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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【決戦】邂逅

この物語はフィクションです。


西渡(さえど)は何処かを歩いていた。いつここに来たのか思い出せない。頭がぼんやりしていた。何故だろう。己は芙伽(ふか)に刺し貫かれて死んだのでは無かったか

少しずつ思い出した。瀕死の逸彦と実穂高の叫びを思い出した

己の所為だ。逸彦殿、間に合わなかったのか。また己は彼の前途を潰してしまったのか

そして、責任取って死んだと思ったのに我は何故此処を歩いているのだろう


西渡は隣を誰かが歩んで居る事に気付いた。いつから居たのだ

それは女だった。その横顔を見る

(うつく)しくその目に聡明さが溢れて居る。実穂高を女にしたらこんな感じとも思える。でも違う。雰囲気が母親のように柔らかく、丸く、慈愛に満ちて居た。尚且つその気高さは由緒ある方かとも思われた。懐かしいような気もするが、やはり会った事は無かった


「誰方様でしょうか」

西渡は声を掛けた

「西渡殿、我は汝を存じて居る。我は代々逸彦の母の役を致した、那由と申す」

那由は挨拶を返した

「逸彦殿の母君…」


西渡は詫びを入れようと膝を折って屈み込んだ

「我の所為で大切なご子息を傷つけ、大変申し訳あらぬ。我はどのような罰をも受け申す」

「西渡殿、立ってくだされ。我は汝がそう思って居るであろうと思い、話す為に此処に来た」

「我と話す為…」

那由は西渡の手を取り立ち上がらせた

すると西渡の霊眼が開き、那由の頭には鹿のような枝別れした角が生えているのが見えた

「この角は龍角。龍の力を持つ証しである。逸彦と実穂高は龍の化身でもある故、人の姿を害されても本当には死なぬ」


「それは誠であるか…」

逸彦の超人的な様子を見ると、納得できるような気がした

那由は笑みを含む

「逸彦は(おん)討伐の皆のおかげで、鬼退治の(めい)を全うした。長かったがこれで終わったのだ」

「それというのも、我が宿世で始めた事だ。我が最初のあの場で妻を斬れば、太刀を桃木の毘古に渡さねば、こんなに長く逸彦殿が苦しまずとも良かったものを」

那由は首を振ってそれを否定する

「そうではあらぬ。汝の役は汝の役。逸彦の役は逸彦の役。全ては必要だったのだ。罪も咎もあらぬ」

「我を許されるのか」

「汝は最後に責任を取って、願い直し、終わらせたではないか。それで完了したのだ。汝が知りたき事、問い掛けに応じた物語は、汝の気づきと次の願いで閉じた。だからそれで良いのだ」

西渡は茫然としている。良くわからなかった


那由は西渡を真っ直ぐに見つめて西渡の奥深くにあるものに向けて語りかけた

「汝は死。汝は死とは何か問うた。死の由を知るを願うた。それは汝の願いであり、それに伴い起こるは汝の役だ」


「逸彦は逸彦の知りたき事、問い掛けに応じた物語を紡ぎ、体験した。彼は知りたがりで、膨大だったのだ。そしてそれは神の願い、愛の願いだった」


那由は柔らかく目で笑み、西渡を見詰めた

「西渡殿、汝の苦しみも良く知って居る。我は実穂高の内で見ていたからな。されど汝は愛に貢献した。辛い役だ。だからこそ報われよ」

「何故我が報われるのだ。多くの者を長く苦しませたのに」

「最も深い気づきをもたらしたからだ。命の根源的な疑問だ。命が命自身とは何かを問うたのだ。汝の貢献は計り知れない。わからなくても良い。己の考えが小さき事を認め、愛と神の恵みを受け取られたら良い」


西渡の前で那由の姿は光で包まれ広がり、また光が集まると龍となった

その神々しい威光に西渡は立ちすくんだ

だが笑い出した

「何と(うつく)しいのだ。この姿を見ただけでも充分に恵みなのだが…」

那由は木の龍だ。白菫色の身体はしなやかできめ細かく、内側に青い光を宿してそれが漏れて居るかのようだった。大きな目は(なつめ)の実のようだ


龍は案内するとでも言うように、先を泳ぐよう進んで行く

西渡はその後を追って歩いた



白く無垢な雪に二組の足跡が続いていた。雪で覆われた景色には、先だって此処で激しい戦いと苦しみが此処で繰り広げられたとは見えなかった

実穂高は逸彦の隣を歩きながら語った

「我は人の心に共鳴しその苦しみがわかる故、己が楽になるには相手の心を癒すしかないと思うていた。だがそれは全部汝の為であった。今はわかる。全ての人を合わせたよりも大きな汝が心を癒す為だった。我が人生で巡り会った人々は、皆汝の一部であった。汝の心を救いたかった」

