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忘鬼の謂れ〜鬼と戦い続けた男  作者: 吾瑠多萬
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【決戦】知る知らる

この物語はフィクションです。



翌朝、実穂高と水師は巽のところへ赴いた


巽にフカという女と知り合いかと訪ねると、知らぬと答える。だがその時従者の新路(しんじ)がぴくりと反応したのを実穂高は見逃さなかった。もしかしたら名を変えているのか。

改めて質問を変えた。

「天鷲の従妹の榮殿が、病に伏せっておるが、十日程前に女子の遊びの集まりがあったそうだ。そこに巽殿の紹介で参ったという初めて見る女子が居ったそうだが、巽殿はどなたかご紹介されたか」

巽は新路の方をちらと見た。新路は目立たぬよう首を振って、否を合図をした。それを見て巽は言う

「そのような覚えはあらぬ」


「成る程。では話を変えよう。逸彦殿が来た日に、巽殿の知り合いが麻呂が使う牛車に触れた者をご存知か。或いはそうするよう誰かを雇った者を」

巽は懐から(きぬ)を取り出して、額の汗を拭う。その動きで、袖下から赤い玉の数珠がちらりと見えた。実穂高は巽の心に浮かんでいる誰かの影を霊視した。同時に振り返り従者の新路の方を見た

「新路殿も側居られるなら、麻呂の牛車が(おん)に襲われた事をご存知であろう」

新路の心に現れた影も観た。辿ると女が居た。名前は不明だが、フカと呼ばれる女で間違いない。


新路は言う

「最近、噂で(おん)退治の逸彦とは、その者が鬼を発生させ、災いをもたらすと聞くぞ。各地で家族を斬った者として恨まれているそうな。誠に信頼できるか怪しい」

「ああ、麻呂も聞くぞ。本当に討伐に加えて良いのか。其奴のせいで牛車が襲われたのであろう」

巽が乗っかるように続ける


「何だと」

実穂高は珍しく怒りに血が上りそうになった。水師は実穂高の背に触れ、冷静を促した

我に返り、実穂高は大きな声で鋭く言う

「麻呂は我が人を見る目に狂いなき事信じて居る。巽殿は表面の言葉を信じられようが、我は違う」

「陰陽師賀茂の血を引いて居らぬ其方がか。呉々も失敗せぬようにな」

畳み掛けるように人の弱みを突いてくる

「失礼致す」

振り払うように勢いよく立ち上がると、足早にその間を退席した。だがやるべき事をやるのは忘れなかった。式神の紙片を落として置いたのである


実穂高は小走りに己の牛車へと急ぐ。一刻も早くこの邸から出て離れたい。身体が怒りに震える。こんなに怒っている己は初めてかも知れない。何をそんなに怒っているのだ。いつものように、感情を味わい尽くせば終わる。そう思うのに静まらない。己の出生、危うい立場、心を理解できぬ輩の人を傷つける言葉、人を駒としてしか見ぬ人。そのようなものは沢山見てきた。傷ついて来た。それでも己でその傷を癒して前に進むしか無い。己の最善を尽くすしか無いのだ。なのに一体何なのだ、この憤りは。己は何にそんなに反応しているのだ


水師は主人(あるじ)の背を追い掛けながらもこのような姿を見るのは初めてだった。今までとの違いは思い当たるならば、逸彦の存在だった。己に向けられた中傷ではなく、逸彦に向けられた悪意に反応しているのではないかと思った。


牛車の前でひたとその歩みを止めた実穂高は、後ろ向きのまま水師に尋ねた

「…麻呂はどこかおかしいのか」

水師は答えた

「いや、実穂様は逸彦殿を中傷された事にお怒りと思います」

「左様か…」

水師が前簾を持ち上げると、踏み台を踏んで実穂高は牛車に乗り込んだ

誰にも同じく愛情深く接し、尚誰にも執着をしなかった師匠が、たった一人の人物に心を寄せている。それは師匠にとって良い事なのだと思った。愛を誰よりも知るこの方は、さらに愛の奥にあるものを知り、体験するのだろうと予感した。ただ、一人だけを愛する事をこの方は己に許すのだろうか。それについては機を待つしか無い。二人の心が通じ合える時が訪れる事を水師は願った


牛車に揺られながら、実穂高は己の怒りと格闘した。いつもはすんなり受け入れて鎮め、また冷静に判断できるのに、何故なのだ。何故逸彦殿を中傷され己は怒るのだ

己は逸彦に興味がある。また大事に思っている。仲間として、友として。数少ない真の心を受け止められる者として。心許せる者として。愛しいと思う。その器の大きさも、それ故に辛き命を背負う苦しみもわかる。もっと楽になって欲しい。心を開いて欲しい。己が彼を癒してその心を抱き締めてやりたいと思う。そして…

実穂高は愕然とした。己の奥にあるのは、癒すべき対象として愛するのではなく、女としての愛なのだと悟った。己が恋をしているだと


思い返してみる。あの夕焼けを見ていた時の会話、己の口から出た言葉に宿る言霊(ことだま)は、確かに愛の告白であり、二人に漂う空気は愛に満ちていた。自覚では孤独であろう逸彦に安心して欲しいが為に言ったつもりだったが、うっかり本心が乗っていたらしい。だが、向こうは?逸彦はそう取ったのだろうか。そして逸彦は我に愛を感じているのだろうか。逸彦が言った言葉を思い出す


