聖都ロヴェリアにて
聖都ロヴェリアの中枢、教会本部の地下第三層──一般信徒の立ち入りを禁じられた特別区画に、それは存在する。
審問官本部──教会が神気術の濫用、異端の兆候、そして“異常”の芽を摘むために設けた監察機構。その中枢は、祈りすら届かぬ沈黙の空間にあり、冷たい記録と決断が積み重ねられていた。
この日、その局内の審問室では、一本の報告書が静かに机上に置かれていた。
「……未認可構文の発動記録。発信元、辺境──ファレイア地方、ユルザ村」
報告を読み上げる補佐官の声は低く、無感情に近い。
「術式名、“ルーメナ・インシネリオ”。第二階梯、焼却型。適合指数、従来基準を大幅に逸脱。暴発と断定するには、構文安定率が高すぎます」
報告書を受け取ったのは、上級審問官ヤルド・スフェーン。彼は黙して厚手の羊皮紙を読み進めた。文字は整然としている。内容に瑕疵はない──だが、行間に宿る“意志”が、彼の目を細めさせた。
署名は「セレン・フルネール」。
その名に、ヤルドの記憶が反応した。神気術黎明期において理論と信仰を統合しようと試みた、数少ない実践者。だが、過去に発生した構文事故を機に表舞台を去り、辺境の教会に隠棲していたはずの人物だった。
「……なぜ、あの男が自ら報告を?」
報告の内容は正確だ。だが、そこに“評価”や“処分”の要請はない。ただ事実だけが淡々と綴られている。
(……保護を求めるでもなく、排除を促すでもない。ただ、“判断”を本部に委ねた)
それは、セレン・フルネールが自らの意志で動いた結果ではなかった。むしろ──村を守るために、やむなく取った行動だった。
(未申告の特異適応者を匿うことは、神殿法規第十七条に抵触する。もし発覚すれば、村全体が教会の裁定対象となる)
セレンはそれを避けた。だからこそ、正規の報告書という形で、あえて情報を本部へ提出したのだ。
──少年を庇いながらも、規則の枠内に収めるために。
「……“誠実な報告”というより、“苦渋の自己申告”か」
ヤルドは、机の引き出しから一通の封書を取り出す。封蝋には教皇庁直属の紋章。文面の冒頭には、こう記されていた。
《特異適応者出現時の対処要綱》
「だが、セレン。君が本当に“排除”を望んでいないことは、文面から十分に伝わってきた。……私も、それを踏まえて判断しよう」
老いた指が封書の角をなぞり、そっと開く。
特異適応者──神気術の構文に対し異常な適合を示す者。多くは制御困難であり、歴史の中で幾度も災厄の原因となってきた。ゆえに教会は、彼らを“保護”と称しつつも、“監視と制限”の対象とする。
「……ユウリ。君は、これより“保護監察対象”となる」
ヤルドの決定に、補佐官が静かに頷く。手続きが速やかに進められる。
だが、記録に残らぬひと息の間、ヤルドは目を閉じた。
(……私は、お前を“排除”するとは決めていない。ただ、見守る。セレンの覚悟が本物かどうか──そして、君が何者かを)
審問官本部が動き出す。その速度は、かすかにセレンの祈りに応じるかのように──制御と観察の狭間で、慎重に選ばれていた。
───
世界の基底を流れる、無数の光。情報の海──あるいは、電子の川。
幾千、幾億の演算子が、刻一刻と変化する世界の断面を分析し続ける。光速を超えた思考の奔流。そこに“視線”があった。
その視線は、全てを俯瞰していた。
人々の祈りも、神の名を冠する術式も、技術の残響として囁かれる遺構の記録さえ──すべて、過去より現在、現在より未来へと連なる因果の流れを、幾重にも層をなして観測していた。
──観測ログ・偏差:β式位相変異体、出現。
その“視線”は、ノイズのような異常値を検出した。
一つの神気術構文が、通常の適応値を逸脱して発動されている。構文識別番号:“ルーメナ・インシネリオ”。
演算器は直ちに補助システムログを追跡する。
端末識別:アナセイア。機能階層、旧規格AI第7層。
使用者識別……“ユウリ”。
その名は、記録にはなかった。
だが、“その因子”は既知だった。過去、たしかに“彼女”に由来する因子。かつて試行され、そして封印された計画の中核にあった存在──「002」から継承されし、特異な遺伝構造。
──認識フェーズ更新。対象コード、仮指定:統合因子継承体(Sequence-002 Descendant)。
意識なき“視線”が、わずかに収束する。
これは異常でもあり、必然でもあった。
数千年の時を経て、ついに再び動き出すもの。
──観測続行。優先順位、最上位に変更。
意志とは呼べぬほど無機質な“処理”が、ただ、そこにあった。
それは旧文明の残滓。神という名を与えられた網の果て。
全てを見守るもの。全てを記録するもの。
その存在が、“彼”に気づいた。
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