【決戦】織り上がり
この物語はフィクションです。
討伐隊は確実に鬼の包囲網を減らして行った。やがて鬼の群が減るにつれ、皆の居る位置は次第に離れて行った。
芙伽は怒り心頭だった。全く忌々しい。
彼奴らを鬼化するのに、どれだけの時間と労力が必要だったのか。角を手に入れる前から、五年かけて光を遮った。全国の鬼の総数が逸彦によって減った事を危惧してだ。
鬼討伐を組織すると言う話が、案としてちらほら出たのはその後だ。
あの深瀬郷の盆地。あそこで逸彦らは全滅せずとも、痛手を負わせる事が出来る筈だったのだ。そうこうする間に、甲斐国で発生した鬼で都を襲わせれば国は壊滅したのだ。そのどちらも逸彦に潰された。
巽に着けさせた朱い数珠を遠隔で斬られた。あの剣を振るう以外に能の無い鬼退治莫迦にそんな霊的な事ができるなんて聞いてないぞ。おかげで巽は腑抜けになった。元から中身は空っぽだったが、もう我の声も届かなくなった。だから見限った
逸彦は本当に神なのか。だが神は己の役割を放棄したのではないか。だからこの世を如何様にしても良いのだと思った
あの黒岩に初めて触れた時の情報、それは確かな筈だ。その通りにしている。七百年かけてそうしているのに何故そうならぬのだ
玖野戸でも、与津の都でも、何かが手に入りそうだったのに。それが何か今となってはわからないが。あの時だって。…己ではなく陰陽師と坊主らが自らの愚かさで鬼を増やそうとした時は、行けると思った。だが尽く逸彦が現れ邪魔をする
芙伽は知らなかったが、黒岩に宿る反命の視点で判る事は、正道以外の道だった。命の道から外れた者は決して命の道そのものを行くは叶わない。よって、命が喜びを持って我が命であろうとする時にはそれを見る事ができなかった。そしてまた、命が無いものには命が感じる愛や心やそれによる結束と強さも見えなかった。
また己は鬼を使って世を変えると思っていたが、元は彼らの奴隷として作られて此処に送り込まれたものだった。実際に使われているのは己の方であった。彼らの為に命の苗床が途切れなくあるように提供するのが猿女に与えられた任務である。彼らはその為に命濃いこの国に黒岩を転送し、神にこの地を治める役と力を与えられた当時の神々に、天宇受売命を紛れ込ませた
龍角の力を使って早く鬼化できるようになったとは言え、此処に誘導可能な地域で最後に必死で掻き集めた人数も、これ以上にはなりようが無かった。一番近くで野盗とそれを取り締まる侍の一団があり、好都合と連れて来たが、時間稼ぎできたくらいで、あまり役には立っていないように見えた
それも今確実に数を減らしている
あの実穂高という陰陽師が居なければ、結界が弱まると思ったが、他にもあるらしい。
一体それは何が発しているのだ。音だ。誰から出ているのだ
森に散開する音を確認するが、芙伽にはそれが良く見えなかった
だが此奴を断てば何とかなるのだ。知る方法はあろう
芙伽は帯に差した短刀に触れた
鞘が揺れ付いている金具が擦れて鳴った。これはあの時夫だったあの男が持っていた太刀。そして桃木の毘古に授けた太刀。毘古の神の力を宿した太刀。物質としてはそのものでは無くとも、その太刀の霊力を継いでいる
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鞘に着いた金具が擦れて鳴る音がする
何処かで聞いたような気がした
逸彦は目の前の鬼を斬って倒れた身体の向こうに、杖を持った芙伽がいるのを見た。芙伽の帯に差した短刀の金具の音だった。何だろう、嫌な感じがする音だ。何故そればかり耳につくのだ
「芙伽!」
逸彦の心は乱れた。思考が停止する。何が起きたのだ。
芙伽は逸彦の腰袋に着いた水晶の護符を確認した。あの男、役に立ったな。中身が無い者は言葉を信じてすぐ揺らぐから、わかりやすくて良い。
「逸彦殿、我に訊きたき事あろう」
