終話:リカの進む世界
『そこの娘さん。ちょっと待って』
少年のような声に呼び止められる。
どこからだろうとリカは周囲を見渡したが、それらしき影はない。
会長や町田を見ても、顔に『?』を浮かべている。
『我はお玉と呼ばれるもの。人と決別した存在だ。
君は先ほど我の首輪に触ったね』
そうだ。ワープ先で聞こえたお玉の声。
お玉は空中から声だけで語りかけているようだった。
「……はい。勝手に触ってしまってごめんなさい」
『いいんだ。それよりさっき我の記憶の中で「ごめん」と言っただろう。我らに祈る者は多いけれど、謝ったのはどうしてだい?』
それは。
「私はこの世界の人間ではありません。私がいた元の世界では、あなたによく似た調理器具があるんです。それを酷い捨て方をしてしまったから、よく似たあなたには謝りたくて」
『そうか……』
「私の謝罪は、届いていましたでしょうか?」
『届いていた』と断言するお玉の声に安堵する。
よかった。農地での叫びは聞こえていた。
捨てたおたまに直接謝罪ができたわけではないが、リカの心は少し軽くなっていた。
『そうか。君の世界でお玉は調理器具なのか……』
改めて嚙み締めるように話すお玉。
「すみません、あなたにこんな話をしてしまって」
『いや、我らはもう怒っていない。確かにかつての戦で心から怒り戦ったが、人と我らの間にあったのは悲しい時間ばかりではないのだ。
今の人の子が我らを愛してくれていること、知っているさ』
リカは視線を感じた気がして、
手首に巻いたおたま柄スカーフを確かめた。
『その手首のスカーフ、後ろの男のものであろう?昔、人の王と誓った友好の証。
かつての約束が守り伝えられている。それを見るたび我らは嬉しいのだ。後ろの爺もいつも花をくれるだろう』
ふたりの目にじわりと涙がたまっていく。
『して、娘さん。君の世界でおたまは調理器具だと言ったね。
おたまは酷い扱いを受けているかい?』
「いいえ。調理以外には使われませんし、雑に扱うこともありません」
地面に投げ捨てたり汚いものをすくったりなど聞いたことがない。
リカは首を横に振った。
『そうか。実は前々から、おたまを再び調理に使ってはどうかと考えていたのだ。
ここへ来る皆が我らを調理から守ってくれていると聞くが、そろそろ共に歩めないものだろうか。皆の謝意は受け取っているし、何より不便であろう。おたまなしで木ベラで汁をすくうのは』
お玉から提示された思いがけない未来。人とお玉がもう一度仲良く調理をする。こちらの歴史からすると信じがたい提案だろう。
人とおたまがより良い道を進むことは、ここにいる皆の願いだった。だが。
「お玉様。横から失礼致します。私はおたま学会……かつての王にここの管理を任された組織のものです。我々には身に余るようなご提案ですが、少し考えてもよろしいでしょうか。私たちはあなた様を調理器具として考えたことがなかったものですから……」
会長が一歩進んで語りかける。
歴史というのは、簡単に切り替えられるものではないらしい。
『そうか。決まったらまた我を呼ぶといい』
お玉は意外とすんなり引き下がった。
本来は人好きのする温和な性質なのだろう。
「お玉さん。私は元の世界に戻る手段を探しているのですが、何かご存じでないでしょうか」
リカは忘れかけていた本来の目的を口にした。
ネックレスでワープができるのであれば、帰る手段を知っているかもしれない。
『ああそれなら、祠の扉に触れるとよい。我らは娘さんの謝意を受け取った。我らの力で戻してやろう』
元の世界に戻れる。リカは鈴本と目を合わせた。
鈴本が心配そうにリカの左足を見ている。……足はまあ何とかなるだろう。
「鈴本さん、私は元の世界に戻ってもよいでしょうか」
ここまで協力し、心配してくれた3人を裏切ることはしたくない。
