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「頼子から連絡が来た時は心配したけど、顔色も悪くないし、大丈夫みたいね」
「心配かけてごめんなさい」
「本当よ。シロのせいで一気に老け込んだ気分よ」
「カオさんはすごく若く見えるよ?」
それに、カオさんなら老けてもカッコいいから大丈夫だよって言えば、相変わらずボケたこと言ってるわねと、苦笑される。
「……カオさんは、大丈夫なんだよね?」
僕が窺うように目を向ければ「大丈夫よ」と、笑ってくれた。
「頼子からある程度は話を聞いたんだよね?」
「うん。宝来さんに頼まれたからって」
「そう、頼まれたのよ。イヤだって何度も断ったのよ?それなのに、どんどん常軌を逸してくる奴にビビったわね。――あいつね、毎日何十件も電話してくるし、不規則なはずの私の就業時間や予定を把握して待ち伏せしたり、纏わりついてきて……ストーカーかと思ったわよ」
「ストーカー」
心底イヤそうな顔をしたカオさんは、でもねと諦念を宿した目で笑った。
「あのむさ苦しいのに土下座までされて『シロを俺に返してくれ』なんて懇願されたもんだから、ついつい絆されちゃったのよね」
「土下座……宝来さんが?」
ふわさと尻尾が揺れた。
「そうよ」
「『俺に返してくれ』って言ったの?」
耳が忙しなくピクピクと動く。
「………嬉しそうね」
必死になって平静を保っていた僕は、カオさんの指摘にカァーと顔を赤くした。
「こっちは、失敗したって落ち込んでるってのに」
全く、人の気もしらないでと、苦笑するカオさんに首を傾げた。
「……失敗?何が?」
「記憶、取り戻しちゃったんでしょ?」
「あ……うん」
僕はコクコクと頷いた。でも、それがどうしたんだろう。先生も取り戻して欲しくなさそうだった。
「シロを助ける条件のひとつにね……悪霊になった間の記憶を封じ込めるって項目があったのよ。マサは反対したんだけど、上層部も譲らなくて従うしかなかった。一応、マサの管理下に置くために回収係に配属になったんだけど、マサと組ませるのは封じた記憶を刺激するんじゃないかって結論に達して、私と組むことになったの。……でも、何年も思い出す素ぶりもなかったから大丈夫だと思ったのは甘かったわね」
ああ、だから忘れていたんだって、僕はこの時、やっと理解したんだ。
悪霊化した影響かと思った。前後の記憶は薄っすらとあったから。そこだけがすとんと抜け落ちていたことが不思議だったんだ。
一番、覚えてなきゃいけないことなのに。
「……思い出した僕は処分されるんですか?」
記憶をなくしていることが条件なら、今の僕は処分の対象になるってことだ。
――怖いと思った。先生に話を聞いた時、妥当な処分だと思ったのは本当だけど、今改めて突き付けられると、やっぱり怖いよ。
「このことを知っているのは、頼子と誰?」
「カオさんだけです」
「頼子とは医務室で話したのよね?」
「はい」
「じゃあ、大丈夫かな。医務室での話は頼子の裁量に任されてるから、シロの不利益になるようなことはしないはずよ」
確か、先生もそんなこと言ってた。
「私も誰かに話すつもりはないから、何とかなるわ」
「カオさん?」
「マサはあんたを大事にしているようだけど、私だってシロが大事なのよ。シロを消滅なんて絶対にさせない」
「でも……カオさんに迷惑をかけるんじゃ……いてっ」
ペシンと音が響き、僕は叩かれた頭を押さえた。
「子供が余計な気を回すんじゃないの。迷惑だなんて思う訳がないでしょ?」
メッと怒った顔をして、カオさんが僕を諌めた。僕は何だか胸の奥がくすぐったくて、面映ゆい気持ちになった。
「……僕は子供じゃない」
「私を母親扱いしたのはシロでしょ」
カオさんは僕をふわりと抱き締める。
「シロが大好きよ。一緒に働いてて、素直で可愛いあんたを見る度に、きゅんきゅん来てたのよ?」
…………きゅんきゅん?