己の前の歩む雪の地面を見つめながら実穂高は言った

「されどそれと言うのも、我が心が救われたかったのだな。結局全て己に答えはあった」


「四年前に水師の宿世の心の記憶を通して汝を観た時から、我は既に汝に救われていたのだ。汝の存在が我に生きる事を許し、汝に会うまでは決して我が我である事を諦めぬと深いところで誓って居ったのだ…」

逸彦は独り言のように続ける実穂高を見つめた

「寂しいのは我の方だったのだ。いつも、誰と居ても。我は周りの誰とも違うていた。だがそれは仕方のない事だ」

実穂高は顔を上げた


「我は命の大元故、反命の彼らの狙いも我にあった。命の大元に直接取り憑けば命を吸い続ける事ができよう。それもあり我がこの我として生まれる事は最後の時まで叶わなかった。我が汝と離れていたのも互いの安全の為。また我が女である事を隠したのも、我に宿世の記憶があまり無かったのも、その為なのだ。我が世に完全なる姿で生まれた事を彼らに悟られぬ為だ。もし命の根源の力の全てを吸い尽くされ我が愛の道に依らずに死したら、この世は完了を迎える前に消滅するところだった」


実穂高は逸彦に済まなそうに言った

「汝には苦労をかけてしまった。辛い役を負わせた。絶望しても責められぬな」

逸彦は隠岐の島で反命の黒岩を斬った時に、己にまだ苦労掛けねばならぬと謝った、母である那由を思い出した


「だが今は我らはこうして居る」

逸彦は己の手を伸ばして実穂高の指に絡ませる

そうするとやはり身体の奥でちりちりと喜びが燃えるのだった


「我は先程死んだのだ。コウが斬ったのは絶望した我だった」

歩きながら逸彦は言う

「龍になり、風になった時、肉体の持つ記憶が消えた。そうしたら愛しかなかった。実穂高への愛で我はできていた」

目を潤ませ実穂高は逸彦を見た


「風もまた愛の姿だ。木も水もひも光も地も、愛のとある姿だ」

「世は愛でできていて、我はそこから離れた事はなかったのだな。愛はいつも我を見守り我に必要なものを与えてくれていたのだな」

「然り、我らは胸の内に互いを宿して、必ず見つけるように、思い出せるようにしたのだ。内側から互いを見守っていた」


逸彦は実穂高の手を握りなおした。すると実穂高もまた応えるようにその手を握り返した。また胸の奥が広がり、泣きたいような気がした。


“別れても幾千の(とし)を思いなば我は成らずも恋しからずんば”


宿世で龍の金剛の降らせた雨に濡れた時、聴こえてきた那由の唄だ

離れていた幾歳月がその絆の深さを浮き彫りにした

コウは命の鐘を鳴り響かせた。運命は開き、計画は道を促して広がる。それは愛が相愛の儀式をする為の祝福だった



どの位歩いたかわからない

そこにはもう雪は無かった


森の中が突然大きく開けて、中心に巨木があった。その根元には澄んだ湖が水を湛え、木の幹は内側からほのかに光っていた。天蓋は見事に張った枝が覆い、空も見えなかった。その存在の確たるは、先程までの出来事が全て夢だったかのように思わせるのだった


霊視した時は木に求婚するなど余程だと思ったが、実際見るとそれも然りと思えた。その木に対し心が惹きつけられ、内側に愛が湧いて来るのだった



その木の周辺に皆が居るのが見えた。皆笑っていた。手を振った

天鷲、玉記、津根鹿、宮立の太方と細方(さざかた)、佐織の翁、伏見

此処では全てがありのままだったので、誰も実穂高が女として居るのを不思議に思わなかった


「水師はどうしたのだ、あそこに見えぬ」

「亡くなったであろう時、先に行っていると声が聞こえた」

「先に行っている…何処へだ。此処ではなかったのか」

西渡(さえど)も居らぬ」

その最期を見た西渡(さえど)も居なかった

もう一人、誰かいたような気がしが思い出せなかった

二人は水師と西渡が居ない事に心を痛めたが、直ぐに答えが降りた

「二人は全うしたそうだ。全てに満足したらしい」

「左様なのか…」

実穂高の目から涙が溢れた。それを拭いながら言う

「それは言祝(ことほ)ぐべき事であろう、泣いてはいけぬな」

「それに、わからぬな、我らが望むならば、会えるのかも知れぬ」


「然らずんば然り」

その時、西渡の姿が現れた。それは唐突だったのだが、現れると同時に皆はそれを不思議に思わなかった


皆の頭上を菫白色が閃いた。それは那由、木の龍だった。西渡を送り届けた龍はしなやかに舞い、逸彦と実穂高を見て笑ったように見えた。だが直ぐに湖に根を張る大きな木に溶け合わさり、消えた

