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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【決戦】対(つい)

この物語はフィクションです。


実穂高は芦毛の愛馬を小川の側へ連れて行き、水を飲ませた

馬の首筋をさすり、その(たてがみ)を撫でた

馬は気持ち良いのか身震いする


「馬は立ったまま眠ると(まこと)殿に教えて貰った」

声がした。振り向くと逸彦が少し笑って立っていた

「左様。されど本当に心を許すと、横たわって寝るのだ」

「誠か」

顔映(かわ)ゆかろう。我に仔犬のようにもたれ掛かったりもするぞ」


「見るか」

実穂高は足場の確かな平らな地面に馬を誘った。実穂高が馬を撫でると気持ち良さそうに目を瞑る。尚も実穂高が横腹や首を撫で続けると、やがて馬は腹を地面につけて座り、そのうち横向きに倒れた。更にもっと撫でて欲しそうに実穂高を見上げる

「な、愛しかろ」

実穂高が馬の頭に回ると馬はその頭を実穂高の足に擦り付けた。実穂高は屈みこんで馬を愛撫した


馬の愛らしさ自慢をするつもりだったのだが、実穂高が振り返って逸彦を見た時、逸彦は複雑な表情をしている。逸彦は馬に嫉妬していた。それを見ると実穂高は思わず吹き出す

「馬に対抗して如何するのだ。そのような気を発しては馬が怯えるであろう」


実穂高の笑いは暫く止まらなかった

逸彦は顔をしかめて笑う実穂高を見ていたが、やがて己も笑い出した


二人は笑った

「汝も馬のように素直になれれば良いのに」

「然り」


実穂高はあれ、と思って逸彦の顔を見た

「随分と素直な返答だの」

「うむ、我は実穂高の意見はいつも正しいと思う。その時は受け入れなくても結局は己でも同じ答えに辿り着くのだ。だから最初から受け入れても同じだ」


それを聞き、実穂高の心は震えた。馬を撫でる手が止まった

今己は何に反応したのだ?

馬は主人の気が逸れて撫でて貰える時間が過ぎたと察した。勢いよく立ち上がると、身体をふるってから草が少し生えている地面を探し出してそれを食み始めた


実穂高はそれを目だけで見送り、立ち上がって袴の裾についた草を払った

「実穂高…」

実穂高は逸彦の顔に目を移した

「どうやって愛は生まれるのだ。何故人は一人を愛したいと思うのだ」

「どうって…」

何故だろう。とても深い疑問に感じた。実穂高は愛をいつも感じるようにしていたので、出会う人の殆どに愛を感じる事が出来た。だがそのどれもが逸彦に対するものとは違う。この前旅籠で期せず膝枕状態になった時には心の臓が入れ替わっているからだとわかったが、他の者が皆そうな訳は無かろう。

「何故だろうな。鳥も獣も、番う事が普通だの。人もそうという事であろうか、だが」

何故なのだ。子を作る為?そんな単純ではないだろう、愛の目論見は。

「コウは以前我と宿世の水師に言ったのだ」そのままに逸彦は口にした


“愛を愛と見出す者は己の内に愛を持つ故だ

相手に愛される代償に愛するのではない

見返りを求め愛するのでも無い

相手は愛の呼び水だ

愛が起こるは然り逆らう事も留めることもできぬ

己の内の愛を感じることこそ大切なのだ

それが己の内にある事を誇れ

愛がその身体を通じて表される時にはいつも道の只中に居る”


その言葉に実穂高は感動した

「素晴らしいの。何だ。何故我に聞いたのだ。既に答えを知って居るのではないか」

「言葉を知っているのと体験して本当にわかるのは違う」


「実穂高と夕焼けと鳥を見た後にコウにこの言葉を言われた。その時は受け入れず、やり過ごしたが、結局それなのだ」

「何がだ」

「実穂高を見ると我が内に愛を感じるのだ、それは何故なのだ」

驚いて目を丸くする。いや、それは既に告白だが、当人に尋ねる事なのか。いくら何でも愚直過ぎだろう


口をついて出る

(つい)だから…」

答えが降りたらしい

「対?」


実穂高は顔が上気してそれ以上、面と向かうのは困難だった。耐えきれず振り返り水師に助けを求めようとしたが、流石水師、むしろ此方に皆を近づけないようにあれこれ指示していた。水師め。無用な配慮を


