【護衛】川原
それは懐かしく淡い思いを抱かせた
「チチン チチン」
大きな滝について一休みしていると鳥が俺の前の石に止まる。今回の導きはこの鳥のようだ。俺は持っていた玄米を数粒目の前に置くと、挨拶した
「今回は汝か。よろしくな相棒」
鳥は米粒を食べ始める
たちまち食べ終わるとチと鳴いて飛び上がり、俺の頭上を丸く円を描いて飛んだ。ついて来いと言っているようだ。俺は立ち上がり鳥を見上げ目で追うと鳥が飛んでいく。この方角は人が多く住む街があるはずだ。俺の足でも二日くらいかかるが。
俺は森の中を駆け抜ける。途中、強く叩きつける荒い雨が降り出した。その日一日中止みそうになく、小さい洞窟で鳥と雨宿りをした
翌日は雲ひとつなく晴れ渡って、川で洗濯する事にした。
着物の上に纏っている二枚の皮を外す。これは刃物による傷を防ぐものだ。大した装備では無いが、役立つ事もある。着物を脱ぎ、川で洗い、濡れた着物を広げ木の枝にかけて干す
ふんどし姿で川に入って鮎を二尾捕まえ、枝に刺して火の側に立てた。皮だけ肩に掛けて手が届くところに腰掛けた
魚が炙られるのを待つ間、美代親子の事を考えた
様々な疑問があった
通常、親が鬼になった事につられて子が鬼になる事はあるかもしれないが、子だけがきっかけ無しに鬼になる事はない。何故あの子は鬼になり、さらに食わずとも何十年と生き永らえたのか
何故死んだ後、子供の姿に戻ったたのか。確かに美代は身体も大人の鬼に成長したと言っていた。考えるうちにもう一つ引っかかっている事を思い当たった。声をかけて来た時、美代は “逸彦殿はあの頃とお変わりありませんね”と言ったのだ。俺は代替わりし、当時と顔も違うし、あの頃は老齢で白髪混じり。年齢も明らかに違う。美代は何を見ていたのだろう。そして子供の鬼と通じ合えたのは、美代が既に亡くなって、生き身ではない故なのか。
あの子を斬ることが解放だと言った美代。全てに取り残される苦しみとは何の事なのだ。
ふいと湧いた考えは、かの者達の時が止まっているのではないか、という事だった。寿命を持たぬ鬼達。既に死者であり霊だけの美代と、飢えても死ぬ事ができぬ、幼心の鬼は、同じ時の狭間にいて、時が流れていない。美代は時間が経った事はわかるが、それがどれ程の時間かはわからない。長男が大人となったのかも知らない。俺を見ても、今の俺を見たのではなく、美代の心象の中の俺を見た。肉体の変化を除けば、俺は確かに俺だ。だから、話すべき事は何ら問題なかったが、美代の目には白髪混じりの、当時の俺が見えていた。
水底から、あぶくが湧いてくるように、その考えは奥からうっすらと自覚に上がってくる
時の狭間にいる寿命の無いかの者達と、生きとし生けるもの、人とその時、寿命。
森も木々も、導く鳥も、獣も、生きて、営んでいる。
ぼんやり思考する中、目の端には倒木と、そこに生える茸があった。
あの木は生きていた。春には芽吹き、花をつけ、秋には紅葉して葉を落とした。その命が終えて、倒れた。木は生きている間、様々な生き物の宿だった。糧であり、恵みであった。木がそこにある事でどれほどの生き物が恩恵を受けていたのか量り知れない
己の宿世の記憶と木はお互い長く生きていた事を語り合える程かも知れない
他の者は死を恐れるが、俺はその先がある事を知っているから少し違うだろう
茸に目が行く。木を生と感じるが茸は生を感じない。木のように、少し背が伸びて傘を開くが、木と同じものとは思えない。他の生き物とも何か違うように感じる。人はあれを不用意に食べない。しかし、鬼が食べているのを見た事はある。あれは何のためにあるのか。朽ちていくものに巣喰い、死を食らうものよ
次のあぶくが、鬼と茸は似ていると俺に教えた
衝撃が走ったような感覚があった
茸にはいのちが無い、鬼にはいのちが無い
だから かのものは時の外にある 狭間にある
いのちは己の道を歩みその生きるべきを生き終わったら死に、また生き廻る
運命に順い時の中を生きるのだ
それはとても美しく、強く、まばゆいばかりの光に思えた
その向こうに、果てしない拡がりがあるように感じた
鬼がいのちの時、運命から外れているという事に照らされ、その尊さが一層浮き彫りにされていた
時の一瞬一瞬が、輝きながら語りかけてくる鐘の響きのように感じた
美代ら母子は時の狭間から解放され、天に召されたのだから、再びいのちの時に戻るのだ
その考えは俺の心を少しだけ軽くした。涙が頬を一筋つたったのを拭う。
まだ疑問は残っているが、静かな喜びを感じている。そのうちわかる事もあろう。俺などにわかる程度なら、美代もとっくに知っていて俺に言っただろう
鮎は食べ頃になっていた。俺は鮎にかぶりついた。布師見殿の魚と漁師の話を思い出した。鮎の命を頂いている有り難みは、鬼には無いのだろう。二尾の鮎はたちまち腹に納まった。美味かった
その時、枝に干していた着物がふわりと飛ばされ落ちた
乾いたという事だ
かけてあるものを取って身に着けて、持って行くものは畳んで荷物にまとめた
俺が準備している気配を察したのか、それとも出立の時を知らせに来たのか、何処かで遊んでいた鳥は飛んで戻って来た
「汝はどこまで知っているんだ」
口の端がつい綻んだ
鳥はわかっているのかわからぬのか、川原をとことこと走り、俺の顔を見上げると、これから行く先に向かって飛び立った。