「汝が木だった事があるなら、我はどんな木を見ても(うつく)しと思うな」


あの時、胸が貫かれたようだった。何も言えなくなった。逸彦はどう言うつもりでこの言葉を言ったのか気になって仕方ない。思い出すと顔が火照って、誰も他に居ない牛車の中で畳敷に伏した


水師は牛車の中から聞こえる師匠が七転八倒する気配に、腹の中で笑いを堪えた。いい傾向だ。この際、実穂様自身ももっと正直になってしまったら良い。そしてもっと幸を受け取ってくれたら良い


牛車が邸に着く頃、実穂高はへとへとだった。前簾を開けると、複雑な顔をして降りて出た。水師はつい笑みを浮かべてしまった

「…何を笑うている」

「あ、いや。実穂様も人でありますな」

実穂高は納得いかないような顔して歩き始めたが、不意に振り返った

「水師、汝は我の事を気づいて居るのか」

「何をです」

「いや、その…逸彦には容易に見破られたが、我は男らしくは見えぬのか」


ああ、あの一行と別行動を取った時の様子、そういう事か。水師は柔らかく笑って言った

「我は実穂様を人として尊敬奉って居ります故、実穂様が男でも女でも構いませぬ。でも我は実穂様がより幸得られる事をこそ嬉しう思います」

「成る程、水師はわかって居ったと言うことか」

「我が何年お側に居ると思います」

「七年か…」

彼は元服と同時に実穂高に仕えた。宮に出入りする羽振りの良い商人の息子だ。何故家を継がなかったのか。才があり過ぎ、また正直過ぎた。親は思った事を何でもかんでも言ってしまう息子を莫迦だと思った。賀茂家に連れて来た童を一目見て、実穂高は彼の裏の無い純粋さを気に入った。何処かに厄介払いしたかったところで、公家の子供の側付きの話が来て、渡りに舟と家から出されたのだ。彼も血縁の絆が無かった。この二人を繋ぐ絆は互いの純粋さを信頼しあえる尊敬と愛だった。


「汝に対し嘘は無い方が良いな。むしろ知られていて良かったかの」

実穂高は笑った。良かった、調子を取り戻したようだと水師は思った

「では、始めるので準備を手伝ってくれ」

「賜りました」


二人は占いの準備に取り掛かった


巽の心に浮かんだ人の影に焦点を当てる。新路の心に浮かんだ人の影、榮の言うフカ、牛車の車軸に鬼を誘き寄せる為に牛の乳酒を塗った人物。其々を照合する。牛車に細工をしたのは男だ。雇われか。その男に支払われた金を辿ると、新路に繋がる。金を出したのは新路だ。金を実際に払ったのは女だった。それはフカか。肯とも否とも出る。名ではなく身体ならどうだろう。肯である。どれも肉体としては一人の女だった。だが、内面の意識か人格は三つあるらしい。


フカは芙伽という字があたるようだ


水師も同様の事を繰り返し、二人の結果は一致した。全く弟子は優秀に育ったものだ

しかしそれ以上はできなかった。榮との契約はもう進行してしまい、破棄はできない。角を取られるのは命も取られると言う事であろう。せめて、榮の心が安息に愛に還る事を祈った

人物紹介、決戦


逸彦…鬼退治を使命とし、鳥に導かれながら旅をする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している。移動は常に、山も崖も谷も直線距離で駆けるか木々を伝って行けば良いと思っている。寝る時は木の上

コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃(やいば)を動かしている。宿世「コウと共に」で登場

実穂高…鬼討伐の責任者。陰陽師。実穂高は実名ではなく通称

水師(みずし)…実穂高の側付きであり弟子。目指す相手の居所をわかる特技がある (宿世 和御坊、瑞明「コウと共に」に登場)


玉記…実穂高の京での信頼できる友であり、実穂高と水師の剣術の師 (宿世 小野篁「流刑」。水の龍 天河「コウと共に」にて登場)

天鷲(あまわし)…玉記の友人。従妹 (さかえ)の病の事を実穂高に依頼する (宿世 源信(みなもとのまこと)「上京」。地の龍 金剛「コウと共に」にて登場)


実穂高が集めた討伐の面々

宮立 父 太方(ふとかた)…亡き妻の口寄せを依頼して実穂高と知り合う。(宿世 宮地家の御当主で那津の義父「護衛」、村長(むらおさ)「桃語る」に登場)

宮立 倅 細方(さざかた)…(宿世 宮地家の息子でご当主、那津の夫「護衛」に登場)

津根鹿(つねか) …妻子出産の祈祷で実穂高と知り合う(宿世 宮地家の孫で那津の長男「護衛」の最後に登場)

西渡(さえど)… 妻の死体が蘇って歩き回ったという件で霊を鎮める祈祷を依頼し、実穂高と知り合う(宿世 男「桃語る」で登場)

佐織の(さおり)…婆の病の相談で実穂高と知り合う (宿世 翁「桃語る」に登場)


伏見…親不知子不知の海沿いの難所を通り抜けるのに困っていたところ通りかかった討伐の一行と合流。自分達の領地周辺の鬼調査をしていたが、以降行動を共にする(宿世 布師見「城」に登場)

木ノ山…伏見に仕える。話しぶりが大袈裟(宿世 木之下「城」に登場)


(さかえ) …天鷲の従妹で幼馴染み。頭に鹿のように枝分かれした龍角を持つ。 (宿世 源信の妹、潔姫の生まれ変わり)

巽 右大臣…討伐の依頼主だが乗り気でない。ちなみに巽は本名ではなく通称

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