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その後、僕達は二件目の魂を回収するために、病院へと向かった。
大往生とまではいかないまでも、85歳まで生きて天寿を全うした女性――柏木トネさんは、家族に見守られながら静かに息を引き取った。
その魂も穏やかで、僕達を見て慌てる様子もなく「随分とカッコイイお迎えさんだね」と、目を細め笑っていた。
もちろん、その賛辞は全て宝来さんへと向けられているのだけどね。
「じいさんが迎えに来るのかと思っていたよ」
「ごめんなさい。現世で関わった人とは会えないんです」
「そうなのかい?」
「はい。もし、あの世で会えたとしてもお互いに気付くことが出来ない決まりになっています」
中にはそのことに、ひどく落ち込む人も居るから、僕は彼女の様子を窺いながら、慎重に言葉を紡いだ。
現世でもルールがあるように、あの世でもルールがある。これもその内のひとつだ。
現世での繋がりは、あの世の世界では断ち切られてしまう。よく家族が迎えに来てくれるのかと思ったってガッカリされるのだけど、実際は違うのだ。
理由は教えられていない。ただ、人は妬みや嫉みなどの負の感情を強くすると、魂を傷付けてしまう。現世に於いて、歪な家族関係や、人間関係しか築けなかった人も多く居る中で、現世からの強い絆を見せつけられることを良しとしない人もいるから、それを防止するためかもしれない。
現世の恨みを、あの世に持ち込んでしまうことを危惧してのことかもしれない。
本当の理由なんて分からない。全て推測や憶測だ。
お互いが同じ条件の元で、新たな繋がりを築いていくのが、今のあの世でのルールになっている。
「そうなんだねえ」
嘆息混じりのその寂しげな声音に、僕の耳と尻尾がピクリと跳ねた。一件目の兼松さんが脳裏に思い浮かぶ。
僕はまたミスを犯してしまったのだと、自分の浅はかさを呪った。
「ほ、本当なんです。嘘じゃありません。おじいさんが会いたくなかったから、代理を頼んだとか、そういうんじゃなくて……あの世のルールで来たくても来れないし、会うことも許されないんです」
「シロ、落ち着け」
宝来さんが僕を止めようとしていたのは何となく分かっていたけど、僕は宝来さんの制止を無視して「そうですよね。宝来さん」と、彼の腕を掴み揺さぶった。
僕に気圧された宝来さんは「ああ」と呟き頷いた。
「ほら、この人もそう言っているでしょ?本当に仕方がないことなんです。だから…だから、そんなに悲しまないで下さい。もし、こんなルールがなければ、おじいさんは絶対にトネさんを迎えに来てたはずだから」
僕は必死だった。忙しなく動く耳や尻尾がその心境を表していた。どう言えば理解して貰えるのかが分からなくて、上手く伝えられない自分が悔しくて、唇を噛み締めた。
「シロちゃん」
優しい声に顔を向けた。穏やかな瞳が僕を見ていた。
「そんな顔をしないで。責めている訳じゃないんだよ。――もし迎えに来たら、生きてる間に言えなかった恨み言の一つでも言ってやろうかと、思っていただけだからね」
彼女はそう言って朗らかに笑った。
「でも、ありがとうね。一生懸命になってくれるシロちゃんの気持ちが嬉しかったよ」
僕は優しいトネさんの声にブンブンと首を振った。
「上手く伝えられなくてごめんなさい」
「大丈夫。ちゃんと伝わったよ」
その言葉に僕はホッとした。
「ありがとうございます」
「――心残りはありませんか?」
宝来さんの落ち着いた声に、トネさんが大丈夫よと返した。
トネさんは、泣き縋る家族へと顔を向けた。
「ひ孫にも会わせて貰ったし、みんなに看取って貰ったし、何も思い残すことはないわ」
慈愛に満ちた笑みが浮かぶ。
「色々しんどいことも辛いこともあったけど、今となっては良い想い出だわ。子供や孫、曽孫に囲まれて賑やかに余生を送ることができたよ。幸せな人生だった。――これ以上は、バチがあたっちゃうね」
彼らを見つめる瞳は優しく暖かかで――「どうか幸せに」小さく呟かれた言葉は、トネさんの思いが込められていた。
「本当に幸せな人生だったよ」
万感の思いを込めたその言葉に宝来さんは頷くと、僕を見た。その目に僕は頷き返した。
「現世との絆を断ち切ります」
厳かな声が響いた。彼女が頷くのを確認したあと、宝来さんが鞘から刀を抜いた。
――途端に、空気がピンと張り詰めた。
白刃に輝く抜き身の刀身が、窓から差し込む日差しをキラリと反射した。
この世に縛られた魂を切り離す。しがらみを捨て、あの世に旅立つための大切な儀式。
僕はこの瞬間が好きだ。辺りには清浄な空気が流れ、心の中が研ぎ澄まされる。
宝来さんの持つ刀が青白い光を放つ。清廉とした色は彼にとても似合っていた。
隙のない動作で刀身が振り下ろされた。
その瞬間、人の魂が解き放たれ、誰かにとっての存在から、一個人のものになる。
絆が断ち切られ寂しいと思う人もいるかもしれない。心許なく感じる人だっているだろう。
でも、この時の魂が一番綺麗で一番尊いと僕は思うんだ。
「さあ、逝きましょう」
ご案内します。と告げる宝来さんへ、トネさんが頷いた。