だが逸彦はそんな暇は無かった。芙伽が現れた途端に、ばらばらだった鬼の動きが、統制が取れたものへと変わった。突然の変化に見ている逸彦は戸惑ったが、逸彦の気持ちとは関係無く刀は的確に振るわれ、その勢いが乱れる事は無かった。芙伽はその剣の光を見るととても嫌な気持ちになるのだった
あの崖で己に激しく向けられた憎悪が今はもう逸彦に感じられなかった。何故だ
逸彦は既に孤独という体験を完了しつつあった。孤独をえぐる事で感じる猿女への怒りと憎悪はもう解消された後だったのだ
負の感情に覆われている方が操りやすいのに。多少悔しそうに顔を歪めるが、芙伽は次の言葉を探した。
「其方に質問が無いなら、我にある。汝らの結界は誰が張って居る」
その問いに答える余裕は勿論無かったのだが、一瞬逸彦は水師を考えた。
「逸彦殿!」
声が聞こえた。津根鹿だった。津根鹿は隼の後について此処へ来たのだ
津根鹿は芙伽に斬りかかる。芙伽は邪魔が入ったとは思ったが、充分だった。
芙伽は逸彦の脳裏をよぎった人物の影を既に掴んでいた
「教えてくれて礼を言うぞ、逸彦殿」
しまった。もしかして、実穂高が行なっていたような事か。思い描いた像を読まれたか
そうとすれば水師が危ない
逸彦は思ったが燕はそのまま周囲を飛んでいた。逸彦は燕が示すままにその場に留まり、武装した鬼を斬ることに専念した
津根鹿は隼に導かれ、芙伽を追った
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水師に導きの鳥は居なかった。鳥が居なくても、彼には機を見て動く特技があった
水師は己が対峙する鬼を順次斬っていた
だが突然、己の周りにいる鬼が増えた。何が起こったのだろう。周囲に散っていた鬼が集まったようだ。戦況を見ようと、少し後ろに身を引いた時だった
水師の背後に居るのは、短刀を持った芙伽だった。気配がなかった
はっとして振り返るが、遅かった。喉を目掛けて刀を振り払った。水師の喉笛は切り裂かれ、血が飛び散った。力の抜けた手から刀が滑り落ちて音を立てる
水師は笑うように口を歪めた
わかっているでは無いか。我が結界が心の声であり、その質が音である事を見抜いたのか。水師が居る限り、隊の皆は結界に守られ、誰も害する事は出来ない。だからまず己の声を封じに来たか
水師は己を庇うを捨て、飛び掛った。芙伽の身体は背後の木に打ち付けられた。杖は芙伽の手から転がり落ちた。
更に振り上げた刀を持つ右手を己の左手で掴み、その動きを封じた。そのまま押し倒して、右手で芙伽の喉を体重をかけて締めた。芙伽は自由の利く左手で水師の頭と肩を殴り、また水師の腹を何度も何度も膝で蹴り上げた。背後に迫った鬼がその鋭い爪で水師の背を何度も切り裂いた。水師はもう力が入らなかった。だがその寸前で、右手首に巻かれた緒を引千切った。朱い玉を握り締め、蹴られ仰向けに倒れる
水師は納得する
我はやはり二人を見届けられぬか…
だがその先に何が起こるのかは知っている。口元に笑みを浮かべて、目を閉じた。
芙伽は身体を屈め咳き込んでいたが、体を起こすと、落とした鹿角の杖を拾いあげた。杖にすがり憎々しげに水師を一瞥し、そこを立ち去った。残り少なくなった貴重な鬼を、もう死ぬと決まっている男への止どめには使いたくなかった。数人の鬼を後ろに引き連れ芙伽はその場を去って行った
皆は突然、何かが途絶えた事を感じた。今まで圧倒的に有利に思えた戦局が変化し始めた。護られていた何かが破られたと悟った
逸彦は友の死を感じた。心の中で友の名を叫んだ
「水師!」
一瞬友の顔が浮かんだがそれは笑っているように見えた
「先に行っている」水師の声は言った
何処へ行くのだ
逸彦の目に涙が滲む。逸彦はより一層激しく疾く刀を振るった
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木ノ山は己は生き残れるかも知れんと思って居た。目の前の鬼が己の周りに居る最後の鬼だ
