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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【決戦】碧落

この物語はフィクションです。




京で榮が亡くなったと同じ頃、津根鹿(つねか)の様子に変化があった。それまで普通に歩いていたのに、突然しゃがみこんだ


「どうしたのだ、津根鹿殿」

隣を歩いていた細方が言う

「いや、何やら眩暈が…大丈夫と思う」

木に掴まり立ち上がろうとするが、足元が振らつく。一行は近くに流れる小川で少し休む事にした


津根鹿を支えながら、川原に着き、荷袋を枕に敷いて横たえる。日も高くなろうとして居るし、食事を摂る事にした

皆が準備するのを横目で見ながら、津根鹿はすまなさそうな顔をする。その顔がいじらしく愛らしいと思う。同じ愛らしいと思っても、実穂高に対するのとは全く違う、と逸彦は苦笑いをする。また会えたならば、もう少し素直に、自然に実穂高に接したい。愛には喜びが伴う。それは悪い事ではない筈だ。実穂高が男でも女でも、敬愛する気持ちは変わらない。ただ、己がその方向を間違えなければ良いだけだ。今まで通り、男と思って接しようと逸彦は己に言い聞かせた。コウは、そんな事できる筈ないと思うが黙っていた


「津根鹿殿、少し眠られると良い」

逸彦は津根鹿に、少しだけでも眠るように勧めた。


津根鹿は自分だけ休むことに渋ったがそのうちに寝息が聴こえて来た。その穏やかな波のような調子を聞きながら、大切な者が会えなくても生きているという事は己に力を与えると感じた。己には家族が居ないが、他の者は違う。今己が感じているような事は他の誰もがきっと感じた事があるのだろう。


また兎と雷鳥を獲って戻って来たのは宮立父子と伏見、木ノ山だ

太方は慣れた手つきで兎を捌き、沸いた鍋にそれを加えた。逸彦は太方を尊敬していた。宿世で我が身を賭して家族を守り抜き、己が鬼化して、逸彦がその手で斬った。彼自身が己を斬ってくれと頼んだ。

ふと思った。彼と会ったのはその時だけだったのだろうか。前にもそんな事があったような気がした。


考え込んでいる逸彦を見て、太方は言う

「どうされた。逸彦殿」

この人の、無骨な中に見える体験の深さから来る思いやりが好きだ。豪快に笑い、酒を呑み、楽しむべきは楽しもうとする。その様子を見ると生きる事をとことんやり尽くそうとする姿勢が伺い知れて、頭が下がる。

「我には家族も居らぬ。身すがらだ。されど皆には妻が居ったり子が居ったりするのだろう。どのような気持ちで離れてるのだろうと思った。我は津根鹿を弟のように感じる故」

太方は笑った。一応、寝ている津根鹿を起こさないように音量を潜めたつもりだったのだろうが、その声は充分に大きい。

「己の妻は四年前に亡くなった。その際に実穂高様には世話になった。己は外を出歩くのが好きで、他にも女が居った。己は殆ど家には居らず好きなように生きた。やりたき事は全部して、やりたくない事はしなかった。妻が病と知った時には手遅れで、あっけなく逝ってしまったが、失って妻の存在がいかに大きかったかわかった。己の心を占めていたものが無くなって、あれが居たから好きな事を安心してできたと悟った。もう遅いと思った己を実穂高様は、後悔よりも己をより良く幸せを生きる事が真の供養だと諭した。そして亡くなった妻の霊と通じて、妻の思いを己に伝えた」

逸彦は聞き入った

「妻の霊は離れていても己を愛していたから、愛する喜びを充分に味わった。それ故人生をやり遂げ悔いは無い。己が好きなように生きる姿が好きで一緒になったのだから、変わらずそうしてくれ、と言ったと言うのだ」

