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制度の扉

ストックがつきました。1~2週間、書き溜めに入ります。すみません。。。

 再び、扉が開いた。


 昨日と同じ音だった。低く、重く、わずかなきしみすらない。けれど、どこか違って聞こえた。耳が慣れたせいか、それとも心のどこかがこの空間に馴染んできたのかは、わからなかった。


 「案内します」


 立っていたのは、変わらず無表情な神官だった。彼女の口調にも態度にも変化はない。けれど、僕の歩みは、昨日ほどおびえたものではなかった。足裏に触れる床の冷たさも、もう驚きではない。無機質な石の廊下を歩くたび、自分が「ここ」に組み込まれていく感覚があった。


 (また……話をするのか)


 どこか、覚悟のようなものがあった。話すことで何かが変わるわけではないと知りながら、それでも「話さない」ことの方が、もっと何も残らない気がしていた。


 細い廊下の奥──昨日と同じ扉の前で、神官が足を止めた。そして、無言のまま扉を開いた。


 その瞬間、わずかな違和感が僕を包んだ。


 部屋の空気が、柔らかかった。


 冷たいままの空間に違いはない。白一色の壁、低い天井、質素な机と椅子──まるで昨日の光景をそのままコピーしたようだった。けれど、なぜかその空気が、ほんの少しだけ“人”の温度を帯びている気がした。


 「──入っていい」


 穏やかな声がした。


 椅子の向こうに、ヤルドが座っていた。姿勢は相変わらず崩さず、手には書類を持っていた。でも、昨日のような、対象を測定するまなざしは、そこにはなかった。視線はまっすぐに僕に向いていたが、それは壁を突き抜けるような鋭さではなく、こちら側の存在を認めた上で向けられるものだった。


 僕は静かに頷き、椅子に座った。


 部屋の中には、しばらく沈黙が流れた。昨日のように「手続きとしての質問」が始まるのかと身構えていたが、ヤルドは何も言わなかった。ただ、書類に目を落とし、静かにそれを読み進めていた。


 ふいに、口を開いた。


 「昨夜は、眠れたか?」


 意外な問いだった。形式的なものにすら感じなかった。あまりにも唐突で、どう答えたらいいのかわからなかった。


 「……少し、だけ」


 そう答えると、ヤルドは小さく頷いた。


 「この施設は、“思考を削る”には十分な静けさを備えているからな」


 それは皮肉とも、同情とも取れた。けれど、口調は変わらず穏やかで、感情の色は薄かった。


 「今日は少し話をしよう。ユウリ。君は、どうして言葉を選んで話すのだろうな」


 唐突な問いかけだった。


 「君は、制度の前では発言に意味がないとわかっているはずだ。私の言葉がそうだった。だが君は、それでも語ろうとする。なぜだ?」


 僕は、答えられなかった。いくつも理由は頭に浮かんだが、どれも口にすると、薄っぺらくなってしまいそうで。


 沈黙を恐れて、僕はようやく言葉を選んだ。


 「……話さなかったら、僕は、ここにいない気がするからです」


 ヤルドは、わずかに目を細めた。


 「“君が消える”という意味か?」


 「たぶん……僕の中にある“何か”が、です」


 言ってみて、自分でもうまく説明できていないのがわかった。でも、言葉にしておかなければ、それは本当に消えてしまう気がした。名前のない感情、まだ言語になっていない痛み──それを抱えたまま、僕はヤルドを見た。


 彼は、しばらく黙っていた。


 そして、机の上に置かれていた小さな書類を手に取り、淡々と口を開いた。


 「制度は、感情に意味を見出さない。だが、“兆し”はしばしば持ち手の言葉や行動に連動する。君が何をもたらす存在か──それを正確に理解することは、観測と管理の一環として不可欠だ。私は、君を知る必要がある」


 ヤルドは視線を落としたまま、言葉を続けた。


 「君の身に起きた“現象”──神気術の暴走、そして未制御状態への移行。これらは、セレン司祭によって記録・報告されている。観測された波動は、既存の神気術体系に属さない異質なものだった。教会は、それを明確な“兆しの出現”として把握している」


 その口調は冷静で、わずかな揺らぎもなかった。制度の意志を代弁する者として、必要な事実だけを機械のように積み重ねる、その姿はどこか無慈悲にすら映った。


 「ただし、君が所持していた旧文明の遺物と現象との因果関係については、報告に明記されていない。セレン司祭もまた、その装具の性質に関しては記録を残していないようだ。つまり、現時点で制度が把握しているのは、“装具の存在があったらしい”という仮定だけだ」


 ヤルドはわずかに間を置き、静かに言葉を継いだ。


 「君が体験した出来事は、偶発ではなく、構造を持った連続事象と考えられる。暴走、制御の兆し、そして断絶。その一つひとつに、観測されるべき意味がある。君自身がそれをどう捉えているかは別として、我々はそれを記録し、扱い、制御せねばならない」


 その言葉には、やはり温かさはなかった。でも、ただの手続きでもなかった。


 「……僕は、ただ巻き込まれただけです。気がついたらああなっていて……僕が“兆し”なんて呼ばれるような存在であるかどうかすら、自分でも──」


 「わからなくていい」


 ヤルドは静かに言葉を挟んだ。


 「 神気術も、精霊術も、かつては単なる“現象”に過ぎなかった。だが今では、それらは理論として整理され、制度の中に位置づけられている。」


 僕は、言葉を失った。


 まるで、自分が現象の一部であるかのような──いや、現象そのものとして語られているようだった。


 ヤルドはさらに続けた。


 「君が何らかの要因で、神気の異常な反応を引き起こしたのは事実だ。だが、それが君自身の潜在的資質によるものか、あるいは何らかの媒介装具によるものか──それは、今後の観察によって明らかにされる。君が語らない限り、我々には想定を積み重ねるほかない」


 彼は一瞬、机の上の聖印に視線を落とした。


 「……君は、セレン司祭に聖印を託されたと聞いている。彼は制度に忠実でありながら、その枠組みに安住しなかった。私とは、そういう意味で“対照的な人間”だった」


 僕は目を伏せた。セレンの顔が、心の中に浮かんだ。あの穏やかな微笑み。何も押しつけず、ただ「選ばせてくれた」人だった。


 「だからこそ、私は君に一つの道を示す」


 ヤルドは淡々とした口調のまま、しかし一切の曖昧さなく言った。


 「君には、神気術士・聖職者養成機関──聖導学院への編入が決定した。制度的措置として、“保護監察下における訓練・観察対象”として、正式に処理された」


 その言葉に、僕の中で何かがわずかに動いた。


 「……それって、監禁とは……違うんですか?」


 「違う。ただし、“自由”ではない」


 ヤルドの答えは、あまりにもはっきりしていた。僕は、返す言葉を見つけられなかった。


 「君の行動は引き続き記録され、定められた範囲を超えることは許可されない。だが、教育を受ける機会が与えられ、制度の中で生きる術を学ぶことができる。それは、ただの収容よりも──遥かに君自身の将来に意味をもたらすだろう」


 「……僕が、“制度”の一部になるってことですか」


 「そうだ。だがそれは、“君を失わずに済む道”でもある。君を“拘束”するのではなく、“制度において定義する”ということだ」


 その言葉が、妙に現実的で、そして──制度の外縁で、かすかに揺らいだ“理解の兆し”のようだった。

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