「母様…」

逸彦は一瞬でも母の龍を見る事が出来て満足だった。実穂高と共に居て幸せな姿を見せる事が出来て嬉しいと思った。母にとってはこれが報いの一つであった



「汝らは何を望む」

二人が皆に問うと津根鹿が答えた

「我は妻子に会いとう思う。子を育てたし」

「我は婆に元気な我を見せてやるのだ。逸彦と実穂高が如何に我等を奮い立たせたのか、話を聞かせてやりとう思う。あとは婆の機織りの手伝いをせねばな」

佐織の翁は実穂高に片目を瞑って見せた


「次の世代が見たい」

宮立の太方が言った

「我は家を建てたい」

細方と伏見は同時に言った。声が揃っている事に笑った

「倅は大事な事を言わぬのか」

太方が言うと細方は少し照れたように添えた

「あの椿の方にお会いして、我が人生の先を見とう思う」


西渡は言った

「己は受け取るに値しないと思うたが、先程逸彦殿の母君に諭された。それならば(おん)の無き後に、生まれた命が命のままに育つ様を見たい」

皆は頷いた


「天鷲は何願う」

逸彦は尋ねた。天鷲は静かに笑っていた

「言わんでおくよ。逸彦に成敗される故」

どこまで本気かわからない。玉記は口端を大きく上げて言った

「まあ、また会えるであろう」

それから、玉記は小声で天鷲に尋ねる

「本当のところどうなのだ」

「実穂高を妻にできぬならば、父になるのはどうだ。娘をくれと言われたらうんと渋ってやろうぞ」

「相変わらずだな、程々にしとけよ。では、会えるな。互いに父として」

「何だと。汝の願いは逸彦の父か。気が合うな」

二人は肩を叩き合った


皆は光になって其々の望みの叶う命の時へと去った



「それで汝は何を望む」

「我は生み出すものに、命の糧となるものに」

「もう既になっている。汝逸彦の命光の(やいば)は業を斬り断ち、汝の巡る命は全ての命の望みたる、進化と成長をもたらした」

「それが我が使命だったのか」

実穂高は頷く

「まさに風の巻き起こす、螺旋の上昇。()が命のままに輝く剣」

目を笑うように細め、逸彦の心に語った

「知らぬのか、汝は周りの者にもたらす()が影響を。ただありのまま居るだけでどれ程彼らを奮い立たせ行先を指し示したのかを…」

実穂高は逸彦の耳元に口を寄せて囁いた

「汝の名は…きぼう」

逸彦は目を瞬いた


()が命の光は道を照らす。それを見るは我が高みを目指し至らんと欲す。それがきぼう」

逸彦はわかっていなかった。きぼうはきぼうであるが故に、目指す地点に真っ直ぐ行く事しか考えて居らず、それを振り返った事も無かった

きぼうがきぼうである事を隠された世には翳りができ、全ての力を持つ筈の愛もまた、生きて行く事もままならなかった。愛はきぼうにより愛だった

対たる二人はそれを知った


「汝は愛。我が望みは我が愛たる汝と共に生きること。それより他は要らぬ」

逸彦は実穂高の顔に掛かる髪をかき分けた

実穂高は目を細めて笑う

「良いのか、いくらでも叶うぞ」

「いくらでもか」

「いくらでもだ」

「では刀が要らぬ争い無き世で、また親しき者と会い、また汝と出会い…」

「やりたき事を全部やって」

「知りたき事を全部知って」

「汝を知って、愛を知って」


逸彦は実穂高の頰に触れた。その輪郭をなぞり、その目を覗き込んだ。実穂高も逸彦の頰に触れ、そのままうなじへと手を滑らせ、己を見詰める目を見入った。二人が互いの目を覗き込むとお互いの姿が映った。逸彦は実穂高の瞳に映る己を見、実穂高は逸彦の瞳に映る己を見た

その目の奥には愛しい命が燃えていた

元一つだったものが(いにしえ)に別れる前にどんな顔立ちだったのかも知らないが、その奥にあるものは同じだった


「またこの汝の命に触れて…愛と一つとなりたい」

逸彦は実穂高を抱き寄せた。大切なものを大切なままに触れる事ができる事に感謝し、口付けをした


命の歓喜が鐘を鳴らす

全ての命は各々の声を挙げた

その音が幾重にも合わさり奏でる(がく)は広がりまたその糸となった

愛は調和を織り成した


世は再び作られ、彼らを送り出した

実穂高が言う逸彦の本当の名が、この物語の表題「忘鬼(ぼうき)の謂われ」の由来

物語はまだ続きます


白菫色…やや灰色がかった青紫系の白

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