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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【決戦】夜の終わり

この物語はフィクションです。



もうこの世の終わりの気分に浸って、日が傾きつつある街を歩いていた。彼の名は (たちばな) 颯雅(そうが)と言う


今朝、彼女から電話が来た。

「もう二度と連絡して来ないで」


彼女を思い遣っての発言だが、全然そう取ってくれなかった。元々周りにはあの子はやめとけとか、釣り合わないとか言われた。周囲が何故そう思うのか良くわからなかった。確かにプライドが高くて、自分が一番でないと気が済まない子だ。成績が俺に負けた事で初めて俺に興味持った

彼女になっても振り回されっ放しで、なぜそこでそう受け取るのかわからない事も多かった。それでも好きだった。好きになった以上は愛したかった。昨夜飲み会の彼女の発言を、俺がたしなめた。そこはそう言うところではないだろう、いくら何でも言い過ぎだ。相手の学下の女子は彼女の過剰に辛辣な指摘に、もう泣かんばかりだった。傷つけたのは自分の方なのに、いかにも自分が被害者みたいに、居酒屋から出て行った

そして今朝、別れの電話をかけてきた


なんかもう、駄目だ。そんな時に限って、次の電話が来た。幽霊部員している管弦楽団の顧問だ。

「橘、楽譜初見で吹けるだろう。フルートパートが急に風邪ひいて、代わりに出てくれないか。今晩のミニコンサート」

それで部室に譜面を取りに行った


四重奏だが、フルート、オーボエ、コルネット、ホルンだった。聞いたこともない編成だ。出られる面子を揃えたらこうなった?誰がアレンジしたんだろう


曲目は

ー桜変奏曲(宮城道雄)

ー映画スター・ウォーズより「レイア姫のテーマ」

ーイーゴリ公より、「韃靼人の踊り」

ー小フーガ ト短調(J.S.バッハ)

ー映画ライトスタッフよりマーチ 「イェーガーの勝利」

ー「小さな空」(武満徹)


好きな曲が多い。知らないものもあるが、譜面を見る限り好みの曲だ

随分と思い切った面白い企画をしたもんだな、あの顧問らしいな。





俺の両親は共に教師だ。両親は仲が良かった。あれは仲が良いと言うか、父が母にべた惚れなんじゃないか。母は父が何をしても大概黙って笑っている。父の子供っぽいところが好きみたいだ。だけど度を越してくると段々と空気が冷えて来る。すると父は何か粗相を見つかった仔犬のようになる。


小さい頃は父にライバル視されているみたいだった。母を取った奴、と思われていたのではないかと大きくなったこの頃は思う。母と時を過ごそうとすると颯雅が来る、と愚痴ていたらしい。寝てても目を覚まして邪魔しに来る、なんて勘が良いんだろうとか。だってその時って俺三、四歳の話だろう。良く弟や妹が生まれると上の子は母を取られたと嫉妬すると聞くがうちは父がそんな感じだった。


そういうのは俺には無かった。俺に十歳下に弟の恒輝(こうき)が生まれた時は嬉しくて可愛くて、ずっとくっついていた。中学生の時、母の代わりにしばしば幼稚園に迎えに行って、恒太が疲れて眠ると、そのまま背負って帰って来た

言われなくても家事をやったし、料理も作った。学校で手編みの帽子を編んでいて、誰に編んでいるのかとクラスの友達にからかい半分に聞かれ、弟と答えたらどん引かれた。あの可愛らしい頭がむき出しで寒そうで、帽子をのせてやりたかったのだ


父は趣味でギターを搔き鳴らしていた。ロックとか弾いて俺かっけーとか思っている風だった。そんな父を横目で見ながら、俺はクラシックを好んでいた

俺も音楽は好きだった。

小さい頃にエレクトーンを習わせてもらった

「ピアノとエレクトーン、どっちが良い」と訊かれた

正直どっちでも良かったのだが、エレクトーンの、操作盤にボタンやらスイッチやらが沢山付いている様子に憧れを抱いた。その上、ペダルもいっぱいあった。それをみるとワクワクした