「我は母も友も愛するが、それは実穂高に対するのと違うのだろうか」

実穂高は黙った。むしろ逸彦が聞きたいのはそっちなのだ

「実穂高は、誰に対しても愛するが、それは我に対してと違うのか。実穂高は気を鎮めさせようと誰にでも抱きつくか」

「へ?」

実穂高は呆気に取られたが、確かにそうだ。一番最初から己がそうしていたように見えるではないか。他の者にはしていない。誤解されていたのだろうか

「か、考えて見れば、麻呂は、逸彦以外にはそこまで抱きつかぬ。殆どは肩叩く程度だ。一緒に泣きはするが」

「そうか、安心した」


思い返したら、己の無意識の行動に驚愕する。最初から、逸彦を前にすると己が男であるという前提を忘れてしまっていたのだ。それは早々に女だと見破られて当然ではあるまいか

逸彦のその心の一部が凍てつき、固まって居るのを見ると、居ても立っても居られなくなる。その心を抱き締め、我が温もりで溶かせぬか…そういう気持ちが湧き上がって、身体が勝手に動いていた。自覚がなかった。考えたと恥ずかしくて顔から火が出そうだ


「他の者に対するものと我に対する想いは違うのか、その…天鷲とか水師とかと」

「違う」

実穂高は強く即答した

「違うのか。天鷲が想い伝えても」

何だと、そんな事を話したのか。覚えてろ天鷲


逸彦のあまりにも真っ直ぐな問いと、誤解を解かねばという思いで、尋問されて居るような気分で本心を吐く

「他の者には感じない、その…我らの心が元より一つだったような感覚は…それから」

実穂高は顔を赤らめ、続ける

「触れると時が永遠(とわ)のように感じるとか…」

顔が火照って熱くなる

「己を取り繕わずに居られるとか」

耳まで熱くなっている

「離れると喩えようもなく寂しいとか、一人よりも共に居る方が然りと思うとか…」

己の発する言葉そのものが既に恥ずかしい。実穂高はもはやどうしたら良いのかわからなかった。


「わかった」

逸彦は答えた

「我と同じなのだな、聞けて良かった」

その言葉に、実穂高は茫然と逸彦の顔を見詰める

「我は本当には誰も、特に女を愛した事はなかったと気づいたのだ。だから知りたかった。この様な気持ちは初めてなのだ。我は母を愛していたと思っていたし、友も愛していたと思っていたが、どれとも違うと思ったのだ」


そして逸彦は己が胸に手を当てた

「元より心が一つだったと感じるとは、何と的を得た言い方であろう。確かにそのように感じる。表現を思いつかなかったが…それが対という事なのだろうか」

「左様。それが対である」

答えているのは実穂高ではなかった。その奥にある声だ

「世の全ては対を成す。それが(ことわり)


