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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【決戦】薬効

この物語はフィクションです。


水師と天鷲と玉記は角の件を津根鹿に話した

「それでは、天鷲殿の従妹の榮殿の角が取られてあの女が持っていて、それを継ぐのは我と」

「そう言う事になるだろう。津根鹿殿が体調を著しく崩された時は丁度榮が亡くなった頃に当たる」

天鷲に続き、水師が添える

「光が遮られた地域で人々の様子に敏感に反応されたのも、角の力と繋がっていたからであろう。既に契約で少しずつ力が奪われていた。実穂様が行ったのは、角との繋がりを一時的に遮断したのみ。精気を吸われ続け津根鹿殿が憔悴するを避ける為である。その時に我に言うたは、津根鹿殿が再び角との繋がり求むれば外れるように施したと」


その時、水師の目には馬上で異様に落ち込んだ様子の実穂高が目に入った。二度見してしまった。視線を落とし、半ば放心状態で馬をゆっくり歩ませている。一応此方には来たが、こんなに注意散漫に馬から降りては危ない

水師は津根鹿を二人に頼むと、馬上の主人(あるじ)に声を掛けた

「実穂様、実穂様しっかりしてくだされ」

「え?何かおかしいか」


実穂高は答えるが明らかに気もそぞろだ。水師は目の端で逸彦の様子を見る。向こうは実穂高に背を向けて決して此方を振り向こうとしない。何かあったか。逸彦の怒りを鎮めようとしていた筈だが

「まずは水を口に含みませ」

水師は竹の水筒を渡し一口飲ませる

「それで、深呼吸して、ゆっくり降りてくだされ。手を添えます」

実穂高は足が着いた瞬間よろめいたが、かえってそれで己が正気を失っていると気づいたようだった。水師は実穂高をゆっくり座らせた。腰が抜けたように脱力し、虚ろな目をしている

「何があったか尋ねても差し支えありませぬか」

水師の問いに実穂高は黙っていた。その目からほろほろと涙をこぼした


「麻呂が悪かった。怒りから気を逸らさせようとしたが、行いは猿女と変わらなかったようだ」

実穂高は涙を溜めた目で水師をすがるように見上げた。こんなに素のままに無防備で弱々しい主人を見たのは初めてだ。胸が締め付けられた

「のう、どうしよう。麻呂はそんなに…」

その答えを己で続けた

「彼をわかっていなかったのであろうな、思い上がって居った。それがこの結果なのだ、仕方あるまい」

実穂高は両手の袖で顔を覆った。かける言葉を探したが、水師もわからなかった。逸彦の器が大きい故の痛みは、深い。あれに対峙する事ができるのは実穂高しか居なかったし、わかってあげられるのも実穂高しか居なかった


「一つ言えるのは」

言えるなら男としての答えだ

「逸彦殿は実穂様が大好きで、好き過ぎて、傷つけたく無いのです」

「え?」

実穂高は驚き複雑な顔をする。

「逸彦殿は実穂様への想いが強すぎて、止まらなくなったらどうしようと考えているのです」

推測だが、ほぼ間違っていない筈だ。友だから大体の性格はわかる。逸彦は女として実穂高を見ると実穂高を穢してしまうと思っているのだろう。だから、母という事にして誤魔化しているのだ


「もう一つ言えるのは、わざわざあのような事を言う為に猿女が我等の前に姿を現した。それは此方の結束に亀裂を入れたいからでしょう。心をぐらつかせるような事を故意に言った。それというのも」

肝心なのは此処だ

「此方の何かが向こうの計画を乱しているからなのでしょうな」

「上手くいっていないと思っているのだな」

実穂高もわかって来た。そうだ、己が落ち込めば策に嵌る事になる。逸彦も同じだ。彼もこれが向こうの策だとわかっていない訳では無いだろう。後で何とか誤解を解いた方が良い

