【決戦】榮の角
この物語はフィクションです。
二手に別れて十一日後、実穂高と水師は京に着いた。後半は実穂高は少し調子を崩したが、旅には差し支え無い程度であった。旅の疲れだろうと思った。途中で貸し馬なども使い、最速であったろう
玉記の文には、知り合いの天鷲の従妹が病を患い、助けを求むるとあった。京に一番近い旅籠に泊まる前に玉記に京へ戻る日程を知らせたので、向こうも此方の到着を知っている筈だ。
自邸で急ぎ用意出来る薬草などをあつらえていると、表を見ていた水師から玉記の迎えの牛車が着いたと伝えられた
実穂高が乗り込むと、先に玉記が乗っている。牛車の中で具体的な容態を尋ねる
「天鷲の従妹の榮が、病を患っている。あの文を出したのはその翌日だ。女子同士の遊びに集まった後からだ。熱を出して悪夢にうなされて居るそうな」
実穂高は怪訝な顔をする
「集まりの後だと?まさか怨霊の類いか。誰が居たのかわかるのか」
「全員はわからぬが、予定には入って居なかった初めて会う者がいたと言う」
「誰だそれは」
「うなされはっきり聞こえなんだが、巽殿の紹介で来たと言うたらしい」
「巽か…」
眉をひそめる。きな臭い。背後に何かあるやも知れぬと実穂高は思う。今日持ち寄った物では対処しきれぬか。
寝間の戸が開かれると、屏風の向こうに床に伏す者が居る。
実穂高と水師は急ぎ入って側に廻ると、女子が熱い息を苦しそうに吐きながら眠っている。枕の脇には一人の細身の男が座って見守っていた
「実穂高殿であるか。お初にお目にかかる。天鷲と申す。ご足労有り難く思う」
頭を下げる
「此方は供であり弟子でもある水師だ。礼は良い、早く診せよ」
実穂高は側に座り、その顔を見る。そしてあっと声を挙げ動きが止まった
「やはり見えなさるか。玉記殿から話聞いてそういう方かと思うておった」
天鷲が言う。その女子の頭には鹿のような枝分かれした角があった。水師の宿世で話だけ出た。逸彦の宿世を観た時には朧げにその印象を掴んだ。那由と小野篁と信とその妹にだけあったという鹿の角。愛の役を持つ者、龍の化身である者の証し。
天鷲の顔を見上げたが角は無い。今日案内をした玉記も篁の生まれ変わりだが角は無い。それは龍に力を返したからだと聞いていた
実穂高は水師に尋ねた
「水師、汝この方の角が見えるか」
「我には見えませぬ」
水師は答える。実穂高は天鷲にきく
「天鷲殿、汝も見えるのか」
「これの為に妹は随分悩んでおった。己は物の怪の類いかと言うて。熱出す直前の集まりでも、角の事言われたと言うた。見える者が我ら二人以外に居たのは初めてだが」
それから顔を実穂高に寄せて言う
「実穂高殿はこれに触れることできまするか」
「どう言う由だ」
「触れる事ができたのは我のみ。妹自身は己の角が見えても触れずにいた」
実穂高の顔は興味に輝いた。そっと角に手を伸ばすと角に触れた。僅かに笑むが、今日此処に来たのは病の件である。
「その話は後でゆっくり聞きたし」
実穂高は女子の身体に手をかざし、目を閉じてくまなく観てみる。翳りを感じるのは頭と胸だ。何かどろどろした黒いものがとぐろを巻いて居る。
「霊障だ。できる事はするが、相手を特定せねば難しい」
早口に言うと解熱の効果のある薬草の名を次々に口にし、水師に準備させる。水師はそれを選び合わせると、台所に言って煎じさせる。自分はまた違う薬草を擦り潰し、布に塗って着物をはだけさせると首周りと鎖骨の下に置いた
「薬師のようであるな」
「念じたり呪いで何でもできるなど、逆におかしいであろう」
天鷲の顔を見上げて尋ねる
「訊きたき事あるが、起こしても良いか」
「お任せ致す」
実穂高は取り出した小さな壺から乾燥した薬草を取り出し、湯に入れる。すっとする香りが立つ。それを女子の鼻下に寄せ、掌で扇ぐ
女子は喘いで、目を開けた
「気づいたか」
「榮、この方は陰陽師の実穂高様だ。今汝の治療をして貰っている」
「有り難う存じます…」
「それは後で。訊きたき事ある。集まりの後で熱出したそうだが、そこで初めて会うた者が誰か、詳しくわかるか」
苦しそうな息の合間に、榮は言った
「巽…殿の…紹介…」
「その者名を名告ったか」
頷いて言葉を継いだ
「フ…フカ…様と」
フカ、と確かに言ったな
「その者、角が見えると言ったのか」
榮は驚いて天鷲の顔を見るが、天鷲は安心させるように頷いて見せた
「この方も角は見えるそうだ。我らの目がおかしかった訳ではあらぬ」
「角見えて…醜いと…」
目から涙が溢れる。
「取ってやろうと…」
「取ってやるだと?それで汝は何と言ったのだ」
「できるなら…そうしたいと…」
同意してしまったのだ。実穂高は愕然とした。これは一方的な霊障では無く、双方の同意でなされた契約になってしまった。止める事は難しい。榮が角を嫌がっている心が、今早急に変わる事は難しい。榮が角を肯定し、それは祝福だったと受け止めてくれれば良いが、この精神状態と憔悴具合では間に合わぬだろう
