【決戦】光輝華(ひかりかがやくはな)
この物語はフィクションです。
逸彦の周りには鬼の亡骸が築かれていた。そこへ更に次の鬼が押し寄せては、逸彦に倒されているのだった。芙伽は己が連れている以外の残る鬼を逸彦に向けさせた。次々と襲い来る鬼を、疾風の如き早さで斬り伏していく
もう意識などなかった。己が何をしているのかもわからなかった。何も覚えていなかった
気がつくと、周囲に動くものは無かった
終わったのか…
逸彦はぐったりと膝を突いた。少しの間、身体と意識が一致するのを待った。今がどういう状況なのか、暫く思い出せなかった
周りを見渡すと、鬼の亡骸しか見えなかった。刀を鞘に納める。次第に思い出す
逸彦は皆の名を呼んだ
「水師!津根鹿!」
「宮立の太方!細方!」
「伏見!木ノ山!」
「佐織の翁!」
誰の返答も無かった
「玉記!天鷲!」
逸彦の目に涙が浮かぶ
まさか誰も居ないなどあり得ぬだろう
「西渡、実穂高!」
今がいつなのかわからない。実穂高達が馬に乗って帰って来る時なのか、それとももうとっくにその頃は過ぎて、実穂高達もやられてしまったのだろうか
逸彦は皆を探して森を彷徨った
死屍累々としているが、見知った仲間のものは見つけられなかった
やがて逸彦は友の亡骸を見つけた。水師はあの時目に浮かんだ表情で口元に笑みを浮かべて倒れていた。
間に合わなかったのか。
鬼が全ていなくなったとて、汝が居なければ。己は何と実穂高に弁解するのだ。実穂高の愛する友を奪ってしまった。やはり己が元凶なのだ。己の歩く道は血塗られ、何も残らぬ。骸の山しか無い。鬼であろうと、人であろうと、己と関わった者は皆壊されてしまうのだ。我は無力だ。誰も助けられなかった。誰も護れなかった
仇を取る事も己には許されない。それは実穂高が嫌がる行為だ。出来ない
逸彦は生まれて初めて絶望した
逸彦は我が死を望んだ。死んで実穂高に詫びるしか無い
逸彦はそう信じたが、その考えは腰袋に着けた石の護符に込められた呪いの所為だった
逸彦は友の骸の前に座ると、刀を抜いた。抜くべきでは無い時に抜かれた剣は輝いていなかった。逸彦はそれを己に向け刺そうとした
「駄目だ!死んでは駄目だ。今行くから待ってろ…」
実穂高の声が何処からともなく響いた
その声に手元が狂った
急所を外した
ああ、これは死ぬのに時間がかかる…
だが我が身を捧げた実穂高が言うのだ。待とう…
意識は白く凍るような空間を彷徨った
その鼻腔を甘い香りがついた
水仙の花だった
白い水仙は逸彦の思いに項垂れた
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津根鹿は芙伽を追っていた。気配を消せるのに、隼が見つけて執拗に追いかけて来る。流石に閉口する。
追われて見つかる度に連れていた鬼を仕掛けるが、その度に鬼も倒された。本当に、何てやりにくいのだ、此奴らは。
芙伽の身体は死体に憑依したものだった。だから痛みや疲れを感じにくいが、こうまで走らされては限界だった。鬼の数が減り、鬼から供給される命の精気が無ければ、持続できない
津根鹿は再び芙伽に追いついた
もう残る鬼は一人だった。芙伽は言う
「汝、何者だ。何故我だけ追うのだ」
津根鹿は答えた
「我、津根鹿は、その龍の角を継ぐ者」
「何だと」
芙伽はその存在に気づいていなかった。これは何としても角を渡す訳にはいかなかった
芙伽は有りったけの力で、光を反転させようとした
周囲は突如暗くなった。黒い霧に覆われたかのようだ
津根鹿は咄嗟に何をすべきかわかった
刀を鞘に納める。それを見て芙伽は訝しむが、津根鹿は両の手を組み合わせると息を吹き込み、逸彦に教わった鳩笛を吹いた
その音は閃くように、周囲の黒い霧を引き裂いた。本当は角を媒体に起こる力だったが、今の津根鹿は内側から愛に繋がっていたので、直接光を引き出す事ができたのだ
