隣町のおたま
図書館で本を見つける前は「おたまの大流行もこの街だけかもしれない」と考えていたが、隣町であってもおたまは町にあふれていた。
相変わらず道沿いにはおたまみたいな花が咲き乱れているし、川を覗くと当然のようにおたまみたいな魚が泳いでいる。
おたま型の日傘をさす女性が歩いてきたので、
リカは「それくらいはもう おたまじゃなくて傘でいいのに」と思った。
お気に入りのランチでお腹も満たされ、いい加減見慣れてきたおたまに突っ込みを入れながら、どこか懐かしい住宅街を20分ほど歩いただろうか。
マップアプリの通り、突然青々とした小さな森が見えてきた。
住宅6軒分くらいの敷地で本殿や社務所も控えめなつくりだが、
隅々まで丁寧に手入れがされている。
土の足元には雑草1つ生えておらず、古くも清潔感があった。
恐る恐る境内に1歩踏み入れたリカは、爽やかな風が吹くのを感じた。
まずは一通り境内を回り、参拝をする。
境内を探すまでもなくあちこちに包満月のモチーフが見受けられた。
建物の柱や瓦屋根の装飾に、カーテンのようにかけられた布。
おたま型の絵馬にはたくさんの願い事が書き込まれていた。
やはり図書館で読んだ津々海神社と同じく、包満月を重視しているらしい。
サッ……
静かな境内に別の足音が聞こえて振り向くと、装束を着た神主らしき人物が社務所から出てくるところだった。50代とみられる男性は、特に急ぐ様子もなく境内を歩いている。
「直接話を聞こう」
リカは勇気を振り絞った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「すみません……境内で包満月文をたくさん見たのですが、この神社で大切にされている文様なのでしょうか?」
話しかけてみると、神主と思われる男性は好意的に対応をしてくれた。
「そうですね、この神社でお祀りしている好伊津々海神のご加護があるとされる文様になります。5つの丸を円形に並べ、棒線を交差させた形となりますが、好伊津々海神もお椀に棒線がついたような姿をされているのですよ」
突然話しかけたにも関わらず、丁寧な説明をしてくれる姿にほっと一息つく。
穏やかなオーラに包まれた男性だ。穏やかさに甘えて色々聞いてみることにする。
「そうなんですね。お椀に棒線がついたような形といえば、町でもたくさん目にしますよね。それも元は同じ神様なんですか?」
「道具や乗り物の形はそうでしょう。好伊津々海神への信仰は6世紀頃から存在しておりました。古くから統治者の衣服に包満月が使われていたことを考えると、民衆の間で好伊津々海神の御姿がありがたいものとして定着していったと考えられます」
「大変恐れながら、お椀に棒線がついた形だと料理をよそいやすいなあ……と感じるのですが、『ありがたい姿』だから料理では同じ形のものを使わない……ということでしょうか」
さすがに踏み込みすぎただろうか、神主の反応をびくびく伺う。
「どうして『料理をよそうとよさそうだ』と感じたのですか……?」
睨まれるかと思いきや、神主は怪訝な顔をした後、悲しそうな目でリカを見ていた。さすがに神様を料理に活用しようという発想が失礼すぎたのだろう。
「大変失礼いたしました。以前は当たり前のように使っていたものですから……おたまを……」
「以前は『当たり前のように使っていた』……?」
あ。やばい口が滑ってしまった。不敬すぎる。
このまま走って逃げたい。ただ、近場にある唯一の手掛かりを逃してしまうことになる。
「いえ、言葉の綾です……!料理は木のヘラでよそっております。包満月のことを考えるあまり、言葉が混ざってしまいました。何か好伊津々海神について勉強できるものはありますでしょうか……!」
一瞬で思考を巡らせた結果、とりあえず誤魔化すことにした。
さすがに苦しいだろうか。
「…………」
永遠にも思えた沈黙を経て、親切な神主は口を開いた。
「これから学会があるのですが、一緒に来ますか?」