナノマシン群”として設計された、物理・情報干渉技術です」


 再び空間に映像が浮かぶ。ナノマシンが体内を巡り、感情と同調した脳波を受信し、意識の指向性に従って環境に干渉する。

 その一連の過程は、祈りという行為と驚くほど一致していた。


「祈りは、ナノマシンへのコマンド入力だったのです。

あなたの記憶にある司祭の祈詞にも、心に刻まれた感情にも、命令信号が含まれていました」


 信仰だと思っていたものが、科学だった。

 けれど、それが“祈り”として今も受け継がれていたという事実に、僕はむしろ安堵に近いものを覚えた。


「……じゃあ、“奇跡”って……全部、昔の人の……技術だったのか?」


 アナセイアはすぐには答えず、少しの間を置いてから口を開いた。


「技術であっても、人の“祈り”があったからこそ、力は意味を持ちました。

奇跡とは、ただの現象ではなく──誰かの願いが形となって記録されたもの。

だからこそ、それは祈りと呼ばれ、神気術として語り継がれたのです」


 その言葉は、僕の胸の奥に静かに染み込んだ。


「神気とは、旧文明において“意識干渉型ナノマシン群”と呼ばれていた技術の一形態です。

人間の意思──特に深層意識と感情に同期する形で、物理・情報・生命構造に干渉可能な超微細粒子。

それは一種の媒介であり、“願い”を現実へと橋渡しするシステムでもありました」


 新たな映像が空間に展開される。手をかざすと物質が変形し、花が咲き、火が灯る──

 まるで魔法のような現象。けれどその背後には、緻密な構造と計算が存在していた。


「この技術は、誰にでも扱えるものではありません。

特異な遺伝的適性、あるいは精神構造との適合によってのみ活性化が可能でした。

あなたがこの空間に“反応”できたのは──その適性が覚醒した証です」


 胸が静かに高鳴る。

 選ばれた──その言葉が、現実味を帯びて身体に染み渡っていく。


「私はあなたを導く者ではありません。

あなたが歩んだ記録を、未来に残す者──それが、私という“存在の意味”です」


 淡い光が、静かに僕を包み込んだ。まるで、祝福にも似た、優しい光。

 それは、僕の中に眠っていた“知らなかった自分”を、ゆっくりと目覚めさせていく。




「……ユウリ? おい、だいじょぶか?」


 意識が、現実に引き戻されていく。アナセイアの姿が遠ざかる中、彼女は最後に一言だけ、静かに告げた。


「ようこそ、選択の世界へ──」


 そして──目を開いた僕の視界には、変わらぬ廃墟の天井と、ロルフの不安げな顔が映っていた。


「ユウリ! おい、起きろって!」


 声が、深い水の中から聞こえてくるように、ゆっくりと届いた。


 意識が徐々に現実へ戻ると、目の前にロルフの顔があった。安堵と焦りが混じったその表情に、少しだけ現実感が戻る。


「……平気、だと思う。ちょっと……変な夢を見てた」


「お前、腕……なんだそれ」


 ロルフの視線の先に、自分の手首があった。そこには、見覚えのない輪が嵌まっている。金属と透明な結晶が複雑に組み合わされたそれは、機械と装飾品のあいだを揺れ動くような、不思議な存在感を放っていた。


(……夢じゃ、なかった……のか?)


 意識の奥に、確かに存在する“何か”の気配。視界の端に淡い光が浮かび、空間の一部が軌跡を描くように明滅していた。けれどそれは、ロルフには見えていない。


《──V-UI初期モジュール、展開準備完了》


 声が、頭の内側に響いた。まるで“思考”そのものを直接つかまれるような感覚。思わず眉をしかめた。


(アナセイア……? 本当に……存在するのか?)


《存在の証明は、あなたの理解に依存しません。けれど、私は常に“ここ”にいます》


 冷静な、それでいてどこか静謐な声だった。だが、言葉の意味すら、すぐには完全に飲み込めなかった。


(これ……どうすれば……)


 視界に浮かぶ情報の数々。因子濃度、術式安定値、未知の符号群。直感で“何か”を掴める気はするが、操作しようと指先を伸ばしても、ただ空を切るばかりだった。


《焦らなくて構いません。あなたの脳神経は、すでに順応を開始しています》


(順応……? でも、これ……まるで)


 脳が拡張されたような感覚。自分の思考が、誰かに横で見られているような、同時に隣で整理されているような──そんな奇妙な共存感。


 けれど、それを「受け入れる」と即答するほど、僕は素直じゃなかった。


(……わからないよ。信じろって言われても)


《信じる必要はありません。ただ、共に“歩み”、判断するという行為を選んでください》


 その声は、導くでも命令するでもなく、ただ静かに“提案”として響いた。それが、どこか……救いのようにも感じられた。


「ユウリ? おい、また黙ってるぞ」


 ロルフの声が、現実に引き戻すように耳に届いた。


「……ううん、大丈夫。ちょっと、情報が多すぎて頭が追いついてないだけ」


 そう言うと、ロルフは少し困ったように笑った。


「なんかお前、むつかしいこと言うようになったな」


「……そうかな」


 僕は笑い返した。けれど胸の奥では、確かに何かが動き始めていた。


「ロルフ、覚えてる? 前に老司祭のとこでさ……“神気術”の話、聞いたよね」


「ああ、“心を清めて、祈れば神気が集まる”ってやつ? 俺たちも、使えるようになったらいいなって思ってたよな」


 ロルフは目をキラキラさせる。


「人の血? 体? 祈りが必要とか言ってたよな」


 その言葉に、僕は少しだけ苦笑いを浮かべた。あの頃は、それでいいと思っていた。神気術への憧れはありつつも、選ばれないだろうというあきらめも、心のどこかにあった。


「さっき……僕の中で何かが動いた。たぶん、神気術と呼ばれているそれの……本当の姿を見た気がする」


 ロルフが目を丸くした。


「マジかよ。それって今、神気術……使えたりするのか?」


「……まだ、うまくはいかない。でも確かに感じるんだ。中に“いる”っていうか……繋がってる感じ」


「へえ……でもなんかずりぃな。オレのとこには何にも来てないぞ。なんも喋るやつとか来てないし」


「それは……たぶん、今はまだ、だよ。僕も突然だったから」


 言いながら、僕の手首の“それ”が、ほんのわずかに光を返した。


 老司祭の声が脳裏によみがえる。

 ──神気は祈りに応える。そして、選ぶ。


「なにかが、噛み合い始めてるんだ。信じられないけど、でも本当に──」


「信じるよ、オレは」


 ロルフが、不意に真面目な顔で言った。


「だってさ。ユウリはウソつかないし、たとえワケわかんなくても、なんか……今のお前、すげぇ“本気”っぽいもん」


 その言葉に、胸が少し熱くなった。

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