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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【後章】道還(みちかえる)


水師は我が願いの果てに、己が不在である事を知った

そうか、そうだったのか…

己が何者か知った

本来の道へと戻る為の道、その化身

だから、実穂高が、逸彦が、巡り逢い本来の道へ戻ったならば己は不要なのだ

彼らが本当に幸せな時には、我が役割は終わっている

我が存在と二人の幸せ、その二つは同時に存在し得ない

愛が愛に戻ろうとする時、それを導くのが我が(めい)だったのか


愕然としながらも水師は納得した

それが疑いようもなく真実だとすんなり受け容れる事が出来た

そしてその役割に感謝した

実穂高の側に居て我は本当に幸せだった。宿世もきっと逸彦と巡り逢えて幸せだったのだろう

宿世で我は誠に愛する女子(めなご)と巡り会い、幸せに暮らしたと、実穂高からも逸彦からも聞いた。おそらく我は存分に人生を生きた。その上、愛の為にこの身を捧げられるならば本望だ…


実穂高が行う儀も、舞も、その後で逸彦と玉記と天鷲と四人で語らいも、全ての時は大切な一瞬として、喜びが水師の心に刻まれた。その一つひとつが生の賛美で輝き、愛おしく思えた



しかし、逸彦に呼ばれて腰を抜かしている実穂高を見た時、可笑しくて笑うと同時に実穂高をそこまで剥き出しに出来る逸彦を羨ましく思った。実穂高を横向きに抱き上げながら、その温もりと重さ、その香を感じた。片腕を己の首に回し、恥じらう顔を己の肩に伏せ、その身を任せている実穂高を、ずっとこのまま運んでいたかった。この時が終わって欲しくなかった。ああ、これは男としての感情だ。折角仕舞い込んでいたのに…気づかぬふりをしていたのに。

己はこのまま清々しく去れると思っていたのに、心の一部は切なく哀しかった。側に居たかった。まだ見て居たかった。その大きな意志を貫こうとする煌めきを。偉大な深い心を。

京の全てが敵対しようと、この方を守る為なら何でもしようと思えた。その目が信頼を委ねて我を見詰める時、己を如何に誇らしく思えた事か。わかってあげられるのは己だけだろうと驕っていた。…独占して居たかった