家にあった機械を、分解した。ラジオ、扇風機、電気スタンド、電灯、自転車、クラリネット、エレクトーン。

分解して、もう一度組み直す。それでもう一度元のように動いたら成功なのだが、何故か一本二本、ネジが余るのだ。まあ動いているから良い事にしようと思った


クラリネットを分解して床に敷いた新聞紙の上に広げていたら、帰宅した父の騒々しい声がした。父の足音が背後で止まったと思ったら、ぼとっと荷物を取り落す音がした。振り向くと、ばらばらになったクラリネットを見て、父が茫然自失で立っていた。そして、遠いものを見るような目で俺を見た。分解癖を知りながら、手に届くところに置いていた自分を呪ってでもいたのか。どうせ三回くらいしか吹いてない癖に


そもそもなぜクラリネットを買って来た。父の傾向から言えばサックスだろう。そこは一捻りしたかったのか。母は買って来たクラリネットを見て父の自慢気な顔とは対象的に、微妙な顔をした。

「琢磨さん、それで、これ幾らしたの」

金額を聞いて、母が例によって冷んやりと凍てついた空気を放った。それでその後、ご機嫌取る為に父がしばらく尻尾を振りまくっていたのも言うまでもない。


結局、父は音鳴らす以前に心折れたんだろう。ずっと放置されていたから分解したのだ。父はそれでクラリネットを諦めたようで、暗黙の了解のように俺が使う事になった


自転車は全て分解したら、組み立てられなかった。最後は自転車屋に持って行った。

「ああ、スポークの所、これは専用の機械が無いと組み立てられないようになっているんだ。だが、これあんた一人でやったの。凄いな」

自転車屋のおじさんは自転車を組み立ててくれた


家の改築が入った時も、毎日小学校から真っ直ぐに帰って工事を行う様子をじっと見ていた。しばらく見てると大工が工具箱からどの工具を取ろうとするのかわかる感じがした。それで大工が工具箱に手を伸ばすと、取ろうとした工具を取っては渡した。今思うと邪魔だったかも知れないが、その兄さんは笑って礼を言っては作業を続けていた


小学校なんて、常に走り回っていた。雨が降れば傘は逆さにさすのが普通だ。そうすれば雨水が傘に溜まる。そしてそれを好きな所でばしゃばしゃと盛大に落とす。水溜りには全て踏み込んで、水を蹴散らす。水の上を歩いた気分になり、勝ち誇る。そして家に着く頃には衣服はすっかり汚れている。それを見て毎度ながら母は溜息をつき、俺を風呂場に押し込み、衣類を全部脱がせた。だが叱りつけはしなかった。

崖とか石垣とか見れば、全部登っては飛び降りた。それで大体どの位の高さだと身体のどの位の衝撃があるのか覚えた

母に一回だけ叱られたのは、少し大きい怪我をした時だけだった。俺が身に危険が及ぶ事をした時だ。あの時は怒った、というか悲しんでいたのだろうか


そういう訳で操作出来る格好良い大型機械のような気分でエレクトーンを習った。それはそれで楽しかったが、もっと音楽を良く知ってみると、ピアノの方が良かったんじゃないかと思う。何故なら、楽器に直接に触れてさらに叙情的に音を奏でたいならば、電子的に変換された音よりもずっと心に響くからだ


音楽はずっと好きだった。高校で吹奏楽部に入ったが、周囲の者が鳴らす音に辟易した。不調和で、耐え難かった。辞めると言ったら顧問が驚いていた。

「一番音楽好きそうなのに」

だが辞める前にやる事は全部やった。部室にあった普段は触れないような楽器を全部鳴らしたり、吹いたりしてみた。その中には和楽器もあった。尺八や篳篥(ひちりき)も吹いてみた。少し懐かしいような気がした


今晩演奏する事で少しでもこの失恋の痛手が晴れたら良いと思った。


高校で吹奏楽部を辞めた後、どうしたら良いのかわからなかった。それで片っ端から女の子に告白しては振られた。そんなに次々と誰か好きになる訳ないと振った女の子の誰かに言われたが、だけどその時にはその子を好きだと思ったのだから仕方ない

何か求めていた。誰かを待っていた。何か情熱をかき立てるものに、巡り会いたいと願っていた

ずっと誰かを好きになりたかった。愛したかった



大学では、何かを生み出したり、作ったり、育てたりしたいと思って農業大学に入った

それで彼女にも会ったし、管弦楽団にも入ったが、心の内はまだどうしてか寒くて、自分は空いている時間を全部バイトに当てては、そのお金でひたすら旅をした。日本の各地を一人で、各駅停車に乗って回ってはユースホステルに泊まった。行っても特に観光地を回るというよりは、地元の人の生業を眺めたり、地元の人が入るような居酒屋や定食屋に入り、普通の飯を食べるのだった