何だ此奴は…
芙伽は唖然とした。もう霊的な力もあまり残っていない。自力でやるしか無い
津根鹿は再度刀を抜くと、最後の鬼に斬りかかる。隼がそのように示したのだ。そこへ芙伽が短刀で斬りつけようとしたが、もう一方の手に杖を持つので、全力を尽くせない
もう霊力が尽きて使えないのだから今は杖は不要なのだが、杖を渡す訳にもいかないので手離せないのだった
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実穂高は白隼と共に皆の居たはずの場所に近づいていた
近づくにつれ、鬼の亡骸の数が凄まじい。激しい戦闘があったと判る。
自身も何人か、鬼と遭遇しては斬った。だが数は次第に減っている。一定の方向へ向かって走って行く鬼を何人か見た。だがそういう鬼ももう見なかった
気になるのは水師の結界が途絶えている事だ
暫く行くと、もう鬼は遭わない。鬼を殲滅したから結界を解いたのか、水師に何かあったのか、どちらだ
そして、どうして誰の姿も見ぬのだろう。胸を不安がよぎる
不意に何か嫌な感じが周囲に漂った。だがすぐにそれは薄れた。
実穂高の耳に鳩笛の音が届いた。あの笛は津根鹿が鳴らしたのを聞いた事がある。津根鹿はまだ無事なのだ。何処に居る。実穂高は音が聞こえた方へ馬の鼻を向ける。白い隼も其方に飛んで行く
馬に乗り走りながら、遠くに実穂高が見つけたのは、最後の鬼を斬り倒した津根鹿だった。津根鹿の前には芙伽が杖と短刀を持って立っていた
津根鹿は芙伽に斬りかかって行った。だが寸でのところで、芙伽は食い止めた。鹿の角の杖の根元で、津根鹿の胸を突いたのだ。津根鹿の刀よりも僅かに長かった。斬りかかった勢いと相まって、杖は津根鹿の胸に食い込み、そのまま肋骨を折った。口元に血が吹き出た
「津根鹿!」
実穂高は叫び、芙伽に馬の全速で近づき、馬上から斬りかかろうと脇差を抜いた
津根鹿は胸を突いた杖を掴んだ。芙伽はその津根鹿を蹴り離そうとした。実穂高の剣が迫り、杖は怯んだ芙伽の手を離れた。倒れながら津根鹿は杖を掴む手を緩めなかった。
津根鹿は鹿角の杖を握り締め、それをついてようやく立ち上がった。だが胸を砕かれもう力は尽きようとしていた。
「我をどうか、その道遂げさせよ。我が血に継承する権限を神に返し奉る。古き我を死なせ、新しきものに生まれさせよ…」
かすれる声で宣ると、杖は消え、津根鹿の姿と共に光に包まれた。その光が広がり、再び集まると、真珠のように白く輝く龍が出現する。その身体は虹彩に煌めき、その目は黄金のように輝く。光の龍だ。何と愛しいのだ。この緊張状態を一瞬忘れそうだった
「津根鹿の龍か」
実穂高は馬から降りた
龍は実穂高に向かって、答えるように口を開けた。それは笑っているようにも見えた
龍は咆吼し、叫んだ
「待ち望んだ時遂に訪れし。愛よ、神よ、此身を捧ぐ。光を解放せしめよ」
そして龍は光の粒子となって散り、消えた。実穂高の目に涙が溢れる
突然、空気は清浄になった。見えない曇りが取り払われ、影と言う影に光が及んだ
地域の光を遮っていたものは晴れて、再び光が届くようになった
光遮られ無気力な人々も、何か突然気分が良くなった気がした。僅かながら感覚が戻ったようだ
芙伽は憎しみで一杯だった
ここまで折角やって来たのに、よくも…
実穂高は弾けるように全てを思い出した
内側を遮る影が無くなったからだ
全てのものがくっきりとありのままに見えた
それらは晴れやかに高らかに、命を賛美しその命令を待っていた
何かの鳴る音が聴こえて来た気がした…
白隼は飛び去った。もう役を終えたのだ。実穂高は導かれなくとも必要な事を思い出せるようになったからだ
己が全てを終わらせる為に生まれて来たと悟った。今がその時だ
まだやるべき事がある
逸彦を見つけねば
