おたまって何だ?
激動の1日を終えた体を優しく布団が抱き止める。
突っ伏した視界に映るのはただただ白いシーツ。
おたまが1つも視界に入らないベッドはいつも以上に安心できる場所だった。
全く仕事が手につかなかったリカは、体調不良を申し出ていつもより早く帰宅した。あまりの気疲れにこのままベッドと仲良くしていたかったが、19時を指す時計が目に入り、しぶしぶ起き上がる。
プライベートPCの電源をつけ、この世界のおたまについて調べるために。
まずは昼間と同じく『おたま』と検索にかける。
もちろん画像は出てこない。
カエルの幼生『おたまじゃくし』も、ここではそう呼ばないらしい。
次は『料理 すくう 道具』と調べてみる。やはり木製のヘラを使うようだ。
「本当におたまの存在が消えている……」
リカは言葉を失うと共に、今後のことを考える。
見慣れた世界が突然変わってしまった。
元の世界に帰れるのだろうか。……いや、帰る必要があるのだろうか。
今日1日を過ごす限り、異様なのは「おたま」周りの現象だけで、人も暮らしも元の世界と変わりなかった。
「町田の存在で安心する日が来るとは」
唯一の同期入社である町田のアホ面を思い浮かべ、口角を上げたリカはすぐに頭から消した。
世界が変になっても、リカ以外の人間は困っていない。
でも、見知ったはずの街も人もまるで他人のようだった。
このままこの世界に生きても、数年もすれば大量のおたまに慣れるだろう。
でもただ諦め受け入れるには、少し早い気がした。
「私は青山リカよ。まずは動いてみなきゃ」
リカは拳に力を込め、ガッツポーズを作った。
まずは状況整理。
『世界が変わったきっかけは?』
きっかけが分かれば元に戻す大きな手掛かりになるはずだ。
でも分からない。
目が覚めたら世界におたまがあふれていた。
眠ることがトリガーであれば手っ取り早くていいのだが。
気になるのは、昨夜寝る前に捨てたおたま。
あのおたまに謝れば元の世界に戻れるだろうか?
……ファンタジーじゃあるまいし。普段のリカならそう切り捨てただろう。
ただ、ファンタジーのようなことが実際に起きている。
帰宅時に判明したことだが、ゴミ箱にあったはずのおたまは姿を消し、おたまが収納されていた場所には見知らぬ木ベラが飾られていた。
だから直接謝ることはできない。
となると、目が覚めたら戻っていることを期待して眠るか、この世界のおたまについてもっと知るしかない。
「今週末は図書館に行ってみよう」
リカはいつもより栄養たっぷりのご飯を作り、悪い夢であることを祈りながら眠りについた。
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