俺は会場に向かうべく道を歩いていた

その時、声が聞こえた

最初自分に話しかけているとは思わなかった


その声は道を歩いている自分の目線よりも下から聴こえて来た

「兄ちゃん、ちょっと手伝ってくれないか」

建設現場の少し掘り下げた溝にいた工事のおじさんだ。

「えっ、俺?」

「そうそう。あの鉄骨金を運ぶの手伝ってもらえないか」

よく分からないが、言われるがままに、長い棒の束の片端持って、もう片端をそのおじさんが持って運ぶのを手伝った

「ありがとよ、これ、礼だ。後で飲みな」

渡されたのは缶ビールだった

「はあ、…ありがとうございます」

頭を下げ、受け取った。少し気が晴れた。この働きに対するこの報酬では、この人は全然助かってないのではと思ったが、これは受け取る方が良いのだろう


工事者名には「宮里工務店」と書いてあった

再度礼を言ってそこを離れて、目的地に向かった



颯雅は自分が去った後の会話は知らない

現場に他の作業員がいない訳では無かった

黙ってその光景を見ていた一人が歩み寄って言った

「親父、そんなことしちゃ駄目だって。何勝手に働かせてんだよ」

「ああ、だって暗い顔してたろう。何か気分転換でも必要かと思って」

「らしいですね。親方。…ところで、宮里さん、椿さんとこ行かなくて良いの?」

「えっと、良いのかな、まだ片し終わって無いんだ」

「行けよ、こんな時位。いつ産まれるか分かんねえんだから。あっと、俺にも孫だけどよ」

親方の息子と思しき男は上着を掴むと一礼して、駐車場に走った



俺は缶ビールがいつもの缶ビールよりも価値があるものに思えた。ささやかながら幸せな気分だった

「よし」

折角演奏するのに、暗い気分が曲の邪魔になってはいけない

リハの前に楽譜を良く見ておきたいと思って少し早く来たのだ


会場はバースタイルの喫茶店で、ピアノが置いてある。舞台と客席の段差は無くフラットだ。入り口は案内のチラシや葉書が沢山積まれている。ここで開催するのもあるが、オーナーが基本アーティスト支援の場としてこの場を提供しているので、関係無い場所のものもある。若手のアーティストは少しでも誰かの目に留まろうと、我が痕跡をこういう所に残して行くのだ


面子が集まり、軽く挨拶して音出しが始まる。それを聞くだけで相手の力量は何となくわかる。お互いこれならいけそうだな、と思えたようだ。今回のメンバーは誰も知らないが、リハで音を合わせれば相手の言いたい事はわかる。それぞれのポジションを決めて進める。力量が大体同じなので助かった。一人でも違うとそのフォローが大変だ。これも顧問の凄いところで、力量が揃う面子を集めてくる。なかなか出来る事ではないのだが


桜変奏曲はさくらの変奏曲を更に編曲している。日本人なら誰でも知っている旋律を少しづつ崩しながらまとめられた、この曲は昔から好きだった。ジャズのようなそうでないような、何か自分の奥底にあるものを表現出来るように思う

レイア姫のテーマはスター・ウォーズの中でも好きな旋律だ。レイア姫の内面を表しているようで、僕のお姫様は何処かにいるのだろうかと思ったのは秘密だ

「韃靼人の踊り」はオペラであることを知らなかったので、繋がらない主旋律が出て来るのが不思議だった。オペラの内容を知ってやっとわかった。素直に綺麗だと思う

小フーガは四人の息が合わないと曲にならない。主旋律が次々渡り歩くので、バトンリレーのように確実に受け取って渡す事が出来ないとずっこける。何時も思うが、バッハの頭の中を覗いてみたい。きっと旋律を作る精密機器が詰まっているに違いない

「イェーガーの勝利」はカッコいい。吹いても気持ちいい。自分もライトスタッフなんじゃないかと勘違い出来るのが心地よい。

日本の現代音楽の草分け的存在である武満徹は、いくつかの交響曲を聞いて好きになった。この最後の「小さな空」は知らなかった。顧問から本当はラジオの番組の歌で歌詞があると言われたが、旋律が美しく何か懐かしく心を揺さぶる


