【護衛】商人の依頼
何時になくのんびりした旅をした。常ならばどんどん次の場所に移動して、やるべき事を済ませたらすぐに出立する事を繰り返していた。布師見殿の領を出て、七日程経った頃だった。もうすぐ人々が多く行き交う街に続く街道へ出る林の道だ
少し気を抜いて鳥と共に歩いていた、そんな時だった。突然、緊張した声と何かと争っている物音が聞こえる。俺は鳥を見る。鳥は俺を見るとその方角へ飛んでいった
木々が開けるとそこは街道だった。荷の積まれた荷車が三台と駕籠が一台、その周囲に人が幾人か、そして鬼がいた。鬼は彼らに襲いかかろうとしており、護衛と思われる男達と向き合っている
「我がいたす」
背には二本の剣をかついでいたが、俺の手は吸い寄せられるように布師見殿に貰った新しい剣を抜いた。抜いた瞬間、剣先に白い光が宿るのを見た。今までとは違う。俺は意識を失う事なく、剣が動く様を見ることができた。まるで剣に意思があるようだ。刀は自ら踊り、俺の身体はそれについて刀の一部であるかのように動いた。剣の閃きは確かに皆が言うように雷光のようであり、見惚れてしまいそうだった。あっという間の事だった
斬った後、剣はありふれた腕の良い鍛冶が作った姿に戻った。俺は刀を鞘の納めた。俺の身体の感覚も元に戻った
周りには、数人の男達が俺を遠巻きに見ていた。護衛と思われる男、駕籠舁き(:駕籠を担ぐ人足)、そのうちで一番身なりの良い人の前に立って、俺は頭を軽く下げた
「いや、実に助かり申した。我は八乃屋と申す。護衛は雇っていたが、やはりしこ(鬼)は恐ろしいものよの。汝がいてくれて命拾いした」
その身なりの良い人は商人で、大きな街へ戻るところだった。俺の名を聞いて街まで同行してくれと頼まれた
道すがら古い剣を処分したいので、大きな街の鍛冶屋を教えてくれないかと聞いたところ、商人は買い取ると言った
「あのような剣技、剣も名刀ではございませぬか。高く買い取らせていただきますよ」
「いやそうではない。こちらは名刀などではない、いや名刀か?」
あの布師見殿がご子息の為に用意した物を下げ落とすのもおかしく、俺はしどろもどろになった。
「…、もう一本の方だ。これは安い剣だ。おそらく刀鍛冶で鋳つぶすくらいしか役に立たない代物だ」
なんとか説明し、商人の紹介で刀鍛冶に会える事になった
街に入ると多くの人が行き交う。ここは以前から人が集まり、交易の場として栄えていた。俺も何度かここで鬼を退治したことがある。前回訪れた時は鬼がたくさん出て街に大きな被害が出た。退治したはいいが、鬼になった多くの人が元は街の住人だった為に街を直ぐに出た。身内が鬼になったから斬られたのは仕方なくても、それを心情として受け入れられるのは稀だ。まして身内を殺した奴が目の前にいたら、人が何を思うのかは言わずもがなである。その時から相当な時を経ているが、先祖を斬った者が街に来たと聞いて面白い訳がない。俺はなるべく早くここでの仕事を終えて移動しようと思った
商人の屋敷に着いた。かなり大きな屋敷で羽振りが良いのだろう。客間に通され一息つく。暫くすると風呂の支度が出来たと呼びに来た。俺が小間使いに風呂場に案内される途中、廊下の向こうから女子が来るのを見た。何故か懐かしい思いを抱く。初対面の者に感情として何かを感じる事は今までになかったので俺は驚いた。互いに近くに来ると女子は道を譲り、会釈する。俺も返すと目があった。その時己の内側に繋がり、神が俺に微笑みかけ強く抱かれているかのように感じた。このような経験は逸彦の記憶の中にもなく、俺は女が神の使いなのではと思った。そのまま何もなく互いに通りすぎたが、俺は女子が振り返って俺の背中をじっと見ている事に気付いていた
俺は風呂場に着く。ここは温泉がないので盥に湯が張ってあるだけだ。束ねてある髪を解き、髪と身体を洗い清める。先程の女子に、美代に対するのとはまた異なる感情が芽生えてくる事に困惑した。神に強く抱かれてる感覚は子が母親に抱く感情に似ているようにも思うし、憧れのような感情にも似ている。暖かさが心に沁みると感じた時、俺は頬に涙がつたっている事に気付いた。布師見殿と話した時に抱いたあの感覚と似ている。俺は己の内側に意識を向け神に尋ねる。あの女は一体何者なのか。
愛
言葉はそれだけしか返って来なかった。俺は肌寒い事に気づく。身体を洗いながら考え事をして随分と長居したようだ。盥の湯が冷めていた。俺は着物の袖に腕を通して、風呂場を後にした