実穂高は逸彦を探しにそこから走りだした
後を芙伽が追って来る。だが逸彦を探すのが先だ。風の龍と火の龍を顕現させねばならない
「逸彦ー」
実穂高は叫ぶ
こんな時に水師が居ればすぐ見つかるのに…
すると、水師の気配を感じた。気配は此方だと言うかのように導いてくれる。ここは右に、此処は真っ直ぐに…
そうするうちに、少し森が拓けた所に出た。周囲を白い水仙が咲いて、その香りが立つ
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玉記は仰向けに倒れていた。利き手の肩を鬼に引き裂かれ、もうそれ以上刀を振るえなくなったところで、違う鬼の殴る拳の直撃を受けて倒れた
そのまま喰われるかと思ったが、襲って来た鬼は天鷲が斬り倒した
二人は付かず離れず、近くでずっと戦っていた。鳥もそのように導いた
その時を最後に、もう二人の周りには鬼が居なかった
導きの鳥の大鷲と鷹は、二羽とも近くの木の天辺近くに止まっていた
天鷲は倒れた玉記の側に腰を降ろした
「これでもどうだ、気休めだが…肉桂だ」
天鷲は玉記の口に肉桂の欠片を入れ、己の口にも入れた
さっき怪我の様子を玉記に尋ねた。玉記は痛みを感じていなかったし、足をぴくりとも動かせなかった。ひょっとすると背骨か腰骨が折れている。状況にも依るが動かせない。折れているのがもし首だったら…
「…天鷲は大丈夫か」
「ああ」
「もう居ないようだ。終わったのか」
「終わったのだろうな、恐らく」
「さっきのあれは、結界が切れたのは…」
「水師が亡くなったのであろう」
「やはりそう思うか」
二人は何かを待っていた
鳩笛が聞こえた。あれは津根鹿のだ
何の報せかわからぬ。報せであるのかもわからぬ
少し経つと突然、気が晴れやかになり始めた
「気が清浄になった。もしや津根鹿が光を取り返してくれたか」
天鷲は榮の遺したものが本来あるべく成った事を感じ入り、感謝した
天鷲は篳篥を取り出すと吹いた
玉記は静かに聴いていたが言った
「こんなに愉しき事は、今までに無かったな」
「ああ、初めてだ」
天鷲は応じた
「やり遂げたという気持ちは凄いな」
「全うしたな」
玉記はその目を重たげに閉じた
天鷲は友が眠ろうとしているのか、死のうとしているのかわからなかった
それを哀しむべきなのか、祝福すべきなのかわからなかった
「笑ってくれよ。また会うだろう」
どうして気持ちを読まれたのかわからなかったが、天鷲は笑って、また篳篥を吹いた
玉記はゆっくりと呼吸をしていた。その波が寄せては引くような調子は次第に遅くなり、やがて吸い込んだ息はもう吐かれなかった。それを見て天鷲は目を閉じた
目を瞑って己の吹く篳篥の響きを聴きながら、玉記の事を、逸彦と実穂高にどう詫びようと考えた。二人はどちらも己の責任を感じ、己を責めるだろう
音は止んだ。天鷲の目から涙が溢れ、もう吹けなかった
あの二人のように愛する者と一つの事を出来るのは幸せだ
天鷲は玉記と己が、榮とは違う意味での対であると思い出し、彼が居てくれた事と居なくなった事の全てを噛み締めた。今まで見えていなかった玉記の存在の己にとっての意味を悟った
鳴咽が漏れた。こんな風に泣くのは初めてだった。榮の死にも、童の時さえも、己は己の心を本当には表に出さなかった。その己が玉記の死をこれ程深く嘆じている
天鷲は何も感じなかった。身体が勝手に泣いているのを眺めている気分だった。ただ茫然と、我が半身が喪失した事を朧げにわかった
その時、二人の頭上に導きの鳥が訪れた。天鷲は宿世でのその意味を思い出した
鷹が玉記の身体の上で羽ばたくと、玉記の身体は光に包まれ、鳥と共に消えた
天鷲は己の頭上で羽ばたく大鷲を涙で濡れた目で見上げた。
「我も連れて行ってくれるのか…」
大鷲の応じるような一鳴きと共に己の身体も光に包まれた