離れている寂しさを超えても、相手を手放す事のできる強さとは何であろう。逸彦は母であった那由を思った。那由もそういう気持ちだったのだろうか

「己は身勝手だが、倅も己を慕ってくれた。それは妻が倅の前では己を悪く言う事が一度も無かったからだ。倅にも尋ねたが、己の生き方を尊敬していると答えた」


「だから己は、妻の思いに報いる為にも、己がこうだと思った事は損得抜きでやろうと思うた。(おん)討伐もそうだ」

いつの間にか、当の倅の細方(さざかた)も側に居た

「あん時は父も泣いて居ったのう。父が泣くのを初めて見申した」

それを聞いて太方は声を挙げて笑った

その場の空気を一切変えてしまうような笑い声だ。この方ならば何があっても良かった事に変えてしまうだろう。身体の動きから見え隠れする隙の無い様子。本人は好きな事をして来たと言うが、実際遊んでいた訳では無い。相当に武術にも努力をして来たのだろう。かなり苦労はしている筈だ。だがそれを片鱗も見せない。苦しみも含めて、受け入れ、喜びに変えてしまう強さ。それがこの宮立の太方なる御仁の魅力となっている。倅の細方も、それを充分にわかって、父を尊敬し、継いでいる


「我も津根鹿を弟のように思うぞ」

細方は言う

それはそうだろう。宿世で息子だったのだ。此処に宮立の親子三代が揃っている。


あの時那津の役目はこの三人の側で、あの地で何かをする事だったのだろう。あの地に那津に言われて植えた山由理は毎年白い花を咲かせた。あの後数回訪ねた。今思えば、あの時山由理の根を食べずに植えさせたのは、逸彦を思う那津の気持ちだった。毎年白い花を見て、那津は遠くの逸彦を思い、その身を気遣って居たのだろう。


那由は母として衣食住を整える事は勿論だが、己が尋ねた事には全て何らか答えてくれた。傷ついた時には泣き終わるまで側に居て、己の身体を大切にするように諭し、好きな事を好きなだけさせてくれた。那由と那津は少しずつ性格も立場も違うが、最大限に愛してくれた。己が己であることをそのままにさせてくれた

同じく愛なのに、那由とも那津とも、寂しいが離れている事も出来た。だが実穂高と離れて居ると、何故こうも寂しく、己が不完全な感じがするのだろう


津根鹿が目を覚ます

「休めたか」

声をかけると身を起こす。大量の(おん)に出会った心労だろうか。それとも岩室に籠って無理をして居たのだろうか。先程よりは顔色が良いが、疲れだけとも見えない

皆は相談して、今日は無理な移動を避け、なるべく早く旅籠に行くと決めた

逸彦は何か胸騒ぎがした。津根鹿の様子がただの疲労には見えなかった。コウに尋ねる


“京で起こった事と連動している

見えにくくなる

充分気をつけろ”


何が起こっているのだろう。だがコウはそれ以上答えない。


皆は食事を食べ終わると、荷を纏めた


一行は歩き始めたが、盆地内に入ると道や空き地、家々の周囲には(おん)の亡骸が多数あった。逸彦が討伐した鬼達だが、その死臭が凄まじくまたその亡骸を啄む鳥や狼のような動物があちこちにいた。甲斐国のこの盆地全体が鬼化した事で討伐された鬼の数を考えれば、こうなることも納得できた。

「凄まじき匂いだな」

木ノ山は顔を顰めて鼻をつまむ

「逸彦殿が討伐しなければ、我ら全員こちら側だ。討伐しなければ(おん)同士の食い合いになっていた。それを思えば斬られて死ねたことの方が幸せだろう」

伏見が答える。木ノ山は己なら喰われていたに違いないと思い肝を冷やした

「此処は早く抜けた方が良いだろう。津根鹿殿を早く休ませたいが、此処では休まる何処ではあるまい」

「然り。少し先を急いで精進海の旅籠で休もうぞ」

西渡(さえど)と佐織の翁が話し、皆同意する。それでも津根鹿の事を思い数回の小休止を挟み、右左口(うばくち)宿を目指す。休憩をしても津根鹿が回復しないとわかり、皆は交代で津根鹿を背負う。だが何故か津根鹿を背負うと逸彦を除く他の皆も異様に疲労する。結局、逸彦がずっと背負うことになった。


右左口宿から峠に入り精進海へ出ると一番近い旅籠に入り休む。此処に被害は及んでいない様子だが、このところ客足が異様に減った事と、(おん)発生の噂は聞いていた。それでその方向から来た一行を番頭は不思議そうな目で見た