客間に戻り俺は身体をほぐす。遥か昔に神から教えられ、神から指示された時にやっている。以前理由を訪ねたことがある。器と身体が一致しなくなったからと言われた。人の器は己の成長により大きくなる。身体は器を体現するものだから、一致しなくなったら身体をそれに合わせる必要がある。身体の見た目に変化はないが、憑代として支障が出ないようにする為だ。それが終わると頃、小間使いが来て商人が会いたいと呼びにきた。俺は返事をしてその後についていく。
「逸彦殿をお連れしました」
小間使いは戸板を開ける。そこには商人の横に廊下ですれ違ったあの女子が淡い若草色の着物を着て座っていた
「逸彦殿、お待ち申した」
俺は一礼をして部屋に入り座る
「先程は危なきところ助かり申した。重ねて御礼申す。お陰で無事辿り着けた」
「それが我の役目であるし、何も聞かず勝手にしたこと。お気に召されるな」
俺は商人がお礼を気にしていると思い、必要ないことを伝える。商人は安堵した様子で俺に話しかける
「それはかたじけない。礼としては至らぬが精一杯もてなす故、今夜はこちらでごゆるりとお過ごし頂きたい」
俺は己の内側に意識を向け神に問う。受けろと返ってくる
「かたじけない。お世話になり申す」
商人は横に座っている女子に目を向ける
「この女子は那津と申す。我が娘でな。この度、与津の都の宮地という商家へ妻合わす(:結婚させる)こととなった。ここからは遠方故、護衛をつける事になっている。だが先程の様にしこ(:鬼)が出ると危ないと思ってな」
商人は俺に視線を戻す
「逸彦殿、どうか同行してはくれまいか。これは仕事故、勿論お礼は出す」
「出立はいつか」
「明後日だ」
俺は己の内側に意識を向け神に尋ねる。同行せよとのことだった
「承知した。同行する」
「それは重畳(:よかったという意味)」
那津は嬉しそうな顔をして俺に向かってお辞儀をする。軽く結った髪に挿された簪に下げられた翠玉が揺れる。その顔を上げた時に見えた何処か安堵している様子に、俺は神がどの様な意図で同行させようとするのか、知りたいと思った。俺は神が啓示を降ろす事についてあまり疑問を持たなかった。特にその真意を知ろうとすることなど烏滸がましいとさえ思う。だが今回ばかりはそれを知りたいと思った
それから紹介された刀鍛冶屋へ行く。屋敷からしばらく歩いた街外れにあった。屋根から煙が昇っており、仕事はしているようだ
「ごめん」
俺が中に入ると少し強面で俺より少し歳上と見える親方が出てくる
「何用で」
「八乃屋殿の紹介で参った。剣を買いとって貰いたい。大夫傷みがあるから鋳つぶす位しか出来ないが」
俺は古い剣を差し出す。親方はそれを受け取り、剣を抜いて検分する
「寝刃(:切れ味が悪くなった剣)でもねえし、手入れもいい。このまま質に入れたらどうだ」
「いやそれは しこ(鬼)を斬ったものだ。鋳つぶしで願いたい」
親方は俺に視線を戻し怪訝な顔になる
「しこを斬った。ぬしは何者だ」
俺は少し躊躇したが名を名乗る事にした
「しこ退治の逸彦と申す」
親方はしばらくじっと俺の顔を見ていた。見ているのが俺の顔なのか、その奥にある何かななのかわからなかった。もの思う様子で剣に視線を戻した
「左様か…、承知した。鋳つぶしで買い取らせて貰う」
俺は金を受け取ると店を出た
それから何事もなく過ぎて出立の日となった
あまり長居すると、鬼退治の逸彦がここに居る事が噂になり、八乃屋殿に迷惑をかけたやも知れぬが、幾日も置かず輿入となるのも神の采配であったのか。
那津とお付きが二人、護衛三人と俺、駕籠舁き二人、荷車三台の荷車曳き四人の十三名である。俺の足なら七日で行けるが、今回は十一日の予定である。名津やお付きがいるので野宿はせず旅籠に泊まることになっている
那津は両親と別れを惜しんでいる。那津の目が潤んでいた。那津がここへ戻る事は滅多にない。商売絡みで交流はあっても、母君に会うことはないだろう。俺はその光景をぼんやり眺めていた。
那津が駕籠に乗った。護衛の責任者である亮野佑が出立の合図を送り全体が動き出す
「逸彦殿、くれぐれも宜しく頼む」
八乃屋が大きい声で俺に声を掛け、母君は深々とお辞儀をする。
俺は手を挙げて承知したと伝えた
歩き出しながら、那津が駕籠の中で声をころして涙を拭っていた事はわかった。