そう、だから構わぬ。我はこういう気持ちがあればこそ、側に居られぬ。むしろ居ない方が良い。二人の幸せを邪魔してはいけない。己は充分だ。我が手には余る御方なのだから


一人納得する水師の内側で声にならない声が聞こえる


側に居て…お願い。私の側に


誰なのか。見ると女子(めなご)が泣いている

実穂高?感じる感覚は実穂高だが顔も風貌も違うし、こんな風に泣く実穂高を見た事がない

それは凛だった

思わず彼女の側に寄る


「如何された。汝はどなた様か」


お願いだから、遠くに行かないで。あなたは私の大切な人。私はあなたと出会うのを待っている。今までのように、私の手を引いて



その女子(めなご)の姿の奥に、深い菫のような青い炎が見えた

その色と香は実穂高と同じ命のひだ

やはり実穂高なのか…実穂高の内面にもこのような悲しみがあったのか

我は知らなかった

わかりきれていなかったのだな

それは己よりも器が大きい故なのか


何をそんなに悲しんでいるのだ

水師はその女子の心に入った

悲しみは大きかった

己がすっかり入っても、その向こうは見えなかった

己が全ての愛を捧げても、この孤独と悲しみは癒し尽くせまい…

わかっていたがはっきりと身をもって知らされた


そして今彼女が悲しんでいるのは己のことだとわかった

何故我の事を…我は汝の大きさの前に取るに足りぬ者だ。なのに何故我を

思う水師に言葉が伝わった



私が本当に幸せになるにはあなたが必要なの

あなたが幸せである事が必要なの

だから受け取って

あなた自身の誉れを


あなたはずっと私と共に居た

私の中で迷いが湧き、問い掛けた時に、正しい道を示して居たのはあなただった

あなたは私を導いた

己を忘れた私を導く道

それが本当に己を思い出した時には必要無くなったとしても


全ての外れ道は真の道から作られている

周り道も、迷い道も裏道も、道を行くまいと留まったとしても、逆向きに歩いたとしても…

必ず辿り着く

だから、どんなに形を変えたとしてもあなたは真の道の欠片

あなた無くしては真の道は真の道たり得ない

あなたがそこに加わってこそ、道は道


水師は愛に抱き締められた

その偉大さと慈しみは水師に己の小ささを思い知らせ、己の考えなど及ばぬ大きさで愛が全てを計画したと悟った

己が愛に愛されていると知った

砕かれた己の殻が愛に持ち去られた。それは幻想でできていた

愛は如何様にしても愛なのだ

心の内で涙しながら、水師は愛の仰せの通りにしようと頭を垂れた

愛は言った


夢が終わり全てがそれとして始まる時

全てがそのものとなる

その時あなたは己が本当は小さくないと知る

それが真実だ

全ての比較はそれがそれであると知ればもう必要ないのだ

在りて在るものが揃いそれであるならば

苦しみも悲しみももはや必要ない

完全なる幸いと歓びのみが存在する

あなたはそれを体験する

その為に命は命なのだ

愛と共にあれ

愛から生まれし子よ



命は産声を挙げた


凛は生まれた命を見る

小さな指、小さな鼻と口。透けるような肌

その一つひとつの完璧さは奇跡の創造物だ

なんて愛らしいのだろう

我が身を通して命が生まれるなんて…なんて誇らしいのだろう

この喜びの為ならば、先程までの苦しみなど簡単に越えられる

何人でも生めそうだ

凛は自分の考えに自分で笑う


咲雪(さゆき)はそれを見て思う

颯雅君と会ってから、本当に凛は良く笑うようになった。言葉が少なめなのは相変わらずだが、表情の奥に喜びがいつも透いて見える。二人が相性が良く、理解し合い、互いを愛しているのが見て取れる。二人が一緒にいると空気が穏やかになって、まるで既に長い間連れ添ったかと錯覚しそうだ

彼と夫が初対面の時の事はおそらくずっと語り草だ。兄から聞いて薄々わかっていた筈なのに。誠時の宿敵にでも会ったかのような態度に驚くと共に笑いが止まらなかった。会話の水面下で行われる何かの戦いに女性陣は呆れた。結局、凛が颯雅君を促して吹いてもらったフルートの音を聞いて、なぜか誠時は折れた

向こうの家族も気が合って楽しい。夫同士は何やら違う感じで意気投合して、旧知の友のように連絡取り合う仲になった。それで二人は急にアウトドア用品を買い込んで、キャンプに行くと言い出した。男二人でテントを張って酒を飲むらしい。それは二ヵ月に一回位のペースで、しばしば颯雅君の弟の恒輝君が連れて行かれて生贄になっている。夫は素直で優しい恒輝君がお気に入りらしい



自分のところに生まれて来た事に感謝して、凛はその頭にキスをする

「あなたは何を私に教えてくれるの、瑞貴(みずき)ちゃん」

母が言う

「結局その名前に決定なの、凛」

凛は頷く


凛は赤ちゃんのその目を覗き込む

目が合った

一瞬赤ちゃんが笑んだ気がした


本でも生まれたての赤ちゃんの視力はそれ程でも無いし、笑うように見えるのは反射で感情的なものではないと言う

だが知っている

私達は言葉を超えたもので通じ合える。颯雅ともそうであるように

私はあなたをずっと前から知っていて、この再会を待っていたのだから


ミズキは己を優しく見詰める瞳を見上げる

その命の炎は、愛しく懐かしいあの人と同じだ。思わず嬉しくて笑う

握っていた小さな手を開いた


「あっ、手を開いたわ」

この子は生まれた時からずっと右手を握りしめていた。看護婦さんが産湯浴びさせても、その手をなかなか開こうとしなかった。異常ではなくて頑固なだけかと看護婦さんは笑って無理に開かせなかった