導きの鳥が着いて、今まで人生で初めてと言えるくらいの戦いぶりだった。この話を郷里に帰ったらしてやろう、皆喜ぶに違いない
そう思いながら、木ノ山は目の前の鬼に斬りかかる。だが何かおかしい。この鬼の着物、見た事がある。これは己が着ている着物と同じだ
木ノ山は驚く
ワレはどうなった?そういえば、いつの間にか導きの千鳥も居ないぞ
木ノ山は鬼になっていた。木ノ山が目の前の鬼を斬りつけると己の身体にも同じ所に刀傷が出来た。木ノ山だった鬼は血を噴いて倒れた
そして思い出した。鬼退治に来た青年と同行して、己が気絶している間に青年が倒した鬼に弓を射て、我が手柄として村の者達に話した事を
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都鳥が導き見せた目の前の鬼を斬り倒した時、宮立の細方は肩で息をしていた。周囲に鬼の気配がなくなり、急に静かになった。息を整え太方はどこかと辺りを見回した時、背後から聞きなれた笑い声が聞こえる。細方は安堵した。声からするとすぐ近くだ
背後には低い茂みがあった。背の高い太方の姿が見えずおかしいと思い、そこを覗きこんだ
「親父殿、そちらは…」
細方は絶句した。茂みに程近い地面に倒れて居る太方の上には息絶えた鬼の亡骸が覆いかぶさって居た。
「親父殿!」
細方は駆け寄り、鬼の骸を太方の身体から押し退けた
そうして見ると、太方の上体は鬼の爪でずたずたに切り裂かれていた。鬼と至近距離で壮絶にやりあったらしかった。そしてその倒れて居る位置からすると、細方に襲い掛かろうとした鬼を身をもって食い止めたのだろうと察せられた
「おお、倅、怪我はあらんか」
太方は細方を上から下まで見る。細方は息が切れ、擦り傷が多数ある以外は問題なかった
「我の事より、直ぐに手当てを」
細方は傍らに膝を突いた
「必要あらぬ。もうすぐ迎えが来る。汝に怪我があったら吾妻に叱られる。合わせる顔がなくなるよって、無事で何より」
太方は安堵し笑顔になる
「なぜ我の事を。我を守らんとこのようになされたのか」
「汝を守り抜くことこそが我が使命。汝が無事なら我のなすべき事は全うした。悔いあらぬ。それより見よ我を。鬼化して居らぬぞ。逸彦殿に責を負わせるような三度目はあらぬわ。これで安心して死ぬる。後は任せるぞ」
相変わらず身勝手に全部一人で決めてどんどん先に行ってしまう
「待て親父殿、勝手に逝くな。残された我はどうする」
細方は泣いていた
太方の顔から少しずつ血の気が引いていく姿を見て、涙が溢れた
「わかっているだろう。それが汝の使命」
太方の導きの鳶が太方の身体に上空から低く舞い降り、一声鳴くと太方の身体は光に包まれ、鳶が空へ羽ばたくと同時に光も空へと上がり消えた。地面には何も残っていなかった
細方は唖然としていた。頭の中が真っ白になり何も考えつかなった。どれほどの時そこに立ち尽くしてたかわからぬが、都鳥の声に我に返る。目の前の地面を歩き我が導きの都鳥がまた鳴いた
「汝か」
都鳥は細方をじっと見ていた。それで汝はどうするんだとでも問い掛けているようだった
細方は太方の言葉を思い返した。親父殿は母上の為に戦い、生きているのだと思っていた。だが、そうではなく、我の為だった。その事に気づけない己は親父殿の何を見ていたのかと強く後悔した。宿世でもそうだ。あの時も親父殿の真意が分からず逸彦殿を殴ってしまったと言うではないか。我の使命とは何だ。我は何も思い当たらぬ
「ガー」
その声に釣られて見ると、都鳥は太方の手から転がったと思しき剣を突いた。これを見ろとでも言うようだった
「親父殿?」
細方は親父殿の貫いたものを見ることなのかと思った。親父殿は何よりも強かった。そして今示された、その強さの源は息子である己だった