「逸彦殿との間に何があったにせよ、何か機会を見て話されたら宜しいでしょう。嫌われてはいない筈です」

実穂高は少し安堵したように頷いた


敬愛する師の、一面を見てしまった。本当は今までだって強くあらねばと、己を鼓舞し続けていたのだ。無論知っていたがそうである事は普通で、その心が挫ける事など想像もつかなかった。いつどんな時も前を向き、自ら立てた目標を自らこなして、多少ぼやく事はあれど本当には弱音を吐いた事は無かった。そして常にひたむきに己のすべき事を行うのだ

二人の心が互いに癒されて欲しいと思った。二人が居る時には他者には絶対に解かない緊張が取れ、空気が柔らかくなるのを何度も見た。己が己のままで居られる相手が側に居るのは口に出さずとも心強いだろう。本当はお互いにそう思っている筈だ



「次の野宿場所に移動しよう」

皆が少し休んで、気分が落ち着いた頃、逸彦は言った。芙伽が追って来る気配は無かったが、念の為集落に近づく水場は避けようと思った

皆は先程の嫌な事を忘れたく、口数少なくとぼとぼ歩いた。噂の事など口にする者は誰も居なかった。

ただ、獅子吼(ししく)だけは言った

「な、あの噂本当なのだろうか」

誰も応えなかった。獅子吼もその雰囲気に口をつぐみ、もう話題にしなかった


先頭を行く逸彦に、距離を取って誰も話し掛けなかった。彼が纏う空気はぴりぴりと痛く、誰も寄せ付けたく無いようだった。彼が無自覚に放つその殺気に誰も近づけなかったのだ。それでも一応、皆が着いて来ることが出来る速さで歩む事は心掛けていた。見ては居なかったが、実穂高の様子が気になって仕方無かった。随分と傷ついたように見えた。あまりにも怒りに支配されていたとも分かっているが、今はなかなか己の気持ちを変えられなかった。逸彦が今怒っているのは己自身に対してだった


天鷲と玉記は先程から逸彦の様子がおかしいのは実穂高の事なのだろうと察した。実穂高も明らかに意気消沈して馬に揺られている

天鷲は馬から降りて、その手綱を馬上の玉記に託した。玉記は友が何を企んでいるのかを理解した。この自分の都合で空気をあえて読まずに行動できるのが此奴の良いところでもある


「逸彦殿…」

追いついて隣に並んだ天鷲の声にはっとするが、一応話し掛けて欲しくないという意思表示に顔を背ける。しかしながら、宿世の(まこと)がそうであったように、天鷲も無神経を装って心に踏み込んで来る男だ