「左様か…」
今できる事はなるべく気持ちを安定させる事だ
「だが、榮殿。角は良きものだ。安心されよ。その角持つ者は他にも居ったようだ。恥に思う必要はない。麻呂にも愛しう見える」
榮は微笑んだが、もう力は余り無いように見えた。持って来た煎じ薬を飲ませ、寝かせた
実穂高は出来る事は一般的な熱病への対処程度しか無いだろうとわかった。煎じ薬を目覚める度に飲ませる事、重湯と水分を絶やさぬ事などと共に、先程思った事を天鷲にも伝えた。嘘をついても仕方ない。危険な状態で、双方の契約となった以上本人の心がすっかり変わる他は止める事は難しく、死ぬやも知れない事も隠さず話した
天鷲はそのまま受け止めた
実穂高は天鷲は源信ではないかと思い、宿世の事を話そうと考えたが、まだ時では無いと感じた。それで、知り合いの宿世として、角と龍の事を話した
「それでは、この角は龍から借り受けたもので、禍つものではあらぬと。むしろ愛の役を持つ証しであったと」
「そうだ。それを気に病む必要は無かったのだ」
天鷲は考え込むように目を瞑った
「されど、榮は人と滅多に関わろうともせず、いつも消え入れたいような事をぼやいておる。もし愛の役あれど為すようにも見えぬな…。これが天命ならば仕方の無い事だ」
天鷲は受け入れる心づもりがあるようだ
だが、実穂高にはこの二人の繋がりはかなり深い縁だと見えた。根底では愛し合っていながら、何か通じ合えぬものがあった。愛が通じあわぬ辛さは、今の実穂高にも共感できると思った
「何故角に触れられる者とできぬ者が居るのか、汝は知って居るのか」
実穂高は先程から知りたかった事を問うた
「麻呂が試した時には、我が心が落ち着いて心身一致して居る時には触れ、慌てていたり心そぞろの時には触れぬと思うた。榮はいつも心此処にあらずという気持ち故に、己の角であるにも関わらず触れられぬと思うた」
実穂高も的確な答えに納得した
天鷲の顔とその奥にあるものを観た
天鷲も実穂高を観た
二人はお互いに霊的なものを見るを目を持ち合わせている者同士だとわかった。実穂高は天鷲の心の奥行きを感じ取り、天鷲は己を観られている事を悟った。実穂高は天鷲の賢さと細やかさが確かに信と同じであると確認した。同時に龍の内に戻った時の記憶も朧げに掴んだ。内容は後でゆっくり観ようと思い、つい笑みを浮かべた。天鷲はその笑みを見て目を細めた
玉記に送られて自邸に戻り、占いをした。榮の病はその場で見立てた事に相違は無かった。巽を占うと、本人は榮に対し特別な目的は見当たらなかった。相手の女を特定せねば、何とも言えなかった。
フカという女の事、巽を絞って吐かせなければならない
人物紹介、決戦
逸彦…鬼退治を使命とし、鳥に導かれながら旅をする。宿世の記憶をずっと受け継いで生まれ変わりを繰り返している。移動は常に、山も崖も谷も直線距離で駆けるか木々を伝って行けば良いと思っている。寝る時は木の上
コウ…逸彦の心の中で逸彦の疑問に答えたり、導いたりする内なる声。コウは逸彦の命であり、鬼と戦う時刃を動かしている。宿世「コウと共に」で登場
実穂高…鬼討伐の責任者。陰陽師。実穂高は実名ではなく通称
水師…実穂高の側付きであり弟子。目指す相手の居所をわかる特技がある (宿世 和御坊、瑞明「コウと共に」に登場)
玉記…実穂高の京での信頼できる友であり、実穂高と水師の剣術の師 (宿世 小野篁「流刑」。水の龍 天河「コウと共に」にて登場)
天鷲…玉記の友人。従妹 榮の病の事を実穂高に依頼する (宿世 源信「上京」。地の龍 金剛「コウと共に」にて登場)
実穂高が集めた討伐の面々
宮立 父 太方…亡き妻の口寄せを依頼して実穂高と知り合う。(宿世 宮地家の御当主で那津の義父「護衛」、村長「桃語る」に登場)
宮立 倅 細方…(宿世 宮地家の息子でご当主、那津の夫「護衛」に登場)
津根鹿 …妻子出産の祈祷で実穂高と知り合う(宿世 宮地家の孫で那津の長男「護衛」の最後に登場)
西渡… 妻の死体が蘇って歩き回ったという件で霊を鎮める祈祷を依頼し、実穂高と知り合う(宿世 男「桃語る」で登場)
佐織の翁…婆の病の相談で実穂高と知り合う (宿世 翁「桃語る」に登場)
伏見…親不知子不知の海沿いの難所を通り抜けるのに困っていたところ通りかかった討伐の一行と合流。自分達の領地周辺の鬼調査をしていたが、以降行動を共にする(宿世 布師見「城」に登場)
木ノ山…伏見に仕える。話しぶりが大袈裟(宿世 木之下「城」に登場)
榮 …天鷲の従妹で幼馴染み。 (宿世 源信の妹、潔姫の生まれ変わり)
巽 左大臣…討伐の依頼主だが乗り気でない。ちなみに巽は本名ではなく通称