【決戦】始まりの儀
この物語はフィクションです。
始まりの儀
鬼討伐の皆が集まる部屋に、逸彦と水師と実穂高が入って来た
実穂高と水師は皆の上座に、逸彦は他の皆と共に並んで座った
水師は準備して持って来た香を焚いた。これは乾燥させた蓮の花と葉で作った香だ。意識の内側に入るにはこれが良かろうと実穂高が選んだ
微かに香が漂う
皆は何かこれから重要な事があるのだと感じ、口を閉じた
実穂高は言った
「これから我等が戦いに臨むにあたり、やって置かねばならぬ事がある。鬼と対峙した折に我が身が鬼化するのを防ぐ事だ」
皆は一様頷いた。誰もが、数や力とは違うその可能性を恐れていた。もし生き残ったとしても、己が鬼になっては元も子もない。
「宮立の細方と太方、昨日麻呂に話した事をもう一度頼む」
二人は頷き、鬼の大群と遭遇した時の事を話した
「鬼を斬る時に、心に重い気持ちと罪悪感が起こる。怨念かのように引き摺り込もうとされるに抗う心強さを持たねばなるまいと思った」
細方に続き太方は言った
「鬼と戦うと見えて己が心中の鬼と戦わねばならんと思った」
実穂高は言う
「逸彦殿にも改めて窺う。何が鬼化するきっかけとなるのだ」
逸彦は答えた。
「鬼の元は命の時から離れようとする意思だ。我が運命受け入れ、人が人たるを捨て、死から逃れようとする意思だ。人が鬼化する時、心の周りに翳が取り付き、愛が命へと注ぐ光を遮る。光が完全に途絶えると身体が鬼となるのだ」
「それは茸や黴と似たようなものだ」
続けて天鷲が言った。実穂高は頷いて言う
「麻呂の霊視でも、それは微細な生き物とも呼べぬ生き物と出た。命が命である事を放棄し、不死への執着の怨念とでも言うべきか。命あるものに取り憑き、寄生する。それは心を通じて伝染するのだ」
実穂高は立ち上がった
「麻呂は皆を守りたいが、もしや麻呂に何かあった時の為に、皆に麻呂がやっていた方法を噛み砕いてできるようにしてみた」
何を言っているのだ。自分に何かあった時の為など。逸彦は思ったがここでは言うべきでは無いとわかっていた。実穂高の思いは堰を切ったように流れ言葉を継いだ
「麻呂の声掛けで依頼受けられた者、感謝して居る。だが実のところ皆を守りきれるのか絶対の保証はあらぬ。もし此れより他に大事なものあるならば、立ち去っても構わぬのだ。汝らが負うべき責務では無い。麻呂は汝らを一人であろうと死なせたくあらぬ。欠ける事なく終えたいのだ。如何であるか」
実穂高は皆の顔を見回した。その目は滲む涙に濡れていた
「伏見殿、木ノ山殿よ。汝らはそもそも連れ合ったのみで、討伐に参加する義務はあらぬのだ。郷里に帰っても誰も責めたりはせぬ」
「確かに我らに義務はない。だが我らにも守るべきものはある。鬼を退治しそれが守られるのなら、我は共にそうする。水臭いではないか、実穂高殿。我は出会えた事をありがたいと思っているのだ。誰かと一緒にいてこれほど心地よいと感じた事は今までにない。来いと言って欲しいくらいだ。我は喜んで、己の意志で参加するぞ」
伏見は笑う
「我も然り。参加する」
木ノ山も同意した
「玉記殿、天鷲殿、汝らが申し出により討伐参加されて厚く御礼致すが、最初に申した通り、此れは汝らの身に危険及ぶかも知れぬ。それでもやはり参加して頂けるか」
「麻呂にも関わりある件、見届けたき所存」
天鷲が答え、玉記も言った
「己も無関係ではあらぬ。宿意遂げたし」
「他の者も、良いのか。妻や子の元へ帰らずとも。身すがらの麻呂への恩義など、立てても公には報われぬぞ」
皆頷いた。
佐織の翁、津根鹿、西渡、宮立父子も、口々に参加の意志を表明した
そして逸彦を真っ直ぐに見て言った
「逸彦殿、麻呂は我が汝の足手纏いにならぬとも限らぬ思うて居る。それでも共に戦っても良いか」
逸彦ははっとした。どんな精鋭を集めたとしても、逸彦無しに鬼討伐は成り立たない。実穂高は最初から、如何に頼っているのかをわかっていて、己に接してくれていたのだった。鬼退治は、そもそも逸彦の命である。それに巻き込んで居るのは己の方では無いのか。だが実穂高無しに、宿世のあの女の因縁も分からなかった。これらは全て必要な事で、単なる依頼とかでは無い。それも含めた神と愛の巡り逢わせだったのだろう
逸彦も立ち上がった
「我の方こそ、皆が居なくては此処まで分からなかった。此処まで来る事は出来なかった。我は汝ら無しに居られなかった。今まで一人で戦っていた中で、全てを一人で成さねばならぬといつの間にか思うてた。されど皆が居る事で我は一人ではない事を悟った。我もそこに連なる」
コウはその言葉を聞いて、逸彦の中にある一つの封印を解いた
あらがえし
そのみけいなるもの
いそふかし
ここにふかなるともしびをひらきて
とうかそんしゃくをみちびく
そ
(意味:まだ見えぬものが(命や愛に)争う業はとても深い。ここに完全なるひを現し、尊きものへほどき導く 素)