逸彦は笑む。那由や那津と話している時に突然現れる愛の人格だ

「愛か。愛が話しているのだな。まだ聞きたき事ある。孤独により愛を求むるのか」

「いや、元一つたるものが離れて孤独が生まれる」

「愛は相手を傷つけるか」

実穂高の顔で愛は微笑む

「それが誠に愛ならば、誰も傷つかぬ。傷つけたいと願わぬならば」



「わかった。礼を言う」

そして逸彦は微笑んで実穂高の手を取って我が手で包んだ

「永遠を感じるか」

実穂高は胸が熱くなる。眩暈がしてくる

「か、感じる」

もう限界だった。実穂高は腰を抜かしてへなへなとその場にへたり込んだ


「一体どうしたのだ。大丈夫か」

逸彦が助け起こそうとすると実穂高は手を振ってそれを拒む

「大丈夫、大丈夫だ。だから水師を呼んでくれ」


「何故だ、何故我ではなく…」

「ううむ、一体どうしたらわかってくれるのだ。良いから水師を呼べ」


逸彦は水師を呼んだ。水師は腰を抜かした主人(あるじ)を見て驚き、声を立てて笑った

全く、逸彦を前すると師匠は顔映(かわ)ゆらしい事この上ない。これが宮では気を抜かず何者にも屈する事無い師匠と同一なのか

水師が実穂高を横向きに抱き抱えようとすると逸彦の嫉妬と殺気を感じる

「逸彦殿が怖いのですが、此処にもう暫く居られますか」

「いや、駄目だ。離れたところに運んでくれ。逸彦が側に居ては回復せぬ」

「逸彦殿、この様に言われているので運ぶので、承諾して貰えると…」

そこへ察したのか、天鷲と玉記が来た。この二人、どこか隠れて見ていたのでは、と水師は思った。

水師が実穂高を運ぶ間、二人は逸彦をなだめ、天鷲は言った。

「逸彦殿、手を握っただけで腰が砕けるとは、実穂高は相当に逸彦殿を好きなのだ。この件は仕方ないと思って差し上げよ」

おかしい。何故手を握ったと知っているのだ、と逸彦は思った


玉記は腹の奥が笑いで震え、堪えるのに必死だった。その胸中では歓喜と祝福の予兆を感じていた

人物紹介


逸彦…鬼退治を使命とし、鳥に導かれながら旅をする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している。移動は常に、山も崖も谷も直線距離で駆けるか木々を伝って行けば良いと思っている。寝る時は木の上

コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃(やいば)を動かしている。宿世「コウと共に」で登場

実穂高…鬼討伐の責任者。陰陽師。実穂高は実名ではなく通称。孤児で今は亡き賀茂の当主に才を期待されて跡取り候補として引き取られた

水師(みずし)…実穂高の側付きであり弟子。商人の子だったが、元服と同時に実穂高の側付きにと言われて実家から厄介払いされた。目指す相手の居所をわかる特技がある (宿世 和御坊、瑞明「コウと共に」に登場)


玉記…実穂高の京での信頼できる友であり、実穂高と水師の剣術の師。途中から鬼討伐に参加。大柄で長身 (宿世 小野篁「流刑」。水の龍 天河「コウと共に」にて登場)

天鷲(あまわし)…玉記の友人。従妹 (さかえ)の病の事を実穂高に依頼し、途中から玉記と共に鬼討伐に参加 (宿世 源信(みなもとのまこと)「上京」。地の龍 金剛「コウと共に」にて登場)


実穂高が集めた討伐の面々

宮立 父 太方(ふとかた)…亡き妻の口寄せを依頼して実穂高と知り合う。(宿世 宮地家の御当主で那津の義父「護衛」、村長(むらおさ)「桃語る」に登場)

宮立 倅 細方(さざかた)…(宿世 宮地家の息子でご当主、那津の夫「護衛」に登場)

津根鹿(つねか) …妻子出産の祈祷で実穂高と知り合う。出世は訳ありで、誰が父なのかは実穂高だけが霊視で知っている(宿世 宮地家の孫で那津の長男「護衛」の最後に登場)

西渡(さえど)… 剣士。妻の死体が蘇って歩き回ったという件で霊を鎮める祈祷を依頼し、実穂高と知り合う。(宿世 男「桃語る」で登場)

佐織(さおり)の翁…婆の病の相談で実穂高と知り合う。実穂高は彼と接すると笑いがあって愉しいと思うが、逸彦の見立てではいくつもの死線を潜り抜けて来た凄い人物なのに自然体なので表に凄さを見えない人(宿世 翁「桃語る」に登場)


伏見…海沿いの難所を通り抜けるのに困っていたところ通りかかった討伐の一行と合流。自分達の領地周辺の鬼調査をしていたが、以降行動を共にする(宿世 布師見「城」に登場)

木ノ山…伏見に仕える。話しぶりが大袈裟(宿世 木之下「城」に登場)


獅子吼(ししく)…鬼大量発生で壊滅した甲斐国出身の者。久しぶりに帰郷したら里の妻も仲間も全滅していた。鬼をやっつける事しか思い浮かばず、鬼討伐に加わる


(さかえ) …天鷲の従妹で幼馴染み。頭に鹿のように枝分かれした龍角を持つ。霊障による病で角を奪われて亡くなる (宿世 源信の妹、潔姫の生まれ変わり)

巽 左大臣…討伐の依頼主だが乗り気でない。ちなみに巽は本名ではなく通称

新路(しんじ)…巽の従者

芙伽(ふか)… 榮に霊障し、角を狙った女。黒岩に触れ、反命の大元が乗り移っている


那由…逸彦の母役、育ての親の人格。宿世で何度も母だったが、隠岐の島で逸彦が黒岩を斬って以来生まれ変わっても巡り合わない。鹿のような枝分かれした角があるが、霊眼が開かないと見えない。慈愛の化身。「流刑」に登場

那津…那由の子供として暫く生まれて来ない時に、同じくらいの年齢で生まれた人格。商家の娘那津を嫁ぎ先まで護衛する「護衛」に登場

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