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《黎明の器》──僕と彼女の世界再構築譚──  作者: 久遠 千尋
この世界に根づいて
3/25

幼なじみ

 「おーい、ユウリー。川に魚取りに行こうぜー!」


 ある朝、妹のノアとルナと家の前で遊んでいると、大きな声が響いた。


 この声の主は、幼なじみのロルフ・ヴィーレン。金髪にそばかす、日焼けした肌がよく似合う、元気いっぱいの少年だ。明るくてお調子者だけど、どこか憎めないやつで、僕とは物心ついた頃からの付き合いだ。


 ロルフの家は村の北側、雑貨屋の裏手にある木工職人の工房だ。彼の父親は椅子や道具を作ることで村の人たちに信頼されているけれど、ロルフ自身はというと、木工よりも川遊びや探検に夢中だった。


「おさかなー! あたしもいくー!」

 ルナがぱっと顔を輝かせて、僕の手をぎゅっと握ってきた。


「えっ、ルナも行くの?」

「うんっ!」

 大きく頷くルナに、僕は少し困ったように笑う。


 そのとき、ノアが僕のズボンの裾をつまんで「にー……」と小さくつぶやいた。眠たげな目でこちらを見上げてくるけれど、まだちゃんと歩けるほどには目が覚めていないらしい。


「ノアはおうちでお留守番ね。ほら、お母さんのところ行こう?」

 母さんがそっとノアを抱き上げると、ノアは小さく「あー……」と声を漏らしながら、母さんの胸に顔をうずめた。


「ルナ、ユウリと一緒に行ってきていいわよ。でも、ちゃんと手をつないで、川では目を離さないこと」

 母さんが僕たちに優しく言い聞かせる。


「森には入るな」

 父さんの声が、土間の奥から静かに響いた。


「はーい!」

 僕とルナがそろって返事をすると、ロルフが「はやくはやくー!」とせっついてくる。


 こうして、僕とルナ、それにロルフの三人で、川へと向かうことになった。


 ロルフが釣竿片手に目を輝かせて言う。「今日はな、神気魚しんきうおを狙ってみようぜ!」


 神気魚──それは、村の南側を流れる支流にまれに姿を見せる、伝説のような存在だ。


 全長は手のひらほどで、銀色の鱗に青白い光が走る。その光は昼でも目を凝らせばはっきりと見え、水中を泳ぐたびに尾の先から淡い残光が揺らめくという。


 村では“精霊の使い”とされていて、見かけた者には幸福が訪れるとか、命が延びるとか、いろいろな噂がある。中には「昔、神気魚の泳ぐ川は聖域だった」という古老の話もあり、村の中ではちょっとした神話的存在になっている。


 ただし、目撃例こそあれど、実際に捕まえた者は誰もいない。


「せーれーの、おさかな?」

 ルナがぽかんと口を開けて、ロルフを見上げる。手には大事そうに持った小さな虫取り網。


「うん、そう! すごーくきれいで、つかまえたら幸せになれるんだってよ」

 ロルフが胸を張って答えると、ルナは「じゃあルナ、ぜったいみつける!」と意気込んでいた。


「精霊の泉の方には出るらしいけど、あそこは入っちゃダメだろ? でもな、去年のこの時期、川の分岐点で見たってじいちゃんが言ってたんだ」


 ロルフはそう言いながら、小さな釣竿を手に意気揚々と歩き出す。


「……まったく、どこまで本気なんだか」

 僕は苦笑しながらも、その後ろ姿を追った。


 でも、あいつが信じてるのは本気だって知ってる。僕だって、あの魚が本当にいるなら、ぜひ見てみたいと思ってる。あんな不思議な話、前の世界じゃまず信じてもらえなかっただろう。でもここでは、そういう話が当たり前のように語られている。


「にいちゃ、つかまえたら せーれーのおさかな やく?」

 ルナが急にそんなことを聞いてきて、僕は思わず笑ってしまった。「……いや、神気魚は食べないと思うよ」と答えると、「たべないの? おいしくないの?」と不思議そうに首をかしげる。


