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以前の話から色々と、変更していってます。
辻褄が合うようにはしていますが、おかしな点があれば、こそっと変更します。
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その人は、とても不思議な人だった。年齢は35歳。でも実際の年齢より幾分か若く見える。
ボサボサの髪。ヨレたスーツの上に羽織る白衣。
飄々とした佇まいは、世慣れしていないような、浮世離れしているようなそんな雰囲気があった。
「困ったな」
本当に弱り切った顔をしてため息を吐き出した。その傍らでは、狂気を孕んだ目をした女性がひとり、何事かを呟きながら息絶えた男を滅多刺しにしている。その温度差に違和感を覚えた。
「ぼくは研究にしか興味がなくてね」
僕が不可解な顔を向けると、彼はまるで彼女を庇うかのように言葉を紡いだ。
「彼女には寂しい思いをさせてしまったのだと思うよ。人としての欲求よりも研究が大事だったんだ。上司の勧めでお見合いして流されるように結婚したんだけど、一度も彼女を顧みることはしなかった。だから、他の女にうつつを抜かしていると勘繰られても仕方ないよね」
諦念を宿した目で笑う。恨みつらみを口にするでもなく、彼は研究が途中になってしまったなと、悔恨の念を口にする。
「恨んではいないんですか?」
彼の魂には一片の曇りもない。憂いている事柄に嘘はないのだろう。でも、こんな対象者は初めてで、僕は戸惑ってしまっていた。
「恨んでないよ。さやかさんは一生懸命、ぼくに寄り添おうとしてくれてたんだ。それなのに、ぼくは歩み寄ろうとはしなかった。時々煩わしいとさえ思っていたよ。だから、バチが当たったんだね」
「では、心残りはありませんか?」
宝来さんが静かに問いかけた。
「うん、ないよ。研究の成果が気にはなるけど……何年もかかるような研究だし、仕方ないよね」
最後まで、彼は研究のことにだけ心を配っていた。
彼女に対しても、申し訳ないと口にはするけど、本当はどうでもいいと思ってるんじゃないかな。
ああ、だからかな。違和感を覚えたのは。この人の気持ちは、彼女に一切向いてない。思いを拗らせこの人を殺してしまったことは悪いことだけど、それしか方法がなくなってしまうまで追い詰められたのに、この人へはそんな彼女の気持ちが全く届いていないんだ。取り繕うように口にする言葉も上辺だけのもの。
憎まれもしないなんて不憫だよね。
僕には彼が、人との繋がりを必要としないまま生きてきたように見えた。そして、そんな彼に惹かれてしまった彼女は不幸だったのだろう。
どれだけ求めても与えられない思いに焦れて、関心すら寄せられない事実を嘆き、気持ちを拗らせた挙句、嫉妬に狂い自分を見失ってしまったのだろうから。
僕は、血しぶきで顔を真っ赤に染めた彼女を見る。
とても悲しい――ある意味、彼女と僕は似ているからかな。
小さな人の姿を思い出す。朧げでもう顔すら覚えてはいないけど。
新しく来た仲間に嫉妬した僕。
でも牙も爪も、ぬいぐるみの僕にはなかったから。
だから何も出来なかったけど――でも、もし、
「現世との絆を断ち切ります」
宝来さんの声に思考を断ち切られた。囚われそうになった思いを振り払うように頭を振る。
ダメ。囚われちゃダメ。しっかりしなきゃ。
宝来さんが鞘から刀身を抜いた。辺りに青白い光が散らばる。昼間は太陽に隠されて見えない光の粒が、闇の中で舞い散っている。
その光に包まれるだけで、僕の中にある醜い何かも昇華されていく気がした。
まるで、蛍の群れの中に迷い込んだような錯覚に捕らわれる。僕はいつもの僕に戻って、目の前で繰り広げられる幻想的な光景に息を飲んだ。
舞い散る青い光の粒子が対象者を取り囲む。刀身が綺麗な弧を描いたあと、光が一瞬で霧散した。
「ーー逝きましょう」
促され彼は頷いた。
「さて、厄介だな」
僕達は彼を送り届けたあと、またあの現場に戻って来ていた。宝来さんは渋い顔をして、彼女を見る。
彼女の半身は真っ黒なモヤに覆われていた。時折、唸るように僕達を威嚇する。
「俺たちの姿も見えているようだな」
それは、かなり闇に侵されてしまっている証拠でもあった。このままだと彼女は、生きたまま闇に喰われ悪霊と化すだろう。
「討伐と浄化には?」
「連絡してあります。もうすぐ来られるはずです」
そうかと、宝来さんが頷く。赤松さんには浄化、討伐に任せて逃げろって言われていたのに、どうしてもこのまま逃げる気にはなれなかった。
「――お待ちどうさま」
柔らかな声が背後から聞こえ、僕達は振り返った。
そこには、金色のカツラを被った女性が、ギリシャ神話に出てくる女神のような格好をして立っていた。手にしているのは、太陽の装飾が施された杖。たぶん、あれは自前なのだろう。
傍に立つのは、これまたギリシャ神話の男神のような出で立ちをした男。頭には月桂樹の葉で作った冠。手にはこれまた自前だろう杖。
黒い衣装に艶のある光沢。滑らかな布地が、これもまた特注で作られた衣装だと知れた。
「久しぶりね、雅親」
キラキラとした笑みを浮かべ、浄化係の高坂美耶さんが宝来さんを見つめる。
その目に、独特な熱量を認めて、僕は嫌な気持ちになってしまった。




