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ーーその日は、雨が降っていた。
まるでバケツの水をひっくり返したかのような、そんな雨。
僕はその日、朝からずっと怖くて怖くて仕方なかった。
だって、その前の日、小さい人が僕を『いらない』って言ったから。
僕はいつ捨てられるんだろうって、おもちゃ箱の底で震えていたんだ。
おもちゃ箱に光が差し込む。ガサゴソと積み重なったおもちゃを押し退けて、僕は外に出された。
お母さんは、僕を他のゴミと一緒に袋の中に放り込むと、上をキツく縛る。
そして僕は――ゴミの集積場に連れて行かれた。
「ーーーー」
お母さんが何か言ってたけど、ゴミ袋に叩き付ける雨の音で何を言ってるのか分からなかった。
でも、もし分かったとしても、僕には答える口も言葉も持たない。
なら、分からないままでいいのかもしれない。
人の気配が消えて、僕だけが取り残された。
僕は心を持たないぬいぐるみなのに、どうしてこんなにも悲しいのだろう。胸が苦しくて、涙なんて出ないはずなのに、涙が止まらない。
ここなら大丈夫だと思った。ずっと愛して貰えると思った。
遠い、遠い昔の記憶が僕の頭を過ぎる。ショウウィンドウに飾られた愛くるしい顔をした様々なぬいぐるみ。
まるで幸せの象徴のように思えて、僕はずっと憧れてたんだ。
僕は――愛されたかった。
ぬいぐるみなら、あの愛らしい姿なら、愛されると思ったのに。結局、僕は誰にも愛されない人間なんだって、分かっただけだった。
虚しい。苦しい。悔しい。
どうして僕だけがこんな目に合わなきゃいけないの?
僕はただ、愛して欲しかっただけなのに。
それすらもままならない現実に憤る。
僕を拒絶して排除しようとする彼に、恨みに似た感情が沸き起こった。
小さい人が違う誰かに変わった。僕を罵り蔑むその人への怒りに、目の前が真っ赤に染まる。
ドロドロとした真っ黒なものが僕の心の中を侵食していった。
苦しいよ。悲しいよ。誰か、助けて。
助けて。
助けて。
助けて。
――僕を、僕だけを愛して。
「――い!――だっ」
「――だ。お前は――――んだ」
雨の音に紛れて誰かの声が聞こえた。僕に必死になって話しかけているような気がした。
耳を傾けようとしたけど、その声に被さるようにキーンと耳障りな音が頭の中で響いた。
「―――だ!―――か!」
ぐわんぐわんと頭が割れるように痛んだ。知らない誰かの声が煩わしくて腹立たしくなった。
どうせぼくをひていするんだ。
ぼくなんていらないっていうんだ。
『うるさいうるさいうるさいぃぃぃ』
煩わしい。誰も僕を愛さないのに。
いつだって簡単に僕を捨てるくせに。
なら――僕だって誰も愛さない。
僕だって――お前たちを捨ててやる!
「っ!!」
僕は目を開けて、そのままの姿勢で硬直した。
「……あっ」
騒ぎ立てる胸の鼓動を聞きながら、詰めていた息を吐き出し、震える指を目の前にかざした。
――僕は……僕は……
ブワッと眦に涙が溜まった。崩壊寸前の涙を無造作に拭う。
どうして……僕はどうして、こんな大事なことを忘れてしまっていたんだろう。
夢の中の光景が頭を過ぎる。
叩きつける雨音が、今もまだ耳の奥に響いているみたいで、僕はヘタリと耳を倒した。
どんな思いで彼は、僕を見ていたのだろう。
僕は僕を隠すように顔を両手で覆った。
今直ぐにでも消えてなくなりたかった。僕はここに居てはいけない存在だ。
僕はあの時、悲しみや憎しみに押し潰されて、心がドス黒いものに覆われた。
そのあとのことは曖昧だ。
でも、僕を救おうとしてくれた人に牙を剥いたのは覚えている。
差し伸べられた手を振り払い、僕は憎しみをぶつけてしまった。
『大丈夫だ』
優しく諭すように彼が言った。僕に傷付けられながらも、彼の纏う空気はずっと優しかったのを覚えている。
「……どうしてっ」
自分に牙を剥いた僕を、彼は『助けてやってくれ』そう言って守ろうとしてくれた。
全部覚えている。全部思い出した。
僕はずっと宝来さんに守られていた。
「どうして」
呟きが静かな部屋の中で虚しく響く。
僕は恨まれていてもおかしくないのに、どうして優しくしてくれたの?
どうして僕に好きだなんて言ってくれたの?
答えの出ない問いかけを繰り返す。
僕は何も分からなくて頭を抱え込んだ。