「甲斐国を通られたのですか。彼方はどうだったのです」

「壊滅状態だった。伝説の鬼退治の逸彦殿が現れ、皆退治してくれて、どうにか抜ける事が出来たのだ。もう鬼は残って居らぬようだ」

伏見が答えた。本当の事だが、この一行が関わるとは口にしなかった

「それはそれは。本当に居られるのですね、伝説のその御方は」

番頭は少し安堵したようだ


大部屋と次の間がある部屋を選んだ。次の間に津根鹿を寝かせ、一人分は台所に粥を作って貰う。津根鹿の事もあり、皆静かに食事を摂り休んだ。逸彦は津根鹿の様子を見ていたが、安らかな寝息を立て始めるのを聞き床を離れた。白湯を飲もうと思い玄関の囲炉裏へ行くと伏見が一人座っていた。上がり口が広く取ってあり、此処で休んだり待ち合わせたり出来る仕様だ。番頭も集計が済んで休むようで、此方に会釈して奥へ引っ込んだ


「如何した伏見殿」

逸彦は伏見の隣に座る

「何、少し故郷の事を思っていたのだ」


伏見は木曽の山奥で育った。その地を納める田堵(たと)の家に三男として育った。田堵の長は長男が継ぐと周囲は思っていたが、父が指名したのは三男である伏見だった

「兄者達から疎まれてな。お前が長になれる筈がないと」

伏見は笑う

「木曽は貧困だ。水田も畑も作れる場所が少ない。作物も育ちにくい。故に我は樵になって木を切っては越中の寺や神社に売りつけた」

木曽の檜は立派で長持ちすると宣伝して歩いた。材木は宮川、神通川を降って、越中市内に卸した

「大金を使って立派な衣を仕立ててな。それを着て寺や神社に行っては木曽の檜を知らぬとは何と勿体なきことか、この寺、神社の格には木曽の檜が相応しいと言って歩いた。すると相手は立派な身なりの者が言うからには真に違いないと勝手に思い込む。何、嘘は言って居らぬ。木曽の檜は確かに立派だからな。だから価格も三倍で売った」

「三倍!」

逸彦は驚く

「嫌なら買わなければ良い。だがある神社がこの木を使って造営すると、我も我もと使い始めてな。すると価格が三倍でも売れに売れた」

逸彦には訳がわからないが、伏見が凄い事だけはわかった


「この金で食い物を買うことが出来たし、冬に餓死も出なくなった。皆喜んでな。兄達からも疎まれなくなった」

「だがいつ頃からか山に(おん)が出るようになった。数は少ないが、このままでは木が切れなくなるやもしれん。そこで留守を父に任せ我と木の山は鬼を調べに歩いたのだ」

逸彦は伏見が何故鬼を調べていたのか理由を知った

「我には良くわからんが、伏見殿はすごいな」

伏見は声をあげて笑う

「実は妻の入れ知恵なのだ。服を仕立てたのも越中で売る事も。我は言われた通りにしただけだ」


逸彦は伏見の目の奥に優しく妻を思う感情を見た気がした。伏見は妻を愛しているのだろう。宿世で領主であり、その妻の与祢との関係に似ているなと思った

「子はいるのか」

「おるぞ。男の子が二人」

伏見は子供の話をする。逸彦は話を聴きながら、宿世の布師見がくれた刀を思い出した。本来は元服した息子に渡されるはずだった刀。それを譲られた。あの刀を持つ事で刀を抜いても意識を失わないようになり、古い刀を鍛冶屋に渡して代わりに鍋を貰い、物の役を知ることが出来た


「逸彦殿は己の為した事をもっと誇って良いと思うぞ。汝がされる事を此処にいる誰もが認めている。我は己の感じた事しか確かだとは思わんが、その感じた事を持ってして汝は凄い。我は尊敬する」

宿世と同じような事を言われている。逸彦は何と答えて良いかわからず困惑する


「そうかと思えば良い。我の思いが正しいかどうかではなく、我がそう思っている事をままに受け取ってくれ」

「そうか。有り難く頂戴する」

「硬いの」

伏見は笑った。明日も早いし寝ようとなって二人は床についた

逸彦が眠りにつくと、コウが舞を始めるのを見た。コウを声だけではなく姿があるかのように見るのは随分と久し振りだと思った


“我 弓太刀は破にあらず(こう)なりて

命の水流(みずる)()に間に間に

起想(きそ)やずるは遥か遠く

(おん)御霊に奉ずや”



