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 改札を抜けた先で僕は立ち止まり、何度目かになるため息を吐き出した。忙しなく行き交う人の群れを見るともなく眺めた。

 後ろを歩いていた人が、立ち止まった僕を迷惑そうに睨み付けて追い越していく。

 僕はごめんなさいと、小さく頭を下げた。


 明るい日差しに目を向ける。少しでもいいから、勇気と元気を貰いたくて、僕は目を閉じてお日様の光を浴びた。


 この仕事を始めてから、初めて行きたくないって思った。職場に行くのが憂鬱でならない。宝来さんと顔を合わせるのが怖くて仕方なかった。


 これは、僕の気の持ちようだと分かってはいる。宝来さんは、僕の記憶が戻ったことを知らない。突然、不自然な態度を取ってしまう僕を、きっと不審に思うだろう。

 記憶を取り戻したことを伝えて、僕の中にある疑問をぶつけてみようかと思ったけど、怖くてできない。

 いつも通り………そう言えば、お試し恋人の件でも僕は、いつも通りが分からなくておかしな態度を取っちゃってたよね。それと勘違いしてくれないかな。

 無理かな。


 ハァーと、またため息を吐き出した。行きたくないけど、だからと言ってサボる訳にもいかない。

 僕は顔を真っ赤にして怒鳴る部長を思い出し、ぶるっと身震いした。


「――行こ」


 自身に言い聞かせるように呟き、僕は歩き出した。しばらく進んだところで、不意に背後から腕を掴まれた。ビクリと震える僕の耳に「シロ」と、聞き慣れた声が届いた。


 その声に反射的に身を竦め、恐る恐る振り返る。そこには想像通りの人物が立っていた。

 少し怒ったような、それでいてホッとしたような、複雑な顔をした宝来さんだ。


「どうして……」


 僕よりかなり早い時間に出勤している宝来さんと、今まで会ったことがなかった。

 だから戸惑う。宝来さんに待ち伏せされていたんだと気付いたから。


 僕はまだ宝来さんに会う覚悟が出来てない。いつなら出来てるんだって問われると、返事に困るけど。


 僕はじっと窺うように見る宝来さんを見つめ返すことが出来なくて俯いた。


「怒ってるのか?」

「え……」


 宝来さんの問いかけに、僕は目を瞬く。どうして僕が怒ってると思うのか分からずに、僕は窺うように目を向けた。


「昨日の夜、電話した。電源が切られてて繋がらなかった」

「……昨日の夜?」


 僕は上着に入っているポケットからスマホを取り出し画面を確認した。


「あ……電源が落ちてる」


 真っ黒な画面を見ながら呆然と呟く。それを見た宝来さんが、気が抜けたような息を吐き出した。


「昨日のことを伝えようと思ってたんだ。でも、お前と恋人(お試し)になれたことに浮かれて、頭から抜け落ちた。気付いたのは夜中で、朝方にでも連絡をしようと思ったんだが、バタバタして余裕がなくて、一日中ずっと気になって仕方なかった」


 早口で捲し立てていた宝来さんが、掴んでいた僕の腕を軽く引いた。僕の体は簡単に傾ぎ、宝来さんの胸にポスンと倒れ込む。


「……宝来さん?」


 緩く拘束されて僕は戸惑う声を上げた。


「悪かった。昨日は訳が分からなくて、イヤな思いをさせたんじゃないか?」


 宝来さんの腕の中にすっぽりと包まれて、ひどく自己嫌悪に陥っているらしい声を聞いていると、何故だか安心して泣きたくなった。

 暖かい胸にしがみ付いて、寂しかったんだと詰って甘えたくなったんだ。


 でも僕はぐっと拳を握り締めて我慢した。

 高坂さんは、宝来さんのことを稀有な存在だと言った。そんな人の運命を、僕が変えてしまった。

 なのに、縋るのは間違っている。


「怒ってんのか?……怒ってるよな」


 宝来さんの、落ち込んでいるような暗い声に顔を上げた。


「怒ってないですよ?」

「でもな」


 宝来さんは僕の顔じゃなく、違う場所を見つめている。どこを見てるんだろうと、首を傾げると「尻尾が揺れない」と、呟かれた。


「抱き締めた時、少しだけ揺れたんだ。でも一瞬だけで、直ぐに萎れた。今もピクリとも動かない」

「どこを見てるんですか。僕の顔を見て下さい」


 胸元を掴み揺さぶれば、宝来さんが僕と視線を合わせた。その何とも言えない悲しげな目に、ドキリと心臓が跳ねる。


「お前の尻尾は本体より、よっぽど素直だからな」

「どういう意味ですか」


 ムッとして睨みつける僕に、そのまんまの意味だと返される。


「シロは根は素直だが、たまに意地を張るからな。まぁ……そんなところも可愛いんだがな」


 真顔で言われて、僕は顔が赤くなるのを止められない。

 こんな人だったっけ?こんな往来で抱き締めて、可愛いとか平気で口に出来る人じゃなかったよね?もっと硬派なイメージがあったのに。


「おっ、尻尾が揺れてるな」


 良かった。良かったと、嬉しげに笑い、宝来さんは僕の頭を撫でる。


「さてと、そろそろ行くか。遅刻しそうだ」


 その笑顔に見惚れた。優しく頭を撫でる手に無意識に擦り寄った。

 宝来さんが僕に優しくする理由はやっぱり分からない。でも、僕はこの人にこうやって抱き締められるのも、頭を撫でられるのも好きだ。


 宝来さんが僕に寄り添おうと、本気で思ってくれているのが伝わってくる。だから、宝来さんが望むなら、この人の傍に居たいと思ったんだ。



 ――――例え、いつかまた捨てられるとしても。


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