 そんなやり取りもまた、今の僕の日常で──

 この日常が、すでに“当たり前”になりつつあることに、ふと気づかされた。




 日が高くなるにつれて、川面のきらめきが増していった。水面はまるで宝石をばらまいたように光を弾き、眺めているだけでも楽しくなる。


「ユウリ、見て見てっ! 今、絶対いたって! ぴっかーって光った!」

 ロルフが声を弾ませて叫ぶ。片手で竿を振り上げながら、もう片方で僕の肩をがしがし揺すってくる。


「そんなに揺らすなよ……って、魚逃げるってば……!」

 僕は苦笑しながら言うけれど、ロルフは全然気にしてない様子だ。というより、聞いちゃいない。


 背中には太陽がじりじりと照りつけ、首筋を汗が伝う。けれど、そんなことはどうでもいいくらい、ロルフは全身で「遊び」を楽しんでいた。


「ほらっ、ルナはこっちで水跳ねさせんなー! ユウリのとこまで波きてんぞ!」

「えーだってつまんないんだもーん!」

 川辺ではルナが手足をばしゃばしゃさせて水をはねている。見ればその足元には、小さな石を積んで作った“魚のおうち”と称する謎の構造物ができつつあった。


 僕は内心、気恥ずかしくなる。こんな子供っぽい遊びに、前世では当然興味なんてなかった。いや、今だってちょっと恥ずかしい気がする。


 けれど、気づけば僕の指は竿の先をじっと見つめ、目を凝らして水中をのぞいていた。小さな影が走れば「今だ!」と心の中で叫び、竿が揺れれば思わず手が動いていた。


 あれ、僕、今──本気でやってるな。


 そんなことを思ってるうちに、またロルフが騒ぎ出す。


「なあなあ、あの影って、もしかして神気魚か!? ねえってばユウリ! あれ、光ってたろ!? なあ!!」


「いや、どうかな……ただの石かも──」


「いやいや、石だったらあんなにぴかーってしないって! もー、一瞬見逃すと損だぞー!」


 ロルフの大声に、ルナも負けじと「おさかなさんはねー、ぴかってなるのー!」と叫びながら、さらに派手に水をはねる。


 僕はそれを見て、思わず吹き出した。肩の力が抜けて、なんだか胸があったかくなる。


 ……そうだ。別に立派な目的があるわけじゃない。ただ、こうして笑って、騒いで、釣りをしてる。たったそれだけのことが、こんなにも楽しい。


 ふと、ロルフが僕の横にぴたりと立って、小声で言った。


「なあ、オレさ、神気魚見つけたら、父ちゃんに自慢すんだ。そしたらさ、村の大人たちも驚くだろ?」


 その目は本気だった。大げさでお調子者のくせに、時々こういう素直な顔をするんだから、ずるい。


「……じゃあ、ちゃんと見張ってろよ。僕が釣ったら先に言いふらすからな」

「えーずりぃ! じゃあ協力なー、今からチームだぞ! ユウリとロルフの神気魚探索隊!」


 そう言ってロルフが差し出した手を、僕はちょっとだけためらって──でも、握り返した。




 時間だけが過ぎていく。日差しはすっかり真上から差し込むようになり、背中に汗がにじむ。釣果はというと、小さな川魚が数匹。それも、どれも神気魚とは似ても似つかない、ただの銀色の魚だ。


「……そろそろ、帰ろっか」

 僕がそう言うと、ロルフは「もうちょっとだけ!」と、最後の望みをかけるように釣り糸を垂らした。しばらく真剣な表情で水面を見つめていたけれど、やがて竿を垂らしたまま、重いため息をついた。