(意味:我の弓や太刀は壊すものではなく光となってその命の水は山々とその谷間に流れる。思い起こすは遥か遠く(いにしえから)、この事(物語)を御霊に捧げよう。(起想は木曽と掛けてある))


意識はいつしか高いところから見下ろす視点になり、やがて霧散し、身体は眠りに包まれた

命がコウに鍵を渡すと、コウは封印を解いた。出てきたものは風の扇だった



翌朝、一行は精進海を越え駿河国富士郡へと向かった。

津根鹿の体調は良くなる気配もないが悪化する気配もないので、そのまま逸彦が担ぎながら先を急ぐ事になった。津根鹿は意識が途切れ途切れで、眠っては起きまた直ぐに眠るを繰り返していた。皆はそれでも粥や白湯を最低限口にさせる事を心掛け、身体の憔悴を防ぐ以外は無かった


津根鹿を背負うと己も疲労する感覚に、皆は戸惑っていた。木ノ山は鬼化しているのではあるまいか、と伏見に漏らした。伏見はそれは実穂高か逸彦以外にわからん事だと言い、逸彦が何も言わないのであれば、単に体調が悪いだけだろうと言った。周りのものはその会話を聞いていた。誰もが大なり小なり同じようなことを考えていたが、伏見の話を聞いて逸彦が我らに隠し事はしないと思い、納得した


逸彦は富士郡の旅籠で風呂が良い所を探そうと思った。津根鹿が湯の効能で少しでも体調が戻ればいいがと思い、露店の店主に風呂の良い旅籠を尋ね、そこを目指した


碧落:遠い空の向こう、遥か遠方のこと


人物紹介、決戦


逸彦…鬼退治を使命とし、鳥に導かれながら旅をする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している。移動は常に、山も崖も谷も直線距離で駆けるか木々を伝って行けば良いと思っている。寝る時は木の上

コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃(やいば)を動かしている。宿世「コウと共に」で登場

実穂高…鬼討伐の責任者。陰陽師。実穂高は実名ではなく通称

水師(みずし)…実穂高の側付きであり弟子。目指す相手の居所をわかる特技がある (宿世 和御坊、瑞明「コウと共に」に登場)


玉記…実穂高の京での信頼できる友であり、実穂高と水師の剣術の師 (宿世 小野篁「流刑」。水の龍 天河「コウと共に」にて登場)

天鷲(あまわし)…玉記の友人。従妹 (さかえ)の病の事を実穂高に依頼する (宿世 源信(みなもとのまこと)「上京」。地の龍 金剛「コウと共に」にて登場)


実穂高が集めた討伐の面々

宮立 父 太方(ふとかた)…亡き妻の口寄せを依頼して実穂高と知り合う。(宿世 宮地家の御当主で那津の義父「護衛」、村長(むらおさ)「桃語る」に登場)

宮立 倅 細方(さざかた)…(宿世 宮地家の息子でご当主、那津の夫「護衛」に登場)

津根鹿(つねか) …妻子出産の祈祷で実穂高と知り合う(宿世 宮地家の孫で那津の長男「護衛」の最後に登場)

西渡(さえど)… 妻の死体が蘇って歩き回ったという件で霊を鎮める祈祷を依頼し、実穂高と知り合う(宿世 男「桃語る」で登場)

佐織の(さおり)…婆の病の相談で実穂高と知り合う (宿世 翁「桃語る」に登場)


伏見…親不知子不知の海沿いの難所を通り抜けるのに困っていたところ通りかかった討伐の一行と合流。自分達の領地周辺の鬼調査をしていたが、以降行動を共にする(宿世 布師見「城」に登場)

木ノ山…伏見に仕える。話しぶりが大袈裟(宿世 木之下「城」に登場)


(さかえ) …天鷲の従妹で幼馴染み。頭に鹿のように枝分かれした龍角を持つ。霊障による病で亡くなる (宿世 源信の妹、潔姫の生まれ変わり)

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