母と凛はその手を覗き込む

「何も無いわ…当たり前よね」


母には見えない

凛はその掌に握っていたものを受け取った


ありがとう

新しい世界への道を引いて来たのね


私達は全てを失い、代わりに全てを得た

苦しみ悲しみ、別離、喪失。虚しさ、自分を表さないものの全て

それらが私達が私達であると教えた

命は一度知り得た事をもう一度やりたいとは思わない


私はこれからずっと幸せでいる

そう決めるし、必ずそうなる

全うするとは、責任を取るとは、恵みを受け取るところまで入るのだ

それが、全ての時の全ての世界の愛が私に託したもの


私と愛する夫の道は結ばれもう離れない

永遠に共に居られる

これでやっと私は歩み始められる


ほら、彼が来る

建物に入った

騒々しい足音で。多分ナースステーションの前を走って叱られている

こういう時、必ず走る

もう走る必要は無いのに

急がなくても結果は逃げない

道は彼と共にあるのだから



「もうすぐあなたの友達が来るわ」

瑞貴に言うと、母が疑問を返す

「友達?パパじゃないの?」

やがて本当に足音が聞こえて来た

「どうしてもうすぐ来るってわかるの」


凛は目で笑む

心が共にあるから

扉が開く


「凛!来たよ!立ち会えなくってごめん!」

全てを新しく変えてしまうような風が勢いよく入って来た


「待ってたわよ。走って看護婦さんに叱られたでしょ」

「バレた?見せて見せて。お義母さん、失礼します」


颯雅は近づくと瑞貴を覗き込む

「やー可愛いな。命って凄い。小さいのに何か圧倒されるね」

颯雅は凛から聞いていた話を思い出した

「やっと会えた。ようこそ」

颯雅が瑞貴の小さな手に指を乗せると、瑞貴はそれをぎゅっと握った。永らく会えなかった親しい友に再会出来た喜びを表す様だった


「それでこの子は凛の絵ではどんな色になるの」

「…水色。緑がかった水色」

それを(はた)で聞いて、また謎の会話だ、と咲雪は思う。これまでこの()がこんなに意志が強く芯があると知らなかった。だがそういう自分をわかってもらえる人を探して、凛は孤独に苦しんでいて、そして巡り会えたのだろう。…あの人もちょっとそういうところがある。誠時はあの時、フルートの響きの向こうに何を感じ、颯雅君を受け容れる事にしたのだろう。私は夫の事を本当に知っているのだろうか。私は誠時を愛しているし、向こうもそうだ。だがそれで良いのか。どこかでこの程度でと思っていないか。この二人を見ていると愛する事には更にその奥があるのかと思わされるのだ。誠時ともっと色々話してみようか


凛は目を細めて、颯雅のエメラルドグリーンを帯びた黄金(こがね)の炎を見る。太陽に見えるあの色。眩く弾けるような輝きは彼の次々と湧く無垢な好奇心と奔放さそのままだ

「男の子だからね。あなたの子供の頃みたいなやんちゃをやるかしら」

凛は颯雅の母である菜々実から聞いた子供の頃の数々の伝説を思い出し笑う

「え、うーん。そうかもね」

「きっとあなたが一緒になってやりだすわ。変な事教えこまないでよ」

「そんな事しない…はず?」

颯雅は確信が持てず最後は疑問系だった

凛は笑う

「一緒にはしゃぎそうだから」

颯雅は真剣に悩んでいる。それを見た母は夫も同じようなものよと笑った

皆でこの子を取り合って、当分は赤ちゃんの方が忙しそうだ。咲雪は思った


その時、瑞貴の小さい右手がぱたぱたと動いた

「あ、手が動いた」

凛にはそれが何かを扇いでいる様に見えた

「あなた、何か持っていない?…扇とか」

「扇?ああ」

颯雅が目を閉じると、誰かがその手に扇を差し出した

颯雅は見えない扇を持って舞うように手をひらめかす。いつかどこかで見た舞を思い出す気がする


それは命がコウに鍵を渡し封印を解いて出てきた風の扇だった。風は纏まり扉を開く。上昇の螺旋へと続く道だった




愛は愛すべきものを愛す

己の内にある熱き光を自覚せよ

光持つ者であることを自覚せよ

真に愛の使命を全うする者よ

道は導き(めい)のままに顕現す

我を我たらしめる

その誉は幾世の()を拝し螺旋へと繋がる

道は未知へと導き、命の求める新しき体験を示す




最後の2話は追加しました。

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