「これは如何だ、逸彦殿」

茶色い木の皮の屑のようなものを差し出した。逸彦はそれを手に取り鼻先で香りを確かめた

「何だ此れは…肉桂か」

「口に含むと良い。飲み下さずとも香りで気分が変われば」

逸彦はそれを口に入れた。甘い香りと刺激が広がって、確かに気は紛れるかも知れない


天鷲は己の口にも肉桂を入れながら言った

「汝が気にしているのは噂の事ではあらぬな」

逸彦はつい天鷲の方を見た

だがそのまま再び足元に視線を落とした。天鷲の声に少し安堵している己がいた。だが、何と言えば良いのかわからない


「実穂高と何ぞあった」

逸彦は無言だった

「蹴鞠の時言うたが、実穂高は逸彦殿を想うておる」

その言葉を聞いて逸彦は胸が一杯になる。だがそれがどういう意味なのかを己でもわからなかった。混乱するのだ

「だから、何だ。我にどうせよと」


「女の経験が無い訳なかろう」

逸彦は暫し黙っていたが言った

「女と思えぬ。実穂高も女と見られたいなど思って居らぬだろう」

「何故そう思う」

天鷲の問いに答えた

「褒美にあてがわれた女や居酒屋や茶屋で出会うた女と違う」

それは今までの出会いが悪過ぎるな。それと母であり愛そのものである那由。両極しか知らぬのか。天鷲も黙った。


「猿女のような女とは違うのだ…」

逸彦は己に言うように独り言を言った

天鷲は思った。女全般を憎んでいるのか。もしや、愛を憎んでいるのか…腑に落ちた。


「ふむ、だがそれでは麻呂が浮かばれぬ」

逸彦は今の話の何が天鷲に関わりあるのか全くわからず、思わず天鷲の顔を見た

「実穂高を好いて居る麻呂の前で、実穂高は逸彦への想いに悩んで居ったぞ。こんなにあからさまに麻呂に失恋させて、酷いの、逸彦殿」

逸彦は赤面した。

「天鷲殿が気持ち言うても実穂高は聞かぬというのか」

「ああ、甘い言葉言うても全然効かぬな。もう麻呂には勝ち目あらぬと思うたから、蹴鞠仕掛けたのだ」

逸彦は思わず口元を緩ませた。天鷲は手応えを感じた。己の恥だが、こう言うのを黙っているのも友として如何なものだろう

「実穂高に、汝は孤高であろうと言い、その側に居たいと言うたのだ」

その言葉は逸彦の心にも刺さった。思わず、天鷲を見る目が潤んだ

「逸彦殿は気づいて居らぬのか。実穂高がどれ程の孤独を抱えて居るのかを」

気づいて居なかった。討伐に集まった面々は皆実穂高を慕って居た。だから己とは違い、実穂高は皆に愛されて満たされているのだろうと思っていた。見ていなかった。あんなに実穂高ばかり見ていたのに、あんなにいつも己の心に寄り添ってくれているのに、その気持ちに甘えて己の事ばかりで、実穂高の気持ちなどわかっていなかった


「そこまで言って、やっと実穂高は麻呂の前で泣いてくれたが、男としての麻呂は受け入れてくれなかったぞ。態度で汝は友でしかあらぬと釘を刺されたようだった。な、麻呂にそんな思いをさせたのは逸彦の所為であろう」

逸彦はまた釣られて笑むが、何となく言いたいことはわかった。


「こんなに周りに人が居ても孤独なのか…」

「実穂高は器大きい故、他者に頼らぬ。頼りにできるのは逸彦殿しか居らぬ。今実穂高の心を支えて居るのは汝しか居らぬのだろう」

「だが…天鷲殿に霊視などの助言求めるし、水師だって…」

天鷲は溜息をついて言った

「それとこれは違うだろう。理屈ではあらぬのだ。心が惹かれる相手というのは。実穂高はいつも汝を見ている。感じぬ訳あるまい」


実穂高は己に女として愛されたいのか?一瞬思ったが、どうしてもその考えに抵抗があった。

そんな事を受け入れたら、己はどこまでも実穂高を傷つけてしまいそうで怖かった。今まで見ないようにしている愛への執着が止まらなくなりそうで、蓋を開けるのが怖かった。本当のところ誰も愛した事は無かった。この己に実穂高を愛する資格があるとも思えなかった

それに今まで出会った女が己の孤独と寂しさにつけ込んで来たのを思うと、己は実穂高に絶対にそんな事をしたく無かったし、実穂高にもさせたくなかった

逸彦はつい口に含んだ肉桂を強く噛んだ。すると甘みを超えて酷く辛い刺激が広がった


逸彦はぽつりと言った

「だが、我など値せぬ…」

天鷲にもそれ以上は言えなかった。この先は天鷲の手には追えない。逸彦の経験と背負うものの大きさには、太刀打ちできないのだ

「あとは己で考えてみよ」

逸彦は黙っていたが、少し視界は広くなった

愛を憎むのなら、それは愛を諦めていないという事だと思うぞ、と天鷲は声には出さなかったが心の中で呟いた


後ろから見ていてもわかるくらいに逸彦の発する空気は穏やかになってきた。やるな、天鷲。玉記は天鷲の馬を引きながら思う


人物紹介


逸彦…鬼退治を使命とし、鳥に導かれながら旅をする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している。移動は常に、山も崖も谷も直線距離で駆けるか木々を伝って行けば良いと思っている。寝る時は木の上

コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃(やいば)を動かしている。宿世「コウと共に」で登場

実穂高…鬼討伐の責任者。陰陽師。実穂高は実名ではなく通称。孤児で今は亡き賀茂の当主に才を期待されて跡取り候補として引き取られた

水師(みずし)…実穂高の側付きであり弟子。商人の子だったが、元服と同時に実穂高の側付きにと言われて実家から厄介払いされた。目指す相手の居所をわかる特技がある (宿世 和御坊、瑞明「コウと共に」に登場)


玉記…実穂高の京での信頼できる友であり、実穂高と水師の剣術の師。途中から鬼討伐に参加。大柄で長身 (宿世 小野篁「流刑」。水の龍 天河「コウと共に」にて登場)

天鷲(あまわし)…玉記の友人。従妹 (さかえ)の病の事を実穂高に依頼し、途中から玉記と共に鬼討伐に参加 (宿世 源信(みなもとのまこと)「上京」。地の龍 金剛「コウと共に」にて登場)


実穂高が集めた討伐の面々

宮立 父 太方(ふとかた)…亡き妻の口寄せを依頼して実穂高と知り合う。(宿世 宮地家の御当主で那津の義父「護衛」、村長(むらおさ)「桃語る」に登場)

宮立 倅 細方(さざかた)…(宿世 宮地家の息子でご当主、那津の夫「護衛」に登場)

津根鹿(つねか) …妻子出産の祈祷で実穂高と知り合う。出世は訳ありで、誰が父なのかは実穂高だけが霊視で知っている(宿世 宮地家の孫で那津の長男「護衛」の最後に登場)

西渡(さえど)… 剣士。妻の死体が蘇って歩き回ったという件で霊を鎮める祈祷を依頼し、実穂高と知り合う。(宿世 男「桃語る」で登場)

佐織(さおり)の翁…婆の病の相談で実穂高と知り合う。実穂高は彼と接すると笑いがあって愉しいと思うが、逸彦の見立てではいくつもの死線を潜り抜けて来た凄い人物なのに自然体なので表に凄さを見えない人(宿世 翁「桃語る」に登場)


伏見…海沿いの難所を通り抜けるのに困っていたところ通りかかった討伐の一行と合流。自分達の領地周辺の鬼調査をしていたが、以降行動を共にする(宿世 布師見「城」に登場)

木ノ山…伏見に仕える。話しぶりが大袈裟(宿世 木之下「城」に登場)


獅子吼(ししく)…鬼大量発生で壊滅した甲斐国出身の者。久しぶりに帰郷したら里の妻も仲間も全滅していた。鬼をやっつける事しか思い浮かばず、鬼討伐に加わる


(さかえ) …天鷲の従妹で幼馴染み。頭に鹿のように枝分かれした龍角を持つ。霊障による病で角を奪われて亡くなる (宿世 源信の妹、潔姫の生まれ変わり)

巽 左大臣…討伐の依頼主だが乗り気でない。ちなみに巽は本名ではなく通称

新路(しんじ)…巽の従者

芙伽(ふか)… 榮に霊障し、角を狙った女。黒岩に触れ、反命の大元が乗り移っている


那由…逸彦の母役、育ての親の人格。宿世で何度も母だったが、隠岐の島で逸彦が黒岩を斬って以来生まれ変わっても巡り合わない。鹿のような枝分かれした角があるが、霊眼が開かないと見えない。慈愛の化身。「流刑」に登場

那津…那由の子供として暫く生まれて来ない時に、同じくらいの年齢で生まれた人格。商家の娘那津を嫁ぎ先まで護衛する「護衛」に登場

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