どんな遠くにあっても、近くに居ても、父は息子の人生に己が与える影響を一時たりとて忘れた事は無かった。己のやり残した業を一切背負わせぬようにし、言葉では無く己の生き様を持って何でもやりたい事を成せると教えた。その人生を見届けるのが、我の使命なのか
親父殿の生き方の根底にあった基準が今やはっきりとわかった。それは “ 我が息子にどのような生を残せるか ” だったのだ
細方はその剣を地面に突き立てた
「我、宮立の生き様しかと見届けり。汝の思い、ここに成就す。我はそれを継ぐ者」
細方は叫び宣言した。
都鳥がそれに応えるように飛び上がって彼の肩に止まると、細方の体は光に包まれ都鳥と共に空へと昇り消えた
人物紹介
逸彦…鬼退治を使命とし、鳥に導かれながら旅をする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している。移動は常に、山も崖も谷も直線距離で駆けるか木々を伝って行けば良いと思っている。寝る時は木の上
コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃を動かしている。宿世「コウと共に」で登場
実穂高…鬼討伐の責任者。陰陽師。実穂高は実名ではなく通称。孤児で今は亡き賀茂の当主に才を期待されて跡取り候補として引き取られた
水師…実穂高の側付きであり弟子。商人の子だったが、元服と同時に実穂高の側付きにと言われて実家から厄介払いされた。目指す相手の居所をわかる特技がある (宿世 和御坊、瑞明「コウと共に」に登場)
玉記…実穂高の京での信頼できる友であり、実穂高と水師の剣術の師。途中から鬼討伐に参加。大柄で長身 (宿世 小野篁「流刑」。水の龍 天河「コウと共に」にて登場)
天鷲…玉記の友人。従妹 榮の病の事を実穂高に依頼し、途中から玉記と共に鬼討伐に参加 (宿世 源信「上京」。地の龍 金剛「コウと共に」にて登場)
実穂高が集めた討伐の面々
宮立 父 太方…亡き妻の口寄せを依頼して実穂高と知り合う。生き様も笑うも呑むも豪快で、懐が大きい(宿世 宮地家の御当主で那津の義父「護衛」、村長「桃語る」に登場)
宮立 倅 細方…(宿世 宮地家の息子でご当主、那津の夫「護衛」に登場)
津根鹿 …妻子出産の祈祷で実穂高と知り合う。出世は訳ありで、誰が父なのかは実穂高だけが霊視で知っている(宿世 宮地家の孫で那津の長男「護衛」の最後に登場)
西渡… 剣士。妻の死体が蘇って歩き回ったという件で霊を鎮める祈祷を依頼し、実穂高と知り合う。(宿世 男「桃語る」で登場)
佐織の翁…婆の病の相談で実穂高と知り合う。実穂高は彼と接すると笑いがあって愉しいと思うが、逸彦の見立てではいくつもの死線を潜り抜けて来た凄い人物なのに自然体なので表に凄さを見えない人(宿世 翁「桃語る」に登場)
伏見…海沿いの難所を通り抜けるのに困っていたところ通りかかった討伐の一行と合流。自分達の領地周辺の鬼調査をしていたが、以降行動を共にする(宿世 布師見「城」に登場)
木ノ山…伏見に仕える。話しぶりが大袈裟(宿世 木之下「城」に登場)
獅子吼…鬼大量発生で壊滅した甲斐国出身の者。久しぶりに帰郷したら里の妻も仲間も全滅していた。鬼をやっつける事しか思い浮かばず、鬼討伐に加わる
榮 …天鷲の従妹で幼馴染み。頭に鹿のように枝分かれした龍角を持つ。霊障による病で角を奪われて亡くなる (宿世 源信の妹、潔姫の生まれ変わり)
巽 左大臣…討伐の依頼主だが乗り気でない。ちなみに巽は本名ではなく通称
新路…巽の従者
芙伽… 榮に霊障し、角を狙った女。黒岩に触れ、反命の大元が乗り移っている
那由…逸彦の母役、育ての親の人格。宿世で何度も母だったが、隠岐の島で逸彦が黒岩を斬って以来生まれ変わっても巡り合わない。鹿のような枝分かれした角があるが、霊眼が開かないと見えない。慈愛の化身。「流刑」に登場
那津…那由の子供として暫く生まれて来ない時に、同じくらいの年齢で生まれた人格。商家の娘那津を嫁ぎ先まで護衛する「護衛」に登場