「母性本能をくすぐられるって意味が分かったような気がする」
ニコニコと笑うカオさんの顔が、不意に険しくなった。その変わりように僕はギョッと目を見張った。
「カ、カオさん……?」
「この可愛い私の子犬が、あんな筋肉バカの野獣と付き合うことになるなんて。しかも、早速浮気って何!あいつは何様のつもりよ」
「カ、カオさん、落ち着いて」
慌てる僕をギロリと睨み付ける。
「シロ!」
「は、はい」
「許すことないからね。あんなふざけた奴には、とっとと三行半を突きつけてやりなさい」
「で、でも、先生は誤解じゃないかって」
「誤解もハッカイもないわよ。誤解されるようなことをするなって話よ」
宝来さんは何もしていないよと、擁護する言葉は、カオさんのギリッと歯軋りする音を聞いて呑み込んだ。
言っちゃいけない。火に油を注いでしまう。
「いいこと?何を言って来ても、聞いちゃダメよ。全部無視するの」
「で、でも」
「でも何よ」
キツく見据えられ、僕は怯みそうになる気持ちを、負けるなと鼓舞した。
「……宝来さんの意見が聞きたい。ちゃんと話しがしたい」
「………あいつが好きなの?」
僕は……好きだって言ってもいいのかな。宝来さんにひどいことをした僕が、彼を好きだなんて言っても許されるのかな。
「シロ」
僕が顔を上げると、カオさんはさっきとは打って変わって、優しい眼差しを僕に向ける。
でも、優しいんだけど、耳がビクッとなって、尻尾がブワって逆立つのは何でだろう。
「シロは優しいから。でもね、あいつが可哀想だからって理由だけで、絆されちゃダメ。無理しなくてもいいの。どうせ奴が無理やり口説いたんでしょ?強引に迫ったんでしょ?そんなのは無効よ無効」
カオさんはフンッと鼻で嗤い、ざまあみろと呟く。
「私からシロを奪った罰よ」
カオさんが怖いと思うのは間違っているだろうか。カオさんは僕を心配してくれているだけで、悪辣な物言いもワザと………だよね?
「私がシロに似合う可愛い子を見付けて上げるから、あんなアホウのことは、もう忘れなさい」
僕は咄嗟に「いやだ」って叫んでいた。
「僕は、僕は、宝来さんが好きだよ。確かに強引だったけど、好きだって言われてすごく嬉しかった。僕は……捨てられるのが怖くて、宝来さんに気持ちを伝えることが出来なかった。今も、僕のしたことを考えると怖い。でも、好きなんだ。だから、僕は宝来さんと別れたくないし、宝来さんを信じたいよ」
「シロ……」
「僕はカオさんのことも、とってもとっても好きだから、宝来さんを悪く言われるのは悲しいよ」
カオさんは僕の顔をじっと見つめたあと、あーもうと、声を上げ、びっくりする僕の頭をぐちゃぐちゃとかき混ぜた。
「もう、本当に可愛いんだから。……宝来が好きなの」
「うん。好き」
今度は迷わず頷いた。
「私のことは、大好きなの?」
「うん。大好きだよ」
「よし、勝った」
………勝った?僕はガッツポーズをするカオさんを見て首を傾げる。
「宝来は好きで、私は大好きなんでしょ?」
「え?」
「あいつに会ったら自慢してやろ」
「えぇ……?」
「あいつ、地団駄踏んで悔しがるわよ。あーー愉快だわ。想像するだけで愉しい」
「えと……カオさん?」
僕はどうしようと思いながらカオさんを見る。
訂正するのもおかしい気がする。でも、このまま放置するのは、何だかとんでもないことになりそうで、僕はほんの少し途方に暮れてしまった。
でも、カオさんのすごく嬉しそうな笑顔を見てたら、そんな心配は些末なことのように思えてくる。
――カオさんが嬉しいならいいや。
僕はそう結論付けて、カオさんにニコリと笑った。