「くそー、今日もダメだったな……。やっぱり、あれって本当にいるのかな……」

 ロルフのつぶやきは、悔しさというよりも、どこか寂しげだった。


「いたよー、きっと!」

 ルナが虫取り網をくるくる振りながら、川べりを元気に跳ね回る。「おひかり、きらきらしてたもん!」

「それ、ただの太陽の反射だろ……」

 ロルフが小声で突っ込むが、ルナは気にする様子もなく「ぴっかぴかのやつがいたの!」と胸を張る。


 僕はそのやり取りを見ながら、思わず笑ってしまった。こんなやり取りすらも、なんだか楽しかった。


 川沿いの小道を歩きながら、僕たちは今日の“冒険”の反省会を始めた。

「ねえ、明日はもっと上流の方に行ってみようよ。きっとそっちにいるって!」

「うーん……でも、あんまり遠くまでは行けないって、父さんに言われてるし」

「ちぇー、ルールばっかり」

 ロルフはそう言って、足元の石を蹴り飛ばした。カランと音を立てて転がった石を見て、ルナが追いかけながら「いし かわいそー! いたいいたいよー!」と笑う。


「でもさ、また明日も行こうぜ」

「……うん。ルナも、いく!」

 二人の顔が、同時にこっちを向く。僕はちょっとだけ気恥ずかしくなりながらも、思わず頷いていた。


 村へ戻る頃には、日差しはだいぶ傾いていた。

 木柵の影が長く伸び、草の間からは、夕方の虫の声がかすかに聞こえてくる。煙突からはゆらゆらと煙が昇り、空は茜色に染まりつつあった。足元に転がる小石すら、夕日を受けて赤く光っていた。


「今日はありがとな、ユウリ。また今度行こうぜ!」

 ロルフが両手を大きく振って、自分の家の方へ駆けていく。背中に、今日一日の元気が詰まっているみたいだった。

「まったく……あいつ、疲れないのかよ」

 僕は苦笑して、その姿が角を曲がって見えなくなるまで見送った。


 手をつないだルナが、ぽつりと呟く。

「つぎは、ユウリとロルフと、ノアもいっしょに!」

「ノアはまだ釣りできないよ」

「できるのー! がんばるのー!」

 そんなやりとりをしながら、僕たちは家路をたどった。




 僕たちの家に近づくにつれ、ほのかに薪の香りとスープの匂いが漂ってきた。井戸のそばを通ると、母さんが洗濯物を干していた姿が見えて、ルナは手を振りながら「ただいまー!」と叫んだ。


「おかえりなさい。今日は楽しかった?」

 母さんがふり返り、笑顔で迎えてくれる。その穏やかな声に、外の空気が少しやわらいだ気がした。


「神気魚は、見つからなかったけどね」

「でも、ちいさいの、たくさんとれたー!」

 ルナが嬉しそうに報告すると、母さんは「あら、よかったわね。ちゃんと手を洗ってから入ってね」と優しく言った。


 靴を脱いで土間に上がると、奥の部屋から「にーに!」という元気な声が聞こえた。ノアがぱたぱたと足音を立てて駆け寄ってくる。手には木のスプーンを握りしめ、服にはなぜか小さな葉っぱがくっついていた。


「ただいま、ノア」

 僕がしゃがんで手を広げると、ノアは勢いよく飛び込んできて、僕の膝にしがみついた。ふにゃっとした笑顔で見上げてくる顔に、自然と笑みがこぼれる。


「おさかな、とった?」

「うん、でも小さいのだけね」

 ノアは「ふーん……」と考え込むような顔をしてから、「つぎ、とれる!」と元気よく言い切った。その様子に、母さんも笑いながら「その意気よ」と声をかける。


 夕食の準備はもうできていて、食卓には温かいスープと焼きたてのパン、それに香草で炒めた野菜が並んでいた。みんなで席につき、手を合わせて「いただきます」。


「ねえねえ、ロルフがね、もっと上流にいこうって言ったのー」

「でもダメっていったー」

 ルナが元気よく話しながらスープをすする。ノアもその真似をして、小さなスプーンで自分の器に挑戦している。こぼさず口に入れられたのがうれしかったのか、「だー!」と手を叩いた。


 ──こんな、何気ない夕暮れ。家族との、ただの食卓。


 でも、前世の記憶を持つ僕にとっては、それがどれほど奇跡のように尊いか、身にしみてわかっていた。


 神気魚の正体なんて、今はどうでもよかった。

 その魚を追いかけて走り回り、こうして帰る家があって、迎えてくれる家族がいる。

 それだけで──僕には、もう十分だった。

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