元の世界に戻りたい一方で、リカはもうこの世界のことも好きになっていた。
「戻りなさい。我々のことはいい。お玉と人の未来は我々が責任をもって考える」
会長は、初めて会ったときの武将のような迫力で「任せなさい」と背中を押してくれた。力強い太眉に鋭い眼光。もうリカにとっては怖くない。
鈴本もいつもの穏やかな笑顔だった。
「ありがとうございます。私も元の世界でお玉のことを伝えます」リカの新しい使命だ。
「町田。一緒に来てくれてありがとう。いろんなこと黙っててごめんね」
『お玉』のことも『元の世界』のことも知らされず、今の会話についてこられていない町田。
「青山は別世界の人なのか?」
当然の質問だ。
「そうなの。私は別の世界から来た。でもいつも町田と話していたリカはちゃんとこの世界のリカで、明日からは元の私が会社に行くと思う」
……何を言っているか伝わるだろうか。
「いつからいつもの青山じゃなかった?」
「町田におたまについて聞いたときからかな」
合点がいった、と呟く町田。
「変だと思ったんだ……。急に勉強も始めるし」
失礼な奴だ。
「それは別にいいでしょうが。
町田、ありがとね。元のリカにもよろしく」
「ああ。そっちの町田にもよろしくな」
ふふふ。
町田と別れのアメリカ式ハイタッチを済ませ、リカは祠に向き直る。ここまでの道のりに、全身全霊で感謝を伝えたい。
「ありがとうございました!!!」
皆に深くお辞儀をして祠に触れると、リカの意識はだんだんと薄らいでいった。
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チリリリリリリリリ!!!!
休日にも関わらず、大きな目覚まし時計の音で目覚める。
「うるさい……」
カーテンを開けて外の景色を確かめると、
もはやおたまの姿はなく、見慣れた街並みが続いていた。
「何度見ても、戻ってきたって感じがするわね」
あの日リカが祠に触れてこの世界に戻ってくると、自室の布団の中だった。
向こうの世界に飛ばされたあともこちらの時間は進んでいたようで、スマホが月曜日の朝を知らせている。
起きて一番にカーテンを開け、外の世界におたまがあふれていないことを確認したとき、リカの心境は複雑だった。あれだけお玉のことを考えた1週間。寂しくないといえば嘘になる。
急いでゴミ箱を確認するとあの日捨てたはずのおたまが残っていた。心からの謝罪と祈りを捧げ、リカは蓋を閉じた。
疲れていても月曜日なので、余韻を惜しみながらバタバタと会社へ向かう。鍵はおたま型じゃないし、外におたま型の花も咲いていない。
「さすがにハードだわ……足が無事でよかった」
洞窟で痛めた足は、不思議と治っていた。
駅に電車が来ることにホッとしながら出社すると
いつもの席に町田がいて、リカは思わず歓喜のアメリカ式ハイタッチを仕掛けた。でも驚く町田にあの日の町田の面影はなく、少し寂しさを覚えたのは欲張りだろうか。
(町田は構わず『マイベストフレンド!』と言っていた)
今日が休日にも関わらずリカが早起きしたのは、本を書くためだ。
向こうの世界で起きたこと。人と物がともに仲良く生きる道。
リカはこちらの世界で『進む道』を伝えていくことに決めたのだ。
「何かいい資料ないかな」
あの日使っていた鞄に手を伸ばす。何かおたま学会の資料コピーが残っていれば。
鞄を引き寄せようとしたとき、ふと鞄からおたま柄のスカーフが顔を覗かせていることに気づいた。
「やばい!返すの忘れてた!!」
リカは思わず頭を抱えた。鈴本とお玉の『友好の証』だ。
でもこれは向こうの世界が幻でなかった何よりの証拠であり、大切な思い出の品。
「おたまは調理器具になれたかな……」
リカはスカーフを机に置き、お玉の未来に思いを馳せてペンを手に取ったのであった。
ここまで読んでくださりありがとうございました!