逸彦は鐘が鳴るような響きを聴いた。今聴こえたものの深い意味を感じたが、うまく自覚できなかった。
ただ、逸彦は己の中で何かが開いたのを感じた。
もう一つ、言うべき事があった
「我は皆に、代々の逸彦の口伝による記憶と言うことにしていたが、全部己自身の記憶である。我は宿世を覚えていて、生まれ変わり続けて居る。此処に居る皆は全員、宿世でもお世話になり、何らかの恩を受けた方々だ。此処に一同おられる縁をただの偶然とは思わぬ。誠に奇しき神の計らいだ。今まで本当の事を言わず申し訳無かった」
「悪う思う事はあらぬだろう」
「良いって事よ」
「辛かったのう」
「逸彦殿と会えた事が我が誇りです」
「全て善しだ」
「酒一杯驕れば良いぞ」
最後に付け加えたのは佐織の翁だ。皆はどっと笑った
逸彦と実穂高は共に立ったまま視線を合わせた。其々に、我が道と思うものへと身を捧げる覚悟があった。それを己の意思で選ぶ余地など考えた事も無い。だが此処では二人の道は交わり一つとなっていた。そしてそれに共鳴する他の皆も同様で、それが彼らの道だから此処に居るのだとわかった
彼らは全員、己の為にこの討伐に参加していた。一様に頷いた
「わかった。では皆、目を閉じ思い出してくれ。己が人生で最も愛を感じた時を。それは愛しい人、妻子、親、或いは心染みる景色見た時の事でも構わぬ」
津根鹿は妻と幼い子を想った
佐織の翁は妻を、木ノ山は主人である伏見と妻を、伏見は妻と二人の子を
宮立の太方は今は亡き妻と倅を、倅の細方は敬愛する父と母を想った
天鷲は実穂高と逸彦を想い、その間に流れる絆を想った。同時に亡き榮を思い出し、涙を滲ませた。最期を看取る事が出来た幸いを想った
玉記は逸彦を考えた。己でもあれ、と思ったが、篁の時ギョクを先楽しみな我が子のように思っていた事を思い出した。逸彦を見守って幸せを見届けたいという願いを持っていたと気づき苦笑した
水師は実穂高と逸彦を愛していた。それは師であり、鏡であり、我が道標であった。この二人の命と愛の為ならば、全てを捧げようと思っていた。我が身を愛が愛である事の為に仕える事ができた人生を嬉しく思っていた
「麻呂の言う文言をそのまま復唱してくれ」
実穂高は先に作った文言を唱えた
「この愛に導かれ、我が愛と繫がる」
皆も続けて唱えた
「愛は我が命を照らし、その役を全うせしめん」
それを宣った後、皆は内側に安心できる土台が築かれ、身体の軸のようなものが、強くしっかり立っているような感覚になった。
「愛の光で我が心を照らし続ける事が重要なのだな」
太方は言った
皆は感じ方の深さはまちまちながら、そこにいる者との一体感を感じた
今此処では恐れは去り、絆だけがあった
人物紹介、決戦
逸彦…鬼退治を使命とし、鳥に導かれながら旅をする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している。移動は常に、山も崖も谷も直線距離で駆けるか木々を伝って行けば良いと思っている。寝る時は木の上
コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃を動かしている。宿世「コウと共に」で登場
実穂高…鬼討伐の責任者。陰陽師。実穂高は実名ではなく通称
水師…実穂高の側付きであり弟子。目指す相手の居所をわかる特技がある (宿世 和御坊、瑞明「コウと共に」に登場)
玉記…実穂高の京での信頼できる友であり、実穂高と水師の剣術の師 (宿世 小野篁「流刑」。水の龍 天河「コウと共に」にて登場)
天鷲…玉記の友人。従妹 榮の病の事を実穂高に依頼する (宿世 源信「上京」。地の龍 金剛「コウと共に」にて登場)
実穂高が集めた討伐の面々
宮立 父 太方…亡き妻の口寄せを依頼して実穂高と知り合う。(宿世 宮地家の御当主で那津の義父「護衛」、村長「桃語る」に登場)
宮立 倅 細方…(宿世 宮地家の息子でご当主、那津の夫「護衛」に登場)
津根鹿 …妻子出産の祈祷で実穂高と知り合う(宿世 宮地家の孫で那津の長男「護衛」の最後に登場)
西渡… 妻の死体が蘇って歩き回ったという件で霊を鎮める祈祷を依頼し、実穂高と知り合う(宿世 男「桃語る」で登場)
佐織の翁…婆の病の相談で実穂高と知り合う (宿世 翁「桃語る」に登場)
伏見…親不知子不知の海沿いの難所を通り抜けるのに困っていたところ通りかかった討伐の一行と合流。自分達の領地周辺の鬼調査をしていたが、以降行動を共にする(宿世 布師見「城」に登場)
木ノ山…伏見に仕える。話しぶりが大袈裟(宿世 木之下「城」に登場)
榮 …天鷲の従妹で幼馴染み。頭に鹿のように枝分かれした龍角を持つ。霊障による病で亡くなる (宿世 源信の妹、潔姫の生まれ変わり)
巽 右大臣…討伐の依頼主だが乗り気でない。ちなみに巽は本名ではなく通称
新路…巽の従者
芙伽… 榮に霊障し、角を狙った女。