顧問の選曲は何時も何を基準に選んだのか不明だが、吹き終わるとしっくりくるから不思議だし、俺が引き受ける理由でもある。リハで譜面の概要を掴んだ


「どうだ橘、いけるだろ。頭に入ったか」

リハの途中から来ていた顧問が訊いてきた

「ええ、まあ。好きな感じの曲が多いので」

「皆聞いてくれ。助っ人の橘だ。此奴一度吹くと譜面を覚える変人だ。よろしく」

おお、と皆へんな返事をする。誰でも出来るし、俺は変人じゃない。そういう紹介は少し凹むぞ


休憩後、軽く食事をして本番まで待つ。特にする事もないのでフルートを磨きながら、譜面を思い返す


本番が始まる。始まる直前の舞台袖は何時も緊張する。だが舞台に出ると冷静になるから不思議だ。メンバーが座って楽器を構える。今回は俺がいいかと合図を送るといいぜと返ってきた。始まる一瞬で皆が一つになるのがわかる


演奏が始まった。俺は目を閉じて皆の音の重なりに耳を傾ける。不思議と調和している

こんなに上手だったかな、リハの感じよりも良いように思う

この波の中に己を委ねて行ける。より一層気持ちを込めて吹いた

レイア姫のところだ、フルートの音色はこの曲にぴったりかも知れない。響きが震えながら広がっていく


ふと誰かが見ている気がした。真剣な眼差しが真っ直ぐに自分に注がれている感じがする


閉じていた目を開け、視線を感じた方に目をやる

入り口付近に誰かがいる。髪の長い、青い上着を着たくっきりした顔立ちの女の子。同じ位、大学生位か。

彼女はこちらを見ている。演奏しているのは自分達なのだからもちろん、こちらを見るだろう。それなのに、彼女が見ているのは自分だという気がしてならない。自意識過剰か。

また譜面に目を送り現在位置を確認すると、目を閉じ、曲に集中する


ライトスタッフのところだ

奏でられる流れは何か一つの心象を感じさせる。何かが終わって行き、そして次が始まる

…夜明けみたいだ


最後が、小さな空。郷愁が胸を占める。幸せで切なくて、遠い感じで余韻が消えて行く



演奏が終わった。拍手をもらう。メンバーは思った以上良くできた手応えを掴んでいて、顧問も上機嫌だ


観客が何人か声を掛けてくれて応対しながら、無意識に目はさっきの青い上着の子を探した

もう姿は無かった


出て行ったばかりなのかと確認しようと、さっき彼女が立っていた付近に歩いて近づくと、男性に声を掛けられた

「演奏良かったよ。フルートやってた彼、名前聞いても構わないか」

「橘です」

「橘君、さっきここにいたのは私の姪なんだが…」

伯父さんだったのか。言われてみればくっきりした顔の系統は似ている

「これ渡すよう頼まれたんだ。今日は葉書置かせて貰いに来ただけで、コンサート聞こうと思ったのでは無いのだけど、君のフルートを聴いたら動かなくて…」

絵が印刷された葉書を渡された


画廊で行われる絵画個展の案内だ。名前は「美澄 凛」と印刷してあった

「青い上着の方ですよね、お見かけしました。美澄さんと仰るのですか」

「うん、私は(あがり)というんだが、保育園を経営している。今日は一緒に葉書を置かせて貰う営業に来ただけで、ただの手伝いだ。もし良かったら、絵を見に来てくれ。喜ぶだろう」

東さんは 邪魔したね、と言って立ち去った


俺はもう一度渡された葉書を見た。()めつ(すが)めつ眺めた。胸の深いところで何かが熱くなった。この人は俺のフルートを聴いて、本当に俺を見たんだ…

描かれたのは森の景色だった。写実っぽいのに加えて、心象的な色彩が差し混んで、幻想的な雰囲気に仕上げてあった。彼女にはこういう色が見えているのだろうか。緑色にしか見えない木の葉から水色やピンクの光が放たれているかのように

個展の期間は来週、一週間だった


俺は缶ビールを片手に、夜空の下に出た。道では帰宅の為に駅に向かう人と、一杯呑みに行く店を探す人が行き交う

空には街の灯りに負けじと星が輝き、俺の何かを祝った

こじつけでも構わない。恋の終わり祝いでも、良い演奏ができたご褒美でも、来週に予定が入ったでも

俺はプルトップを引くとビールの缶を星と合わせた

橘 颯雅の母親の名前は作中に出る機会がありませんでしたが、菜々実さんです

佐織の翁は颯雅の祖父になっていると思われます

賑やかで楽しそうな家です

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